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第45話:始動

 休暇二日目。浮足立つ生徒たちで活気づくはずの学園は、ある一人の男の来訪によって、戦場のような緊張感に包まれていた。


 宿舎の玄関先。並み居る教官たちが直立不動で居並び、ある者は畏怖に身を震わせ、ある者は伝説の英雄を仰ぎ見るかのように頬を紅潮させている。彼らが一斉に、右手を左肩に置く帝国式敬礼を捧げた。その敬意を一身に受けて歩くのは、一九〇センチメートルを超える魁偉――バド・レックスだ。


 短く刈り上げられた金髪と、岩壁のような肉体。現役を退いてなお衰えぬその威圧感は、教育者としての皮を被った教官たちの「軍人」としての本能を呼び覚ましているようだった。


「……バド元千人長。お久しぶりです」

 不意に、凛とした声が響いた。ヴィクトリアだ。あの冷徹な女将校が、目に見えて萎縮し、肩を硬くしている。


「ヴィクトリアか。……貴女がこの学校で教鞭を執っているとは。軍の損失だと思っていましたが、少し見ぬ間に顔つきが変わりましたね」

「身に余るお言葉です。閣下の下で盾を持っていた頃に比べれば、今の私は……」


 バドはかつて彼女の上官だったのか。二人の張り詰めた会話を、俺は物議から静かに盗み聞きしていた。


 やがて短い挨拶を終え、二人が別れる。バドが迷いのない足取りで、俺の潜む死角へと視線を向けた。


「盗み聞きとは。相応の地位にある者が嗜む振る舞いではありませんよ、ゼン様」

「悪い悪い、つい懐かしい顔が見えたもんでな」


 俺はヘラヘラと笑いながら姿を現した。

 俺たちは、家族や知人が生徒と対面するために用意された『面会室』へと移動した。周囲に人の気配がないことを確認し、本題に入る。


 ウィッキーの拘束、商業ギルドによる密告、そして現在の奴隷転売の流通経路。


 一通りの説明を終えるまで、バドは一度も言葉を挟まず、ただ彫刻のように深く、静かに耳を傾けていた。優秀なこの男のことだ。これだけの情報があれば、裏で起きている盤面のすべてを理解しただろう。


 やがて、バドは滅多に見せない凶悪な笑みをその口元に浮かべた。


「このお話、是非乗らせていただきましょう。ゼン様。……イグナス家の御子息としては随分と道を外れたようですが、金の為にこれほど冷徹になれるとは。……ええ、実に立派に成長された」


 皮肉混じりの言葉だが、その瞳には「同類」を見定めた時のような、ぎらついた光が宿っていた。


「他の生徒の休暇は今日で終わりだが、俺には追加で三日の猶予がある。個人実技試験の恩賞だ」


 報告を受けたバドは表情一つ変えず、ただ声音の温度だけを一段下げて問いかけてきた。


「……一体、どのような不正を働かれたのですか? ゼン様」

「ふざけろ。正当な評価だ。……まぁ、間違いなくあんたのおかげだよ」


 感謝は事実だ。あの地獄のようなしごきがなければ、実技であれほどの点数は取れなかっただろう。俺は今の自分に足りないピースを埋めるための、最短ルートを提示する。


「今回の件が終わったら、また鍛錬をつけろ。本気で『帝国式断罪戦斧術』を叩き込んでほしい」


 これは感情の問題ではない。より確実に、より効率的に強くなるための手段だ。


「別途料金になりますが、よろしいですね?」


 ほざきやがる。この期に及んで金の話か。だが、バドの戦斧術は帝国の至宝。術理を体得できるのであれば、金などいくら積んでも安すぎる。この男の技術には、価値なんて付けようがない。


「ああ、いくらでも払ってやるよ」


 俺たちは面会室を後にした。

 制服を脱ぎ捨て、どこにでもいるような平服に着替える。目指すは平民区の商業ギルドだ。


 だが、銀髪と真紅の瞳は、帝都においてあまりにも目立ちすぎる。皇族の象徴とも言われる彩色は、平民区の雑踏に混じれば「獲物」か「異物」として注目の的になるだろう。


「ゼン様、その姿で平民区を歩くのは得策ではありません。……途中で裏外区の闇市ブラックマーケットに寄り、変装用の魔道具を調達しましょう」


 バドの提案に従い、俺たちは整然としたメインストリートから、一本の細い路地へと折れた。


 そこには、物理的な高低差以上の「断絶」が口を開けていた。


 急な石段を下るごとに、帝都の華やかな燐光が遠のいていく。代わりに鼻を突くのは、湿った土と、どこかで何かが腐敗したような獣臭い悪臭。上層から排出された汚水が壁を伝い、どぶ川となって足元を洗っている。


 裏外区。

 排泄物と不要品が溜まる底層には、まともな太陽の光すら届かない。崩れかけた石造りの家々の隙間から、顔を隠した者たちが音もなく擦れ違っていく。


 すれ違う連中の視線が、俺の髪や瞳に、あるいはバドの規格外の巨体に絡みつく。だが、バドが放つ剥き出しの殺気が、それ以上の接近を許さない。奴らは本能で理解しているのだ。ここにいる男は、この街の汚水よりも、もっと濁って淀んだ死線を潜り抜けてきた怪物だと。


 頭上を見上げれば、断崖の上の士官学校や貴族区の優雅な哨戒艦が、まるで別世界の出来事のように遠く見えた。俺とバドは、湿った霧が立ち込める深淵へと足を踏み入れていった。


 しかし、どこの世界にも身の程をわきまえない馬鹿はいる。


 湿った霧の向こうから、六人の影が這い出してきた。中央に立つのは、バドに引けを取らぬ巨躯の男。周囲を固めるのは、濁った眼をした剥き出しの暴力――裏外区の不逞の輩だ。その中には、血の匂いに慣れきった風情の女も一人混じっている。


「おいおい、こんな汚水溜めに何の用だ? その綺麗な目玉、抉り出して売るだけで一生遊べそうじゃねえか」

「横のデカブツもいい身体してやがる。兵隊崩れか? 魔導具の実験台にちょうどいい」


 連中の手には、法に触れる改造を施された魔導短剣や、過剰な魔力出力を強いた鈍器が握られている。過負荷でパチパチと火花を散らす武器が、彼らの浅薄な全能感を支えているようだった。


「大人しく着いてこい。痛い思いをしたくなければな、坊ちゃん」


 巨漢の男が下卑た笑みを浮かべ、俺の肩を掴もうと手を伸ばした。


 刹那。バドの太い指が、男の伸ばした手の甲を易々と貫き、そのまま顔面へと肉薄した。


「――が、あ、あああぁぁぁッ!?」

 逃げ場のない絶叫。バドは躊躇なく男の眼窩に指を突き刺すと、神経ごと目玉を引きずり出した。溢れ出た鮮血が汚水に混じり、周囲に鉄錆の臭いが立ち込める。


 悶絶し、目を押さえて膝をつく男。バドはその太い腕を男の首に回し、万力のような力で固定した。


「無駄な抵抗を」


 冷徹な言葉と共に、バドが腕を鋭く捻る。

 ――グシャリ、という、生木をへし折るような不快な音が響いた。頸椎を完膚なきまでに捩じ切られ、男の身体は糸の切れた人形のように泥の中へ崩れ落ちた。


「そういえばゼン様。奴隷業を営まれているのであれば、これほど健康な個体は高く売れるのでは? 殺すのはいささか、金銭的な損失が過ぎました」


 事もなげに言い放つバドの言葉に、俺は小さく頷く。


「なるほど。裏外区の人間なら捜索の手も入らないか。……頭が良いな、感心するよ」


 リーダーを瞬殺され、残された五人は凍り付いていた。だが、引くに引けない恐怖が彼らに武器を握らせる。


「て、てめぇ……よくも頭を! 殺せ! 殺しちまえッ!」

「バド。殺さず無力化しろ。商品に傷をつけるなよ」


 俺の命令が終わるか否か。バドの巨体が、信じられない速さで爆発した。


 魔導具を振り下ろす暇すら与えない。鳩尾への一撃、関節を逆方向に折る鈍い音、側頭部への容赦ない掌打。一分にも満たない時間で、路地には五人のクズ共が、無様に這いつくばる肉塊へと成り果てていた。


 俺は一歩踏み出し、胃袋の中で蠢いていた感触を喉元まで競り上げさせた。


 五匹のウルガの幼虫が口内に集まる。


「オェッ……」

 吐き出されたのは、粘液にまみれた黒い蠢動。それを見た瞬間、あのバドが初めて驚愕に目を見開くのが分かった。


「……奴隷たちの胃袋に、こいつらを寄生させる。逃げるか逆らうかすれば、内側から臓物を食い破られる地獄を味わうことになる。……これなら、鎖も檻も必要ないだろう?」


 カサカサと音を立て、ウルガたちが獲物の口内へ次々と潜り込んでいく。


 背後から、バドの低く、静かな戦慄を含んだ声が聞こえた。


「……恐ろしい御方だ、本当に。……効率的すぎて、反吐が出る。これならば、管理コストは限りなく零に近い。ゼン様、貴方は私以上に、人の価値を数字でしか見ていないようだ」


 俺は答えず、闇市の奥へと足を進めた。


 闇市は、迷路のように入り組んだ廃屋の隙間に、膿のようにへばりついていた。


 泥水にまみれた布の上に、出所不明の魔石や、過負荷でどす黒く変色した魔導部品が並べられている。上層から捨てられた廃棄物を、法を無視した手法で接合した歪な代物ばかりだ。顔を深くフードで隠した客たちが、互いの素性を探り合うように無言で擦れ違い、時折、小声で金貨が触れ合う音だけが響く。


 バドは澱んだ空気に慣れた様子で、いくつもの露店を無機質な眼で物色していた。やがて、瓦礫の山に店を構えた老婆の元で、一枚の布を手に取った。


「これがいい」

 差し出されたのは、くすんだ群青色のフード付きマントだった。


 ――認識阻害用魔導具『深淵の死に装束アビス・シュラウド』。


 帝国の暗殺部隊が好んで用いる禁制品の一つだ。特殊な魔導糸で織られたその生地は、装着者の顔を「定義不能」の状態に置く。どんな角度から覗き込もうと、どれほど強力な魔導灯で照らそうと、フードの内側は常に底知れない闇に包まれ、個人の特定を完璧に遮断する。


 意匠へのこだわりなど皆無だ。俺は提示された金貨を放り投げ、すぐさまそれを目深く被った。視界を遮ることはないが、鏡を見ずとも自分の貌が闇に溶けたのが分かる。


「準備は整った。行くぞ」


 先程「商品」に変えた五人を引き連れ、ウィッキーたちが拠点にしている裏外区のボロ小屋へと向かう。

 腐りかけた扉を三度、短く叩く。覗き穴から血走った目玉がこちらを伺い、直後、怯えを含んだ声が漏れた。


「だ、旦那……!」


 タロが扉を開ける。

 中には、すでにウルガを寄生させた九人の奴隷たちが、死人のような顔で蹲っていた。バドが五人組の背を蹴り飛ばし、無造作に指示を飛ばす。


「お前らもあそこだ。混じれ」

 合計十四人。まともに売り払えば、それだけで大金の匂いが立ち昇る。


 タロが、俺の隣に立つバドの圧倒的な威圧感を見上げ、声を震わせた。


「こ、この御仁はいったい……」

「無駄口を叩くな。今から商業ギルドへ向かう。それよりタロ、なんでお前だけが捕まっていない?」


 低く、逃げ場のない殺意を込めて問う。

 ウィッキーの部下はタロ、ビンセント、ネルミー。それに同期のテッド。あの日、現場にいた四人はすべて商業ギルドに捕らえられた。だというのに、なぜこの男だけが平然とここに残っている。


 俺の視線が、部屋の隅で震える一人の女奴隷に止まった。乱れた衣服、怯えきった瞳。今しがたタロに犯されたばかりなのは明白だった。

 

「……あ、いや、それは……俺は運よく、逃げ延びたというか……」


 言い訳を紡ごうとするタロの顔面を、俺は容赦なく殴り飛ばした。


 二十代の成人男性を、十二歳の子供が力で圧倒する。魔力の補助すら必要ない、剥き出しのステータスの差が、逃げようのない暴力となってタロを打ちのめした。

 

 壁に激突し、木材が砕ける鈍い音が響く。奴隷たちが短い悲鳴を上げ、小屋の空気が凍り付いた。


 俺は、立ち上がろうともがくこの裏切り者のクソ野郎にどんな苦痛を与えるのが最も効率的かを考えながら、ゆっくりと歩み寄った。

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