第50話:新たな仲間、脅威
試験から一ヶ月が経過した。バドはあっさりと騎士団を抜け、手土産と称して二人の騎士を引き連れてきた。
ギレル・レンバー。二十代半ばの男だ。短く刈り込んだ黒髪に、感情の起伏を一切感じさせない無機質な灰色の瞳。必要最小限の言葉しか発しないその佇まいは、まるで手入れの行き届いた精密な機械を思わせる。
「……ギレルだ。命令に従う」
もう一人は、エラー・フーレン。同じく二十代。波打つような金髪を高く結い上げ、騎士の制服すらも華やかに着こなす美貌の持ち主だ。だが、その切れ長の瞳の奥には、獲物を定めるような鋭い光が宿っている。
「エラー・フーレンと申しますわ。わたくしたちを満足させてくださるなら、その双肩に相応の価値を積み上げて差し上げますわ、主様」
バドが、無関心そうに後ろの二人を顎でしゃくった。
「この二人も金で動きます。忠誠などという馬鹿げた概念は、最初から持ち合わせていませんので。……使えますよ」
ヴィクトリアに頼み込み、バドを特別講師として学園に招聘させた。学園からの給料に加え、俺も私費を投じている。
昼は他の学生たちも指導しているが、日が落ちれば、俺とのマンツーマンの訓練──というより、殺し合いが始まる。バドの戦斧術と体術を全躯に叩き込まれ、毎日血反吐を吐きながら食らいついていた。
「そんな足捌きでは、一歩目で死にますよ。イグナスの名は、地面を舐めるためにあるのですか?」
バドの罵声と同時に、硬い拳が空気を切り裂く。
俺が放った右の突きを、奴は首をわずかに傾けてかわし、そのまま掌底で俺の顎を跳ね上げた。脳が揺れる衝撃を堪え、崩れる重心を無理やり固定して左のミドルキックを叩き込む。だが、バドはそれを前腕一本で平然と受け止めると、そのまま俺の脚を掴んで引き寄せた。
「遅い」
視界が反転する。
強引に投げ飛ばされ、石畳に背中を打ち付けた。肺から空気が搾り出され、喉の奥に鉄の味が広がる。
立ち上がる間もなく、バドの追撃が飛ぶ。
伏せた状態から転がって回避し、跳ねるように立ち上がって徒手空拳の構えを取る。バドの踏み込みは予備動作がない。死角から潜り込もうとする奴の動きを読み、肘を後ろへ突き出すが、奴はその肘を支点に俺の背後へと回り込み、容赦なく鳩尾を膝で突き上げた。
「ガッ……は、あ……!」
意識が飛びそうな激痛を無理やり思考の隅へ追いやり、脳内で奴の動きを分解し、自分のものとして奪い取ることに集中する。
バドの動きは、洗練された騎士の剣術とは対極にある。ただ効率的に、確実に、相手の息の根を止めるためだけに削ぎ落とされた、暴力の結晶だ。
「立ちなさい。立ち、食らいつく。それができない者に、私は一銭の価値も感じません」
震える手で地面を押し、再び構える。夜の冷気が、熱を持った身体に突き刺さる。
「……まだ、終わってない」
俺がそう吐き捨てると、バドの口角が僅かに吊り上がった。
この一ヶ月、俺の身体は常にどこかが壊れ、修復されていた。ある時は肋骨を砕かれ、刺さった破片が肺を突く感覚に悶え、またある時は足首を捻じ切られ、石畳を這い回った。
バドには俺の自己再生の仕組みについて最低限の説明をしている。だからこそ、奴は「直せばいい」とばかりに、一切の手加減を捨てて俺をボコボコにしてくる。
だが、その最たるものは二週間ほど前の出来事だ。
バドの振るった戦斧が、俺の防御ごと右腕を肩口から叩き落とした。断面から噴き出す鮮血と、遅れてやってくる猛烈な熱。あの時は流石に肝が冷えた。エラーの高度な治癒魔法と、同時に使い潰した奴隷三人分の生命力によって後遺症もなく元通りにはなったが、繋ぎ目には今も生々しい火傷のような傷痕が残っている。
「……すいません。思わず、手が滑りまして」
「思わずじゃねぇよバカ。次やったら報酬から引くぞ」
そんなやり取りすら日常になるほど、俺は自分を追い込み、バドの戦斧術と体術を文字通り身に刻み続けている。死の淵を往復するこの苦痛こそが、脳に回避の最適解を刻む最も効率的な手段だからだ。
だが、学園内での修練が順調に進む一方で、帝都の闇に広げた網は最悪の状況に陥っていた。
ガリアスの件だ。商業ギルドが手を焼くのも頷ける。奴は徹底して尻尾を掴ませないばかりか、こちらの動きを完全に察知していた。
裏外区の住人にウルガを寄生させた手駒たちは、この一ヶ月でその半分が殺された。
その死に様は、正視に耐えないほど凄惨なものだった。
裏外区の路地裏には、全身の皮を一枚残らず剥ぎ取られ、筋肉の繊維が剥き出しになった赤黒い塊が吊るされていた。
生きたまま剥がされたのだろう。指先は石を掻きむしったように折れ曲がり、眼球のない眼窩が虚空を睨んでいる。滴り落ちる血が地面に黒い水溜りを作り、鼻を突く腐臭と鉄錆の匂いが辺りに充満していた。
ただ殺すだけではない。これは明確な「見せしめ」だ。
ガリアスは俺の索敵網を嘲笑うかのように、最も残酷な方法でこちらの駒を排除し、警告を送ってきている。
ガリアス・ヴァン・ドレン。
ただの闇商人の器ではない。奴の背後にある「闇」の深さを、俺は測り損ねていたかもしれない。
まあ、最初から期待していなかった分、役立たずが何人殺されようとどうでもいい。ただ、想定以上に血生臭いことになってきた。
路地裏に吊るされた赤黒い肉塊は、ガリアスからの「これ以上踏み込むな」という警告だろう。だが、あいにく俺はそんな安い脅しに足を止めるほど、健全な精神を持ち合わせてはいない。
この一ヶ月、奴隷売買で儲かりすぎた利益を、俺たちの装備にあてることにした。
死体を見せられて引くような連中なら、最初からこの盤面には必要ない。ただ、今の俺たちの火力が、ガリアスという闇を焼き払うには少しばかり心許ないのも事実だった。
使い道のない端金を積み上げて眺める趣味はない。金は暴力へと変換して初めて価値を持つ。
狙うのは、ゲーム『スロン』においてSS Tierに格付けされていた課金武器、黒銀瞑氛だ。
本来この世界は「ハック&スラッシュ」、いわゆるハクスラの要素が強く、ダンジョンの最下層へ行けば行くほど強力でレアなドロップ品が出る仕様になっている。だが、かつて運営が一時期大炎上させた課金事件があった。
忙しい社会人向けに実装されたそのガチャは、排出率が天文学的な確率と言われ、天井の20万円を課金すれば確実に手に入るチート武器として環境とSNSを大いに荒らした代物だ。
このハイドラは武器というカテゴリーでありながら、明確な形状を持たない。プレイヤーが選択した武器種にその姿を自在に変えるのだ。つまり、ダンジョンに潜って苦労して武器を厳選しなくても、これさえあれば全ての武器種を最高水準で網羅できてしまう。
その後、当然のように弱体化を食らったが、それでも俺が死ぬ直前の環境まで一線級で使われ続けていた壊れ武装だ。これを手に入れれば、バドの戦斧術をトレースする効率も劇的に上がる。
ハイドラのガチャが初めて実装されたのは、年末年始の一番盛り上がる時期だった。「帝国の宝具、解禁」――そんな煽り文句と共に登場したそれは、この世界においては「帝国に保管されている実在の秘宝」であることを意味している。
「ゼン様。流石のイグナス家とて、帝国の宝具を盗み出せば極刑は免れませんよ。家ごと潰されるのが関の山です」
俺の意図を察したバドが、呆れたように釘を刺してくる。当たり前だ。そんなリスクは百も承知だ。だが、ストーリー通りに歴史が動くなら、今の皇帝は俺の親父が暗躍することで暗殺される。その時、帝都にはかつてない混乱が訪れるはずだ。
バースバル帝国の国政は、《元老院》・《王胤》・《華胄界》・《騎士総団》・《国軍閥》の五派閥が担っている。最終判断を下す王胤、次いで法と裁判を司る元老院の権力が強く、貴族派である華胄界、そして実技の騎士総団と国軍閥が続く。
元老院と同等、あるいはそれ以上の影響力を持つハクドジン公爵――親父が動く「どさくさ」に紛れてハイドラを頂く。それが俺の描く寸法だ。
それまでは、金に物を言わせて装備を整えればいい。
「バド。俺とお前、それにギレル、エラー、ウィッキー。この五人分の装備を調達しろ。金に糸目はつけない。ガリアスの件で血生臭くなってきた以上、身を守る皮は厚い方がいい」
俺はバドに調達を命じると、一人で宿舎の窓を開けた。
今夜は、冒険者ギルドに「依頼」を出しに行く必要がある。
俺は再び、学校を無許可で抜け出し、夜の静寂へと身を投じた。
帝都の夜を、細い小雨が音もなく濡らしている。石畳に反射する魔導灯の淡い光が雨粒にぼやけ、まるで水底の都を歩いているような錯覚に陥る。湿り気を帯びた空気が、訓練で熱を持った身体を撫で、傷痕の残る右腕が微かに疼いた。
路地裏の湿った壁を、俺が放ったウルガたちが音もなく這い回っている。
ウルガ・ゴキブリ――略称ウルガ。
この虫の汎用性は、以前から十分に証明済みだ。潜伏能力、繁殖速度、そして対象を内部から食い破る殺傷能力。どれをとっても申し分ない。
だが、地上と「影」を支配するだけでは、広大な帝都を網羅するには限界がある。これからは、地上だけではなく、空を支配する「虫」も必要になってくる。
目的地は、深夜でも灯火の消えない冒険者ギルドだ。
俺が今回、荒事の専門家たちに依頼するのは、ホウセンバチ――別名「梟蜂」と呼ばれる災虫の回収だ。
脅威度ランクはA。
ウルガとは違い、こいつはゲーム『スロン』でも正式なエネミーとして実装されていた。
その強さ――というより、プレイヤーの間で語り継がれる「鬱陶しさ」は全エネミーの中でも一二を争うレベルだ。
夜間でも昼間のように見通す梟の眼と、羽音を完全に消して飛来する隠密性。
さらに最悪なのは、その針に宿る壊死毒、出血毒、神経毒が混ざり合った殺意のハイブリッドだ。一度刺されれば魔導回路は麻痺し、血管は内側から崩壊、傷口からは腐食が始まる。まさに「魔導士殺し」の極致。
その上、針を射出しても即座に再生する異常な治癒性まで備えている。
ガリアスの「見せしめ」に対する回答として、地上の死角だけでなく、上空からの不可視の処刑人を揃えておく。それが今の俺に必要な手駒だ。
ギルドの重厚な扉を押し開ける。
立ち込める安酒と汗、そして微かな血の匂い。
雨の夜にもかかわらず、そこには死の淵を歩くことでしか生を実感できない、不遜な連中がたむろしていた。
俺はカウンターへと歩みを進め、懐から金貨の詰まった袋を無造作に放り出した。周囲の粗野な連中とは対照的に、背筋を伸ばし、一族の礼法を崩さずに受付嬢へ言葉を掛ける。
「夜分に失礼します。緊急の依頼をお願いしたいのですが」
受付嬢は、俺の制服と金貨の音に一瞬目を丸くしたが、すぐにプロの笑みを浮かべて深く頭を下げた。
「お久しぶりです、冒険者ゼン様。……ふふ、相変わらず夜の帝都がお似合いですね。本日はどのような難題をお持ち込みで?」
俺はカウンターに指を添え、周囲に聞こえぬよう、だが明確な声で依頼内容を告げた。
「ホウセンバチ――梟蜂の死体を、可能な限り綺麗な状態で回収してほしいんです。期間は無制限。早ければ早いほど別途報酬を上乗せします」
生かしておく必要はない。俺のスキルによって支配下に置くのであれば、器となる死体さえあれば事足りる。梟蜂の名が出た瞬間、受付嬢の表情から余裕が消えた。Aランクの災虫、その死体を「綺麗な状態」で持ち帰るだけでも、並の冒険者には死を意味するからだ。
「……承知いたしました。Aランク相当の特殊依頼として即座に受理いたします。それだけの前払い金があれば、命知らずな腕利きたちも放っておかないでしょう」
「ついでにもう一匹、探してほしい災虫がいるので、詳細は追って伝えます。枠だけは確保して頂けると助かります」
事務的なやり取りを済ませる間も、背後からは絶え間なく好奇と害意の混じった視線が突き刺さっている。だが、以前のように無作法に絡んでくる輩はいない。ゴールドランクのウィッキーの知り合いという情報が出回っているお陰で、不必要なノイズは排除されていた。
用は済んだ。踵を返そうとした時だった。
「君がゼン・イグナスか」
淀んだギルドの空気を一変させるような、涼やかで澄んだ声が届いた。




