第41話:好敵手
観覧席の最前列。そこは、第一帝国陸軍士官学校における「頂点」に許された特等席だ。
他の生徒たちが、演習場で行われている凄惨な蹂躙劇に息を呑み、ある者は恐怖に顔を引きつらせ、ある者は困惑に眉をひそめる中、第一班を率いるバルトロメウス・フォン・ヴォルフラムだけは、彫像のような静寂を保ってその光景を凝視していた。
「……見ていられませんわね。あまりに、度を越していますわ」
バルトロメウスのすぐ傍ら。不快感を隠そうともせずに声を漏らしたのは、アイリス・フォン・ローゼンタールだった。ローゼンタール伯爵家の長女であり、バルトロメウスとは幼少期からの付き合いである彼女は、帝国貴族としての矜持と、魔法兵装における高い適性を併せ持つ才女だ。その彼女の瞳に今、映っているのは戦術的な評価などではなく、生理的な拒絶反応そのものだった。
「十一班の連携が未熟なのは事実ですけれど、あのゼン・イグナスの振る舞いは何かしら。相手を執拗に挑発し、精神的に追い詰め、あのような無惨な姿を晒させるなんて……。騎士の末裔としての誇りがあるのなら、あのように品性を欠いた勝利に、一体何の価値があるというのでしょう。イグナス公爵家の名は、いつからあのように野蛮な暴力の代名詞に成り下がってしまったのかしら」
アイリスの言葉は、周囲に控える第一班の精鋭たちの感情を代弁していた。彼らにとっての戦いとは、磨き上げた魔力と洗練された武技をぶつけ合い、己の研鑽の成果を証明する神聖な儀式であるべきなのだ。
「全くだ。勝てば良いというものではないだろう。あのような罵詈雑言を重ね、戦意を喪失した相手にさらに追い打ちをかけるなど、帝国の軍人を目指す者としての品格を疑わざるを得ない」
「魔法適性がないからといって、あのような剥き出しの暴力で女子生徒にまで容赦しないとは……。見ていて胸が悪くなる。あれはもはや戦いではなく、単なる一方的な虐待だ」
次々に上がる批判の声。エリートとしての自負を抱える彼らにとって、ゼンの戦い方は、自分たちが信じ、積み上げてきた「美しい世界のルール」を泥靴で踏みにじる行為に等しかった。
だが、バルトロメウス・フォン・ヴォルフラム。は、それらの罵声を右から左へと聞き流していた。彼の意識は、アイリスたちが抱くような倫理的な嫌悪などには一秒たりとも割かれていない。
彼の金色の瞳に映っているのは、モニターの中で冷徹に獲物を処理していくゼン・イグナスの、その「異様さ」の正体だけだった。
(……見事だ。実に見事だよ、ゼン・イグナス)
バルトロメウスは、独り静かに戦慄していた。
周囲の連中は十一班の無様さを笑い、ゼンの品性を貶めて満足している。だが、バルトロメウスだけは、その勝利の裏に隠された「完璧すぎる因果」を読み解いていた。
ゼンの指示は、あまりに不自然なほどに的確だった。
遮蔽物の向こう側にいる敵の呼吸を数え、魔法を構える予備動作の一瞬を突き、最も脆い死角から駒を滑り込ませる。それは単なる戦術眼や直感といった言葉で片付けられるものではない。まるで演習場のすべてを上空から透視しているかのような、あるいは未来を確定させているかのような精度。
(隠しているね。君だけに共有されている、情報の源泉を)
バルトロメウスは、モニターの端々に映り込む「微細な不純物」を追った。
彼の血筋に流れる「闘神の加護」が、平時ではありえない速度で警鐘を鳴らし、同時に歓喜に震えている。
そして、彼は見つけた。
石畳の隙間、瓦礫の影。他の生徒が「ただの不快な害虫」として視界から排除しているであろう、小さな黒い影。それは音もなく這い回り、魔力探知の網をすり抜け、ゼンの意思と連動するように敵の配置を暴き出している。
あの小ささ。あの知能。そして、決して触れてはならないと本能が叫ぶほどの、底知れない脅威。
あれが居る限り、どんなに優れた待ち伏せも、どんなに高度な魔導兵装による奇襲も、ゼンの前ではその意味を失うだろう。彼からすれば、この模擬戦は最初から攻略済みの、退屈な事務作業に過ぎなかったのだ。
(やはり、そうか。先日、浴室で君にカマをかけた時の、あの反応……)
バルトロメウスの脳裏に、あの蒸気に包まれた静寂の記憶が蘇る。あの時感じた、ゼンの内側に潜む「ナニカ」。
ゼン・イグナスという男は、帝国貴族としてのしがらみも、人間としての倫理観も、とうの昔に胃袋の中に飲み込んでいる。勝つために、目的を遂行するために、異形すらも己の一部として飼い慣らす。その徹底した合理性と狂気に、バルトロメウスは言いようのない興奮を覚えた。
「……やっぱり、あのイグナス家の三男、気持ち悪いですわ。ねぇ、バルト? 貴方もそう思いませんこと?」
アイリスが、同意を求めるように彼の袖を引いた。
気持ち悪い、か。
バルトロメウスは、内心で深い溜息を吐いた。
アイリス、君は何も分かっていない。そして、ここに居る他の連中も同様だ。
ここは士官学校だ。帝国を脅かす敵から、家族を、民を、この国を守り抜くために、あらゆる手段と「殲滅の手順」を学ぶ、血塗られた揺り籠なのだ。
高潔な騎士道? 美しい決闘? そんなものは、圧倒的な実力差がある時にのみ許される貴族の遊戯に過ぎない。
勝つために、何一つとして手段を選ばない。泥を啜り、闇を飼い、嘲笑されようとも確実に敵の心臓を止める。
ゼン・イグナスのその冷徹な姿勢こそが、バルトロメウスにとって、初めて対等な「好敵手」として認めるに値する、真の戦士の姿だった。
「……そうだね、アイリス。君の言う通りだ」
バルトロメウスは、感情を殺した声で短く応えた。しかし、その内側では、かつてないほどの熱量が渦を巻いていた。
強すぎるがゆえに、常に退屈していた怪物。
自分と並び立つ者など存在しないと、傲慢にすらなれずに悟っていた孤独。
その怪物の眼前に、ようやく、自分を喰い殺し、自分の喉元に牙を立てるかもしれない「別の怪物」が姿を現したのだ。
(あぁ、待ち遠しい。早く君と、同じ地平で向き合いたい)
モニターの中で、カイルを徹底的に踏みにじり、勝利を収めたゼンが悠然と歩いている。その姿を見つめるバルトロメウスの口元には、知らぬ間に歪な笑みが浮かんでいた。
この模擬戦の決勝。そこで君は、どれほどの絶望を私に与えてくれるのか。
それとも、私の「加護」が君という異形を飲み込んでしまうのか。
「楽しみだよ、ゼン・イグナス。……君の本当の『本気』、見せてもらうとしよう」
第一帝国陸軍士官学校の最高傑作、バルトロメウス・フォン・ヴォルフラムは、狂おしいほどの期待に瞳を輝かせ、静かに、そして残酷なまでに美しい微笑を浮かべるのだった。




