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第47話:商業ギルド

「なにしに来た、ゼン・イグナス。それと、バド」


 低く、地鳴りのような声が響く。南門裏の湿った風が、一瞬で凍り付いた。


 ヴァレアスが作業斧を握り直すと同時、彼の左腕――魔導義肢『震天のフルカネルリ』が、蒸気機関のような重低音を鳴らして駆動した。


 それは鈍色の魔導合金で編み上げられた、無骨な人殺しの道具だ。指先の一つ一つに内蔵された噴射口から、余剰魔力が青白い火花となって漏れ出している。ひとたび拳を振るえば、内蔵された重力加速機構により、城壁すらも紙細工のように粉砕する破壊力を秘めている。


 凄まじい殺気だ。


 あのザングース兄上を圧倒した実力は、左腕を失った今でも微塵も衰えていないらしい。


 バドも表面上は無表情を貫いているが、その筋肉は岩のように隆起し、血管が浮き出ている。眼前を塞ぐ「不退転の怪異」に対し、本能が最上級の警鐘を鳴らしているのだろう。


「な、なあ……バルカスさん? この人たち、一体……」

 この異常な気配に、さっきまで能天気だったカイルたちが青ざめ、たじろいでいる。達人同士が放つ、空間そのものを圧殺するような重圧。一般人である彼らにとっては、呼吸すら困難なはずだ。


 俺は認識阻害のフードを跳ね除け、無防備に両腕を上げて見せた。


「敵対する意志はない。ただ、旧友の顔を見に、話をしに来ただけだ」

「……旧友、だと? 俺の腕を斬り落とし、一揆を潰したガキがよく言う」


 ヴァレアスの斧が、数ミリだけ俺の喉元へ近づく。

 沈黙が流れた。バドがわずかに顎を引き、いつでも割り込めるよう重心を落とす。


 やがて、ヴァレアスは深く息を吐き出すと、背後にいる四人に視線を向けた。その瞳に宿る鋭い殺意が、一瞬だけかつての慈悲深いリーダーのものに戻る。


「……お前ら。今日の仕事はここまでだ。手伝いはいいから、もう帰れ。代金はギルドに預けておく。ほら、早く行け」

「で、でも……」

「いいから行けッ!」


 その怒声に、ルルが短い悲鳴を上げ、四人は逃げるようにして荷積場から立ち去った。

 邪魔者が消え、周囲には積み上げられた木箱の壁と、俺たち三人だけが残された。俺は本題を切り出す。


「第一帝国陸軍士官学校に通い始めたよ。……もっとも、俺には向いていない場所だけどな。あんたが嫌うクソみたいな貴族のボンボンばかりだよ」


 俺が投げかけた言葉に、ヴァレアスの眼光が鋭さを増す。


「……貴様、何が言いたい?」


「生まれただけで勝ち組。そんな奴らが、毎日餓死している農民たちから税として金もメシも奪ってるんだぜ? ブクブクと間抜けに太る屑共を毎日見てるんだ、辟易とするぜ。……だが、あいつらをただ殺しても、お前がかつて死なせた数百人の農民たちは戻ってこない。……そうだろ?」


 直後、視界が跳ねた。

 ヴァレアスの巨大な右手が、俺の胸ぐらを掴み、一気に宙へと持ち上げる。


 体格差は大人と子供だ。喉が締まり、足が地面から浮く。だが、俺は背後で殺意を爆発させようとするバドを手で制した。激昂し、顔を真っ赤に染めた英雄の顔が、鼻の先まで迫る。


「……ふざけるなッ! 貴様が、貴様が殺したんだろうが! どの口がそれを言う!」


 俺は、その怒号を正面から受け止め、悪魔の囁きをヴァレアスの耳元へ落とした。


「ああ、俺が殺した。イグナス家の人間として、帝国に牙を剥いた反逆者共を正当に処刑したまでだ。 だからこそ、その罪悪感に浸って何もしないのは時間の無駄だと言ってるんだ。……いいか、ヴァレアス。学園にいるような『奪うだけの豚』を家畜として扱い、その肉体を金に変える。その金で、今も各地で飢えている連中を救う。これ以上に効率的な資源の再分配があるか?」


「……なっ……」


「奴隷業という汚泥に手を突っ込んででも、俺は実利を獲る。死んだ連中へのせめてもの手向けに、これから死ぬはずだった『誰か』を救ってやろうって話だ。お前がこの荷積場で一日中泥にまみれて、何人の腹が膨れる? せいぜい自分とあの四人組の安酒が関の山だろう。かつての首領が、自分の良心を満足させるために『矮小な平和』に逃げ込んでいるだけじゃないのか」


 ヴァレアスの掴む手が、激しく震え始める。俺は、慈悲すら感じさせる冷徹な声で畳みかけた。


「清廉潔白に、名もなき運び屋として死ぬのがお前の誇りか? その陰で、今この瞬間も飢えて死ぬ僻地の村人を見捨てて。……お前が本当に英雄なら、自分の手と名誉をドブに突っ込んででも、救済を獲れ。俺という『悪』を飼い慣らし、その不浄な金で一人でも多くの命を救ってみせろ。それができないなら、お前の正義なんてのは、ただの臆病者の言い訳だ」


 ヴァレアスの表情から、怒りが消え、代わりに深い絶望と葛藤が入り混じる。かつて彼が掲げた高潔な理想が、俺の差し出した「最悪の手段」によって、音を立てて崩れ始めていた。


(あと少しで堕ちるな、こいつ)


 俺は確信した。ヴァレアスの瞳に宿っていた光が、現実という濁流に呑まれ、濁っていく。


 俺は雑嚢に詰まった金をヴァレアスの足元に投げ捨てた。


「教えておいてやる。父上や各地の領主たちは、納税が遅延した村や町に対し、既に非情な『行政代執行ペナルティ』を開始しているぞ。返事はいつでもいい。その金を持って現実を見て来い」


 言い放つ。これは嘘でもない事実だ。


 未納の村では、見せしめとして村長を広場で生きたまま肉削ぎにかけ、残った農民たちには「罰」として、翌年の種籾たねもみまで残さず徴収している。


 さらに、穀物が足りなければ、代わりに村の娘や次男坊を『強制労働徴用』の名目で引っ立て、衰弱死するまで魔導石の採掘場へ放り込む。暗い穴の中で、指の爪が剥がれ、肺が石の粉で真っ白になるまで使い潰される……俺でさえドン引きするようなペナルティだ。


 ヴァレアスが直面すれば心が壊れるかもしれないな。

 それに、こいつは力で抵抗することの難易度と虚しさをあの一揆で痛感している。なら、分かるはずだ。結局命を救うのは金なのだと。


「……行こう、バド。そろそろ陽が沈む」


 俺は踵を返し、夕闇に沈み始めた南門裏の倉庫街を歩き出す。


 背後で、ヴァレアスが荒い呼吸をつきながら、泥に汚れた皮袋を拾い上げる気配がした。


「ゼン様。あやつを、本当に引き込めるのですか」

 隣を歩くバドが、その鋭い眼光を俺へと移し、低く問いかけてくる。


「ああ。あいつは善人だ。善人であればあるほど、救えない現実を目の当たりにすれば、俺の差し出した毒を飲むしかなくなる」

「……妥当な判断です。正義を重んじる男にとって、目の前の餓死者を見捨てることは死よりも困難なはず。貴方の用意した手段は、奴にとって唯一の救いに見えるでしょう」


 バドは淡々と応じると、再び俺の斜め後ろに従った。


 再び平民区へと戻った俺の視界を、琥珀色に輝く魔導蓄光灯マナ・ランプの光がまだらに染め上げる。昼間の焦げ付くような熱気は、夜の帳が下りると共に、人々の脂ぎった欲望と熱狂が混ざり合う、いっそ息苦しいほどの濃密な喧騒へと姿を変えていた。


 道行く先々では、魔獣の討伐報酬を使い果たす勢いでエールを煽る冒険者たちが、酔いに任せて武勇伝を喚き散らしている。路地裏から漂うのは、出所不明の肉が鉄板で焼かれる香ばしくも卑しい匂いと、安価な香料を纏った女たちの笑い声だ。立ち並ぶ露天の軒先には、不気味に明滅する魔石や、鋭く研ぎ澄まされた牙の装飾品が乱雑に陳列され、魔導と未開が地続きになった異世界特有の空気が、街路を不気味な極彩色に塗り潰していた。


 そんな喧騒を抜け、俺たちは平民区でも一際異質な、威厳ある石造りの建築物の前に辿り着いた。帝国商業組合マーチャント・ギルドの本部ビルだ。重厚な黒御影石の壁面は夜の闇を吸い込み、磨き上げられた白大理石の円柱が、帝国の経済を支配する組織としての圧倒的な財力を誇示している。


 重厚な扉を潜ると、背後の喧騒は嘘のように消え去った。


 そこには、荒々しい冒険者ギルドとは正反対の、洗練された静寂が支配する空間が広がっていた。床には足音を吸収する深い真紅の絨毯が敷き詰められ、吹き抜けの天井からは魔石を用いたシャンデリアが、計算し尽くされた柔らかい光を落としている。微かに漂うのは、高級な煙草の葉と、乾燥した古紙、そしてインクの匂いだ。


 閉館間際のこの時間、窓口に並ぶ商人の姿はなく、俺たちは無機質なほど整った受付へと淀みなく辿り着いた。


「ようこそ、帝国商業組合へ。本日の窓口業務は終了いたしましたが、どのようなご用件でしょうか」


 完璧な角度の礼で迎えたのは、知的な縁なしの眼鏡をかけた、隙のない制服姿の受付嬢だった。彼女は俺のような子供を一瞥したものの、その表情に軽蔑の色を出すことはなく、すぐにその後ろに控えるバドへと意識を向けた。本能的に、この場での交渉主体がその巨躯の男であると判断したのだろう。


 バドが一歩前に出ると、周囲を威圧せぬよう、だが拒絶を許さぬ重厚な声音で告げた。


「ここのギルド総代マスターに面会を。急用だ」

「……恐れ入りますが、総代は現在多忙を極めておりまして、事前の予約なきお目通りは固くお断りしております。御身分とご用件を伺っても?」


 受付嬢が、事務的でありながらも毅然とした態度で問い返してくる。バドは表情を一切変えず、淡々と言葉を継いだ。


「先日、不法所持の疑いで憲兵団に捕縛された、ウィッキーという冒険者がいたはずだ。その件について、どうしても直接お目通り願いたい」

「……ウィッキー、ですか?」


 受付嬢が困惑し、言い淀む。しがない冒険者の不祥事など、ギルドの最高責任者が預かり知る範疇ではない。彼女がその怪しげな二人組を追い払おうと警備を呼ぼうとした、その時だった。


「――喧しいな、何事だ」


 フロアの奥、重厚な装飾が施された扉から、贅を尽くした法衣を纏った初老の男が姿を現した。この建物の主、ギルド総代その人だ。彼は揉めている様子を察して釘を刺しに来たのだろうが、バドのただならぬ威圧感、そしてその隣に佇む俺の姿を捉えた瞬間、眉根を寄せて動きを止めた。


 俺は深く被っていた認識阻害のフードを、ゆっくりと、そして優雅に跳ね除けた。


 シャンデリアの光を浴び、月光を紡いだような銀髪が鮮やかに零れ落ちる。直後、射抜くように晒されたのは、イグナス家を象徴する、深淵を湛えた真紅クリムゾンの瞳だ。


 総代の男は、目の前の「子供」の正体を瞬時に理解し、肺の空気が全て抜けたかのように絶句した。


商売ビジネスの話をしましょう、総代」


 俺は、恐怖と困惑に硬直した男に向けて、慈悲深いほどに冷酷な笑みを浮かべた。

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