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第43話:決着

 いち早くその異変に気づいたのは、特別観覧席の最前列に鎮座していたヴィクトリアと、実技教官を務めるジェルディ・フォン・マクシミリアンだった。


 演習場の中央を映し出す巨大な魔導スクリーンには、バルトロメウスの一撃によってゼン・イグナスが煉瓦造りの家屋へと凄まじい勢いで叩きつけられる光景が投影されていた。石壁が砕け、派手な砂埃が舞い上がる。誰もが「帝国の至宝」と謳われるバルトロメウスの圧倒的な実力を再確認していた。同時に、あまりに呆気なく幕を閉じた決着に対し、観衆の間には予定調和な幕切れへの拍子抜けと、一抹の失望が混じった溜息が広がっていた。


 バルトロメウス自身もまた、その期待外れな手応えに落胆したかのように、重いため息を吐いた。彼は身の丈ほどもある大剣を肩に預け、ゼンが瓦礫の山から這い出てくるのを数秒だけ待ったが、崩れた家屋の奥からは何の反応も返ってこない。興味を完全に失ったかのように踵を返し、背中を向けて立ち去ろうとした、その時だった。


 演習場全体の空気が、一瞬にして凍りついた。

 それは魔力の残滓などではない。生物としての本能が警鐘を鳴らし、逃走を促すような、異質で禍々しい「死」の気配だった。


「――っ!?」


 バルトロメウスの身体が、思考よりも先に、戦士としての本能に従って反応した。彼は無意識のうちに大剣を正眼に構え直し、全身の毛穴から黄金のオーラを噴出させる。


「武技――『炎獅子(えんじし)たてがみ』!」


 自らの脈動を加速させ、生命の火を文字通り外へと溢れ出させる。黄金の炎が彼の周囲を渦巻き、物理的な反撃すら受けていない段階で、寿命を削り取るような鉄壁の防御体制を強いた。彼ほどの傑物が、そこまで追い詰められたかのような警戒を露わにするなど、建校以来の異常事態だった。


 教官席でも、ジェルディが椅子を蹴り飛ばして立ち上がっていた。


「これは……なんだ、この悍ましいプレッシャーは!」


 彼が肌で感じ取ったのは、洗練された魔力の奔流などという生易しいものではない。墓場から引きずり出された怨念が凝縮されたような、周囲の生命を腐敗させる負のオーラ。ジェルディは顔を青くし、すぐさま試験停止の緊急信号を送ろうとする。


「……落ち着け。試験を続行する」

 その手を、鉄のような冷徹さで遮ったのは、隣に座るヴィクトリアだった。


「何を言っているんですか、ヴィクトリア卿! どう考えてもあれは“魔物”の気配でしょう! 生徒たちの安全を第一に考えるのが我々の義務だ。今すぐ中止し、鎮圧すべきだ!」


 ジェルディの憤慨はもっともだった。教師として、預かった生徒の命は自分の命よりも重い。それが彼の揺るぎない信念だ。しかし、ヴィクトリアの瞳に宿る光は一切揺らがない。


「騒ぐな。最悪、事態が制御不能になれば、この場にいる私たちが総出で対処すれば済む話だ」


 ヴィクトリアの淡白で断定的な拒絶に、ジェルディは言葉を失い、呻くようにして再び席についても、その視線は釘付けになったままだった。


 観覧席の上段。そこには二年生の首席をはじめとした、学園でも「怪物」と称される傑物たちが肩を並べていた。バルトロメウスと並び立ち、帝国の次代を担うと目される予科や本校の生徒ですら、今、目の前で巻き起こっている「異常」には呼吸を忘れていた。誰もが、ゼン・イグナスという少年の底知れぬ影に、本能的な戦慄を覚えていた。


 市街地演習場の中央。

 生命の炎を身に纏うバルトロメウスは、額に一筋の冷汗を流していた。


 瓦礫の山が不気味に蠢き、中から「それ」が這い出てくる。


 それは、この世の生物の理から外れた魔物だった。

 巨大な寝袋ほどの大きさがある、太り過ぎた芋虫のような見た目。しかし、その体皮には瑞々しい生命感など微塵も存在せず、まるで泥の中で数十年腐敗し続けたサツマイモのような、どす黒い紅色をしていた。


 何かの幼虫であることは誰の目にも明らかだったが、そこから発せられる濃厚な死の気配は、観覧していた一年生の中に恐怖で泣き出す者が出るほどだった。


 その幼虫の背後から、額に鮮血を滲ませたゼン・イグナスがゆっくりと姿を現した。


 彼は不敵に、そして狂気すら感じさせる獰猛な笑みを浮かべ、バルトロメウスに向かって叫んだ。

「……やっぱり強いよ、お前。正直、今の俺じゃお手上げだ。だから、今の俺に出せる最大をぶつける。――死ぬなよ、バルトロメウス?」


 言い終わると同時に、ゼンは足元で蠢く巨大な幼虫の腹部を、まるでボールでも蹴り上げるように全力で蹴り飛ばした。


 刹那。


 幼虫の紅色の皮膚が、内側から激しく突き破られ、中から鋭利な「影」が飛び出した。

 それは、重力を無視したかのような速度で、一直線にバルトロメウスへと肉薄した。


 ドォォォォォンッ!!

 鼓膜を震わせる凄まじい衝撃音が響き渡り、バルトロメウスの大剣と「影」が真正面から衝突する。


 その正体は、災虫の中でも最上位の捕食者――『帝國大噛切カイザー・シザース』。


 深紅の頑強な甲殻に包まれたその姿は、全長二メートルに及ぶ巨大なカミキリムシだった。この魔物の最大の武器は、その頭部にある巨大な二本の大顎だ。その噛み砕く力は、自身の体組織を生命力で極限まで硬質化させることで、同サイズの生物の二十倍以上の圧力を叩き出す。人間サイズに換算すれば、一噛みで二十トンを超える。まさに建築用重機を生物に落とし込んだような、純粋な破壊の権身。


 ギチ、ギチギチッ!!

 大剣に込めた生命力の守りごと、カミキリムシの牙が模擬刀をまるでお菓子のように容易く噛み砕き、削り取っていく。


「なっ……馬鹿な!?」

 驚愕に目を見開くバルトロメウスの懐へ、魔物は容赦なく踏み込み、その巨体で彼を石畳へと押し伏せた。


 だが、このカミキリムシには、ゼンから「決して殺すな」という絶対的な遵守プログラムが刻まれている。


 魔物は大顎でバルトロメウスの首を撥ねる代わりに、その口内にある毒腺から、極限まで濃度を薄めた紫色の毒霧をゼロ距離で噴射した。


「――グ、オォォォッ!!」

 視界と肺を毒に侵されながらも、バルトロメウスの怒号が演習場に響く。


「武技――『爆砕剛波ばくさいごうは』!!」

 心臓を無理矢理叩き、爆発的な衝撃波へと変換して、組み付いていたカミキリムシを十メートル以上後方へと吹き飛ばした。


 しかし、バルトロメウスは愕然とした。これほどの生を削る一撃を食らわせたというのに、カミキリムシの頑強な甲殻には、傷一つ負わせることはできなかったからだ。


 自分の全力の武技が通用しない。その、かつて一度も経験したことのない絶望的な事実を突きつけられ、バルトロメウスは思わず、狂ったように笑った。


 自分が好敵手と認めたゼン・イグナスの「本気」を感じ、そして、生まれて初めて自分よりも明確に「格上」だと感じさせる未知の敵と対峙したことで、彼の全躯は沸騰するようにたぎっていた。


「ありがとう、ゼン! 公の場でこれほどの手の内を晒させてしまったこと、心から申し訳なく思う。……だからこそ、僕も礼儀を尽くす。全力で行かせてもらうよ!」


 バルトロメウスは、文字通り自らの命そのものを燃料とし、禁忌に近い武技へと意識をシフトさせる。


 彼はもはや、後先の採点や周囲の視線などという雑念をすべて放棄した。目の前の敵を倒すためだけに、その生命力を限界まで爆発させる。


「――『獅子炎武(ししえんぶ)拳殺けんさつ』!!」

 彼の両腕から、太陽そのものを宿したかのような燃え盛る白炎が立ち昇る。


 甲高い鳴き声を上げ、大顎を鳴らして再び肉薄してくるカミキリムシに対し、バルトロメウスは目にも止まらぬ乱打を叩き込んだ。


 一撃一撃が自らの寿命を削り取る削岩機のように。

 周囲の空気を爆発的に膨張させ、生じた衝撃波が周囲の民家を次々と瓦礫に変えていく。炎の衝撃がカミキリムシの巨体を何度も浮き上がらせ、甲殻が焼ける嫌な臭いが立ち込める。それは自らの生を使い潰すことで辿り着いた、神の領域の武の具現だった。


 しかし、カミキリムシは倒れない。

 甲虫特有の幾重にも重なる重層外骨格は、炎に焼かれて少し焦げ、一部がひび割れた程度だ。その殺意を微塵も減退させてはいなかった。


(……あぁ、完敗だよ、ゼン・イグナス)


 バルトロメウスの心には、不思議と悔しさすら湧いてこなかった。ただ、清々しいほどの完全な敗北感と、この目の前の「ゼン」という少年への、底知れない畏敬の念だけが残った。彼は次に想定される、大顎による致命的な衝撃に備え、最後の生命力を振り絞って防御を固めようとした。


 だが、その時だった。

 数メートル背後で立っていたゼンが、ボソリと呟いた。


「……爆散しろ」

 直後、バルトロメウスの拳がカミキリムシに触れた瞬間に、魔物の身体が内側から、仕組まれていた爆薬が弾けるように粉々に砕け散った。


 それは第三者から見れば、あたかもバルトロメウスの命を賭した最後の一撃が、ついに怪物の防御を打ち破り、爆散させたかのように映った。


 飛び散った不気味な緑色の体液が、演習場の石畳と、向かい合う二人の少年を無慈悲に濡らしていく。


 演習場全体が、バルトロメウスの勝利を信じて疑わない歓声に包まれた。


 だが。


 バルトロメウスは知っていた。この戦いの真の結果を。

 彼は震える手で、自らの首に掛けられていた「王の証」――金のネックレスを取り外した。


「……僕の、負けだ」

 バルトロメウスはゼンに向けて、そのネックレスを差し出した。


 周囲の歓声が、一瞬で凍りついたような静寂へと変わる。バルトロメウス本人が、自ら敗北を認めたのだ。


 王を倒し、その証を奪うことが、この市街地戦の勝利条件である。一班のリーダーであるバルトロメウスが王であり、彼が証を渡したということは、十六班の勝利が確定したことを意味していた。


 ゼンは、緑色の体液を拭いもせず、淡々とそのネックレスを受け取った。


 バルトロメウスの背後では、アイリスたちが未だに背中に張り付いたウルガ――開戦直後にゼンが密かに仕掛けていた「死の宣告」を、不快そうに睨みつけていた。彼女たちは、バルトロメウスが自分たちを救うために一騎打ちを選んだ理由を、今この瞬間にようやく理解したのだ。自分たちの背中にあるその羽音が、最初から勝敗を決めていたことを。


 バルトロメウスは、自らの仲間を振り返り、自嘲気味に笑った。一騎打ちに持ち込むことでこれ以上の被害を防ぐしかなかった。それこそが、ゼンが用意した完璧な詰みの布陣だったのだ。


 ゼンは受け取ったネックレスを無造作にポケットへ放り込み、肩をすくめた。


「……勝負には負けたが、試合には勝つ。俺はそういう主義なんだよ、バルトロメウス」


 吐き捨てるようにそう言い放ち、ゼンはその場にへたり込んだ。


 バルトロメウスは、去りゆくゼンの背中を、もはや賞賛でも羨望でもなく、ただ一人の「好敵手」としての執着を持って見つめ続けていた。


 第十六班の王、ミナは、遠く離れた安全地帯で護衛のカレンとライナスに守られたまま、無傷で勝利を享受していた。


 偽りの英雄譚の影で、一人の少年が盤面を支配し尽くした。


 第一帝国陸軍士官学校。

 その全校生徒、そして観測していたすべての傑物たちの脳裏に、ゼン・イグナスという異端の名が、消えない傷跡として刻み込まれた。

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