第48話:探り合い
ギルド総代に導かれ、俺とバドは建物の最上階にある総代執務室へと足を踏み入れた。
そこは、先ほどの受付ロビーが質素に思えるほどの、過剰なまでの富の集積地だった。壁一面には、希少な魔獣の皮を贅沢に使ったブックシェルフが並び、そこには金箔で縁取られた膨大な数の台帳が整然と収められている。
中央に鎮座する執務机は、魔導耐性の高い黒檀の一枚板で造られており、その上では魔力の揺らぎを観測するための精緻な銀細工の天球儀が静かに回転していた。
足元に敷かれた絨毯は、北方の聖獣の毛を編み込んだもので、歩くたびにその弾力が足首までを優しく包み込む。窓の外には、宵闇に沈みつつある帝都の街並みが一望でき、魔導街灯の光が宝石を散りばめたように煌めいていた。
部屋の奥では、既に数人の男女が、苦虫を噛み潰したような顔で俺たちを待ち構えていた。
中央に座るのは、先ほどロビーに現れた商業ギルド総代、ベルナルド・リッチモンドだ。
仕立ての良い真珠色のローブを纏い、その肥満気味な指先には、いくつもの魔導指輪が食い込むように嵌められている。その隣には、ギルドの財務を統括しているのだろう、鋭利な刃物のような目つきをした痩身の男や、魔導具の鑑定士と思わしき、分厚いレンズの眼鏡をかけた白髪の老女など、ギルドの屋台骨を支える幹部たちが、値踏みするような視線を俺に向けていた。
彼らの表情には、明らかな困惑と焦燥が混じり合っている。
帝国「十賢者」の一翼、イグナス公爵家の三男がいきなり夜分に訪ねてきたこと。そして、現在進行形で奴隷市場の流通を乱し、ギルドが血眼になって追っていた転売犯――ウィッキーと、その公爵家の令息が「知り合い」であるという事実。それらが複雑に絡み合い、彼らの優秀なはずの脳細胞を激しく磨耗させているのが手に取るように分かった。
部屋の隅では、拘束を解かれたばかりのウィッキーが、居心地が悪そうに肩をすぼめて立っている。俺は一歩前へ出ると、優雅に、かつ形式的な完璧さで一礼した。
「夜分遅くに、突然の訪問を失礼します。イグナス公爵家が三男、ゼン・イグナスです。アポなしでの非礼は重々承知しておりますが、事態の緊急性に鑑み、お時間をいただきました」
俺の声は静まり返った室内によく響いた。まずは礼儀を尽くし、相手の土俵にこちらの非を置くことで、交渉の主導権を握る。
「まずは、私の同伴者を紹介させてください。後ろに控えるのは、我が家の騎士であるバド。そして、そちらで縮こまっている男が、今回の一件の当事者であり、私の重要な協力者であるウィッキーです」
俺がそう告げると、ベルナルド総代が、喉の奥を鳴らしてから重い口を開いた。
「……丁寧なご挨拶、痛み入ります。私は帝国商業組合の総代を務めております、ベルナルド・リッチモンドと申します。……ゼン様。公爵家の方が、なぜこのような『市場の攪乱者』と繋がっておられるのか。正直に申し上げて、我々も混乱の極みにありましてな」
総代の紹介に続き、傍らにいた幹部たちも、硬い表情のまま次々と名を名乗っていく。
「財務管理部長のマルコです」
「鑑定士長のエリザベスと申します。ゼン様、本日はどのような……」
彼らの声には、敬意と同時に、鋭い警戒が張り付いている。俺は、冷徹な計算を胸に秘め、次の言葉を紡ぎ出した。
「我々が行っている奴隷売買ですが、確かに無許可であり、皆様にはお手数とご迷惑をおかけしました」
俺が淡々とそう口にした瞬間、室内の温度が数度下がったかのような静寂が訪れた。財務部長のマルコは手に持っていた書類を落としそうになり、鑑定士長のエリザベスは信じられないものを見るかのように絶句している。
帝国最高の貴族、イグナス家の三男ともあろう者が、自ら「奴隷売買」という、表向きは忌避される商いに手を染めていると認めたのだ。その衝撃は、彼らの常識を根底から揺さぶっているようだった。まあ、こいつらからどう思われようと知ったことではない。外聞よりも実利だ。
「……そう、ですな。確かに、驚きを禁じ得ません。いくらゼン様とはいえ、無許可での営業は組合の規約、ひいては帝国の流通法に抵触いたします。これを看過すれば、我々の示しがつきません」
ベルナルド総代は、冷や汗を拭いながらも、ギルドの面目を保とうと懸命に言葉を絞り出す。だが、俺はそれを遮るように、薄く笑みを浮かべた。
「ですが、ギルドマスター。我々は不当な扱いを受けた奴隷を治癒し、健康な状態で市場に戻しているのです。商品価値を極限まで高めて流通させている。それを不当だ不正だと言われると……なぁ、バド?」
俺が背後に話を振ると、バドは待機姿勢を崩さぬまま、地響きのような重低音で応じた。
「御意に。まともに食事を与えられず餓死させ、その死体を家畜の餌にするような卑劣な業者が、今の市場には蔓延っております。これほど非道な、何より『資産』を無為に損なう行為はありません」
餓死、そして家畜の餌――。そのあまりにも無機質で凄惨なワードに、鑑定士長の老女エリザベスが不快そうに眉を顰める。
「我々よりも罰せられるべき者が、大勢いるというのに。……しかしまぁ、貴殿方を責めるつもりはありませんよ。我々と同じく、あなた方も日々多忙であることは重々承知している」
自分でも笑いそうになるほどの、無理矢理で理不尽な言い掛かりだ。公爵家の権威を盾にした横暴そのもの。だが、交渉とは往々にして、この「理不尽」をいかに正論の皮で包むかが重要になる。俺は絶句する彼らに対し、決定的な「取引」を持ちかけた。
「そこで、提案があります。我々に正式な売買の許可を頂ければ、市場を荒らす不当な商人、つまり奴隷をむやみやたらと傷付けて数を減らし、価値を貶めている者共。そして彼らに雇われる違法な『野良狩り(ハウンド)』を、我々が直々に取り締まりましょう。その実績はすべてギルドのものとして譲りますし、無法地帯となっている市場を健全に抑制することも可能になる」
俺の言葉に、マルコのペンを走らせる手が止まった。
実績の譲渡、そして治安の維持。商業ギルドにとって、これほど「美味しい」話はないはずだ。公爵家の私兵が勝手に掃除をしてくれて、その手柄だけが自分たちの懐に入る。
「……実績を、ギルドに譲る……と?」
ベルナルドの瞳に、隠しきれない打算の光が混ざり始めた。
「えぇ。指名手配されている闇商人……『影秤』の連中や野良狩りも、可能な限り斬獲いたしましょう」
ただ自分の目先の利益だけを追い、規約を無視し続ける他の奴隷商人共より、ここまで協力的な姿勢を見せている俺に許可を与えた方が、奴らにとっても利があるはずだ。
許可さえ得てしまえば、ギルドの会合や説明会、納税の義務といった煩わしい手続きから逃げ続けている屑どもを、公然と掃除できる。
ギルド側も、そんな無法者が蔓延る現状に辟易としているはずだ。それを無償で解決し、手柄まで譲ると言っているのだ。ギルドの信頼は回復し、俺たちは邪魔な商売敵を合法的に排除できる。まさにウィンウィンの関係だ。
「……少し、お時間を」
ベルナルドの合図で、幹部三人が声を潜めて話し合いを始めた。その姿を遠目で見守りながら、俺は壁際で沈黙していたウィッキーに歩み寄る。
「お前が連れてきたタロだが……裏切ったぞ」
その言葉に、ウィッキーの顔が苦悶に歪んだ。
「……やっぱりか。あいつ、最近様子がおかしかったからな。それで……殺したのか?」
「いや、そんな酷いことはしないよ。ただ、俺の管理下で奴隷になってもらっただけだ。あいつも最後に俺たちの役に立てて、本望だろう」
俺が酷く冷たく吐き捨てると、ウィッキーは何かを言いかけて口を噤み、力なく項垂れた。裏切り者の末路としてはあまりに妥当だが、かつての仲間を「資源」として再利用する俺のやり方に、底知れない寒気を感じているのだろう。
やがて、ベルナルドが重々しく咳払いをし、こちらに向き直った。
「こほん。……お待たせいたしました。ゼン様、許可の件ですが、前向きに検討させていただきます。手続きはこちらで全て代行し、明日には正式な認定証を発行しましょう。今後も公認の商人として、活動を続けていただいて構いません。……ただ」
ベルナルドはそこで一度言葉を切り、鋭い眼光を俺に向けた。
「許可を出す前に、早速ですが、その『実績』を見せていただきたい。現在、我々が最も手を焼いている不貞な輩がおりましてな」
「なるほど……で、その不貞な輩とは?」
俺が先を促すと、エリザベスが忌々しげに一枚の指名手配書を机に置いた。
「フルネームは、ガリアス・ヴァン・ドレン。五年前までは堅実に商いを行っていた男ですが、ある時から違法薬物、『冥府の滴』を取り扱うようになり、即座に商権を剥奪されました。しかし奴はそのまま逃亡し、今では他国から武器や薬物を違法に輸入し、本来は保護対象であるはずの種族さえも奴隷として売り飛ばしている。まさに、我が商業ギルドの不倶戴天の敵です」
エリザベスの説明によれば、奴は帝都の地下水道や廃倉庫を拠点に、独自の武装集団を組織しているという。商業ギルドの看板を汚し、市場の秩序を根底から破壊する癌細胞。
俺は手配書の男の顔を見つめ、口角を吊り上げた。
「薬物に違法輸入、さらには対象外の種族売買ですか。……分かりました、そのガリアスという男、俺が片付けましょう」




