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第49話:裏と表

 しかし、このガリアスという男も大胆だ。ギルドから狙われているというのに、いまだに帝都の喉元に潜伏しているとは。


 まあ、裏外区りがいくという治外法権の場所に逃げ込まれると、商業ギルドも手が出しづらいか。


 法も正義も届かないあの掃き溜めでは、帝国の徴税官も憲兵も、ただの「部外者」に成り下がる。冒険者や傭兵にしても、わざわざあらゆるリスクを負ってまで、見つかるかも分からない手配犯を裏外区の深部まで追ってくる理由もない。それなら、もっと安全で報酬の分かりやすい依頼や、表通りの手配犯を選ぶのが合理的だ。


 俺はギルドから提供された、薄汚れたガリアスの手配書を指で弾く。


「バド。この男、自分だけで動いているわけじゃないだろう」


 バドは俺の言葉に短く頷き、記憶の糸を解くように応じた。


「ガリアス本人というより、奴の息がかかった子飼いの武装集団……名は『針鼠ヘッジホッグ』。数年前、イグナス家の騎士団が一部の討伐に出たこともありましたが、その時は雑魚の寄せ集めという印象でしたな。訓練も受けていない、単なる暴力の集合体です」


 恐らく、それは末端の捨て駒だろうな。


 この手の組織は、切り捨てやすいゴミを外殻に配し、核心部は常に闇の奥に隠すものだ。ガリアスも、かつて商売を営んでいたのなら、その程度の防衛理論は心得ているはずだ。


「いきなり首魁トップを見つけるのは不可能に近いか」


 俺は窓の外に広がる帝都の夜景の、そのさらに下層に広がる暗闇へと視線を向けた。どれほど完璧な迷路を作ろうと、人が動けば必ず「資源(情報)」が零れ落ちる。


「人手が足りないな」


 俺の休暇も、残すところあと二日で終わる。その短期間で、広大な裏外区の迷路からガリアスを見つけ出し、捕らえられる可能性は限りなくゼロに近い。バドには引き続き物理的な捜索を続けさせるとして、俺は自身の「資源」を最大限に動員することに決めた。


 胃の奥から這い上がってくる不快な胎動に合わせ、俺は口から数十匹のウルガの幼体を吐き出した。


 湿った石畳の上で蠢く半透明の個体共を、俺は闇へと放つ。混沌とした裏外区こそこいつらの庭だ。俺は手近な路地裏にいた浮浪者や、無用心に道端で眠りこけていた酔客、さらには裏外区の「住人」たちを片っ端から捕らえ、その体内にウルガを寄生させた。


 そして、一人一人の眼前にガリアスの手配書を突きつけ、冷徹に告げる。


「一週間以内にこの男を見つけ出せ。さもなければ、体内の飼い主が暴れ出し、お前たちに想像を絶する痛みを与えて殺すことになる」


 初め、連中は俺をただの生意気な子供と侮り、鼻で笑って立ち去ろうとするか、あるいは力ずくで俺を排除しようと襲いかかってきた。だが、俺が思考一つで体内のウルガを暴れさせると、状況は一変する。


「が、あ……ッ!? な、なんだ、腹が……ッ!」

「助けてくれ! 頼む、何でもするから!」


 内側から内臓を直接弄られる激痛に、連中はその場にうずくまり、涙と鼻水に塗れて助けを乞うた。もちろん、こんな有象無象がたった一週間で首魁を見つけられるとは思っていない。だが、これだけの数の手駒を無差別にばら撒いておけば、確率論として一人くらいは正解を引くだろう。


 それに、この「生きた発信機」の真価は情報収集だけではない。


 ウルガの気配を通じて、寄生された人間が今どこにいるかは手に取るようにわかる。つまり、彼らが捜索の途中でガリアスの陣営に不審者として捕まり、殺される。あるいは拷問されたとしても、その瞬間の「断末魔」と「位置情報」が、俺に敵の本拠地を正確に教えてくれるというわけだ。


 死すらも情報というリソースに変える。これほど効率的な捜索網が他にあるだろうか。


 怯える連中を暗闇へと追い立て、俺はバドの方へ向き直った。


「さて、網は広げた。あとは獲物が掛かるのを待つだけだ」


「私はウィッキーと動きます。奴は街の裏側を熟知している。私の手足として使っても?」

「あぁ、そうしてくれ。隠密を最優先に、目立つ真似はするなよ」


 バドは一度、所属している騎士団に戻った後、除隊の手続きを進めるらしい。親父の駒として飼い殺されるより、俺の傍で動く方が遥かに効率的に稼げると、あの徹底した合理主義者は確信したようだ。


 さらにバドは、騎士団の中でも特に使えると判断した人員を引き抜いてくるという。本来なら裏切りにも等しい行為だが、この男は俺の目的を最大化させるために、迷わず身内から戦力を引き剥がすことを選んだわけだ。


 頼もしすぎて、やばいなこいつ。

 この男を教育係に選んだ自分の眼力を、改めて褒めてやりたくなった。


 焦る必要はない。ライセンスの目処は立ち、網も張り終えた。あとは獲物が自ら針を飲み込み、場所を露呈させるのを待つだけだ。


 裏外区を離れた俺たちは、それぞれの目的のために別れた。バドは帝都に活動拠点となる隠れ家を借り、水面下で組織の基盤を作る。俺は、これからの寮生活に備えて必要最低限の買い出しを済ませてから、士官学校へと戻った。


 学校に戻って早々、待っていたのは宿舎のトイレ掃除だった。


 使い古されたブラシを手に、俺は一人でタイルの隙間を擦る。鼻を突く消毒液の匂いと、冷たい水が跳ねる音だけが狭い個室に響いていた。


 陶器の便器にこびり付いた頑固な黄ばみを、手首を返しながら一定の力で削ぎ落としていく。少しでも力を抜けば汚れは残るし、込めすぎれば水が跳ねる。集中力を要する作業だ。ようやく一個を終わらせ、次の個室へ移動する。これを一列終える頃には、指先は冷え、消毒液で肌が微かに突っ張るような感覚があった。


 次は廊下の窓拭きだ。


 バケツに新しい水を汲み直し、古びた布を硬く絞る。重厚な石造りの窓枠に溜まった砂埃を指先で丁寧になぞり、曇ったガラスを上から下へと一定の速度で拭き下ろしていった。夕暮れの光が差し込むガラス面は、一度拭いただけでは筋が残る。二度、三度と角度を変えて磨き上げ、透明な面が戻ってくるのを確認する。


 練兵場からは木剣の鈍い音や、整列を促す鋭い号令が響いているが、今の俺にはこの静かな反復作業の方が馴染む。バケツの水を捨て、雑巾を濯ぐ。冷たい水が手の熱を奪い、現実に引き戻される感覚。帝都の喧騒や血の匂いが嘘のように遠のき、俺は再びこの淡々とした学園の日常へと沈み込んでいった。


「おーい、ゼン! こんなところで何やってんだよ!」

 背後から飛んできたのは、訓練明け特有の熱を帯びた、やけに快活な声だった。振り返れば、盾役としての鍛錬を終えたばかりのライナスが、汗を拭いながらこちらへ歩み寄ってくる。


「ったく、お前はいいよな。首席候補なんて持て囃されて、当番免除に特別休暇かよ。俺なんて教官にシゴかれて腕がパンパンだぜ。少しはその余裕を分けてくれよ」


 羨望を隠そうともしないライナスの言葉に、俺は手元の雑巾を固く絞りながら、冷ややかな視線を向けた。


「団体戦の結果、お前たちの成績にも恩恵があっただろう。その分の代償だと思って勘弁しろ。それに、免除じゃねぇから掃除してんだろ」

「それもそうか、ガハハッ!」


 ライナスは豪快に笑い飛ばしたが、その背後から、控えめに、だが確かな好奇心を含んだ視線を感じた。


 緩やかにウェーブのかかった茶髪が印象的な女子候補生。彼女はライナスの影から一歩前に出ると、上品に会釈をした。


「ああ、紹介するよ。彼女は第二十五班のメリル・サホンだ。サホン子爵家の次女さんだよ」

「初めまして、ゼン・イグナス様。お噂はかねがね……団体戦での圧倒的な采配、見事でしたわ」


 頬をわずかに染め、ライナスの腕にさりげなく寄り添う彼女の仕草。ライナスの方も、いつもの暑苦しい表情がどこか緩み、鼻の下が伸びているのが丸わかりだ。


 この歳で色恋沙汰とは。


 帝国の未来を担う士官学校の生徒が、ガキのくせにませやがって。羨ましいというよりは、ただただ腹立たしさを覚える。


「ライナスさんからは、あなたがどれほど頼りになる戦友か、いつも伺っているんですのよ」

「よせよメリル、照れるだろ。……まあ、そういうわけだ、ゼン。試験も終わったし、明日からは実戦や遠征任務が多くなる。今後もよろしく頼むぜ!」


「……あぁ」


 生返事を返しながら、内心では舌を打つ。

 正直なところ、バドというチート的見本が身近にいる以上、あいつに実戦を叩き込まれる方が確実に強くなれるのは明白だ。だが、今はまだ学生という身分。贅沢は言ってられない。


 ライナスとメリルを見送り、宿舎へと戻った。

 扉を開けると、陽の光を拒絶するような薄暗い部屋の中に、一人の男がいた。


 ガストンだ。


 団体戦の得点はゼロ。学科も下から数えた方が早い底辺。実技も棄権。最悪の結果に終わった男だが、こいつは自主退学を選ばず、この学校にしがみつくことを決めたらしい。


 俺が無視して自分のベッドに寝転ぶと、淀んだ空気を震わせるような声が聞こえてきた。


「……優等生様はいいよな。休みも増えて、評価も上がってさ」


 粘着質で、湿り気を帯びた嫌な声だ。相手にするのも無駄なので無視を決め込む。


「……俺は十六班を追い出されて、明日からは三十一班──落ちこぼれの掃き溜めに異動だ。フン、お前らみたいな勝ち組からすれば、俺みたいな役立たずが抜けて、せいせいするだろうな」


 卑屈な自虐。


 実際、こんなゴキブリ以下の寄生虫野郎が視界から消えてくれるのはありがたい。贅沢を言うならこのまま黙って退室してくれ。そして二度とその糞みたいな面を見せるな。


「……最後まで俺のことを見ようともしない。結局、俺はお前の眼中にも無いってことか!?」


 いきなり声を荒らげるガストン。男のメンヘラほど見苦しいものはないぞ、キモいだけだ。


「……寝るから、出ていくならさっさと出ていけよ」


 吐き捨てると、ガストンはズカズカと俺のベッドまで近付き、耳元で呪詛のような言葉を漏らした。


「……このままじゃ終わらねぇぞ。いつか、お前の化けの皮を剥がしてやる」


 絞り出した声を背中に受け流していると、廊下の遠くから、またしても空気を読まないあの声が聞こえてきた。


「お? ガストンじゃないか! 達者でな!」

「うるせぇ!!!」


 ガストンの怒号を最後に、俺は意識を手放した。

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