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第39話:模擬戦

 全員の個人実技試験が終了した。

 現在は演習結果の「計時精査クロノ・オーディット」の最中だ。最終的な確定順位が公示されるまでの待機時間は、演習場全体が異様な熱気と沈滞した空気の入り混じった、奇妙な空間に変わる。


 己の不甲斐なさを呪い、戦わずに棄権したことを頭を抱えて後悔する者。オークとの戦いの途中で教官の介入を招き、事実上の失格を言い渡された者。予想以上の好タイムに歓喜する者や、重傷を負って医務室へ担ぎ込まれる者。


 そして俺のように、こびりついた不浄を洗い流すべく浴室へ向かう者もいた。


 学園の浴室は、まさに王侯貴族の嗜みと言わんばかりの最新鋭の設備が揃っている。壁面には自動換気術式が組み込まれ、常に清浄な空気が維持されている。蛇口を捻れば、魔力を帯びた「霊素水」が、疲労物質を分解しながら全身を包み込む。


 そんな贅沢な場所で、俺は独りシャワーを浴びていた。

 ふと視線を感じて顔を上げると、周囲の連中が俺の肉体を凝視し、圧倒されていた。俺の身体に刻まれているのは、今日のオーク戦の傷だけではない。幼い頃、バドやザングースとの苛烈な訓練によって強制的に刻み込まれた、無数の古傷だ。


 だが、今の彼らが呑まれているのは傷跡そのもの以上に、先ほど俺が見せたオーク討伐の残像なのだろう。今朝まで俺に注がれていた「蔑視べっしや卑屈な侮蔑」は霧散し、今は腫れ物に触れるような、言葉を選べば「畏敬いけい」に近い視線へと変貌していた。


 だからといって、今更手のひらを返して話しかけてくる物好きな奴などいない。


 それでいい。一人、静かに汚れを落としていると、隣の個室に圧倒的な威圧感を伴う巨躯が入り込んできた。


「隣、失礼するよ」

 その声を聞いた瞬間、俺の心臓は激しく跳ね上がった。


 バルトロメウス・フォン・ヴォルフラム。

 なぜこいつがここにいる。入ったばかりのシャワー室から、逃げ出すように立ち去ろうとしたその時、追い打ちをかけるように声が降ってきた。


「素晴らしい戦いだった、ゼン・イグナス」

 それは嫌味でも皮肉でもなく、芯の通った純粋な称賛の響きだった。


「……あぁ、ありがとう」

 ボソリと、自分でも情けなくなるような掠れた声で応えるのが精一杯だった。


「正直に言えば、君のことを見誤っていたよ。同年代で私と渡り合えるのはエレノアぐらいだと思っていたが……君のあの戦斧術、そして何より、あの執念。この場所に来てよかったと、私自身が震えるほどの刺激をもらった」


 バルトロメウスは淀みなく言葉を続け、そして――隠すことなくその全裸を晒した。


 最新鋭の照明に照らし出された、筋骨隆々の肉体。それはまさに、天に愛された者だけが持ちうる芸術品のような美丈夫の姿だった。


 だが、俺の視線が釘付けになったのはそこではない。

 奴の股間に鎮座するそれは、通常時であるにもかかわらず、今の俺が欲望を昂らせて猛り立った状態よりも遥かに巨大で、重々しい存在感を放っていた。


 魔力、技術、家柄。そんなステータスだけではない。男としての根源的なイチモツのサイズですら、完膚なきまでに負けたという残酷な事実。


 それが、先ほどまでの称賛で辛うじて保っていた俺のプライドを、無慈悲にポキリと折りやがった。


 俺の愚息は情けなく皮の中に縮こまって包まれているというのに、奴のそれは堂々と剥けきった姿を晒している。完敗だ。生物としての格差に打ちひしがれる俺の内心など露知らず、バルトロメウスは眩しいほどの笑顔を向けた。


「良い好敵手に巡り会えた。次は団体戦で会おう」

 そう言って差し出された大きな手を、俺はなかば呆然としながら握り返した。その厚い手のひらからは、圧倒的な自信と熱量が伝わってくる。そして、奴は去り際に俺の耳元へ顔を寄せた。


「その腹の中の存在は、黙っておくよ」

 悪戯を仕掛ける子供のようなウィンクを一つ残し、規格外な男は軽やかな足取りで去っていった。……心臓が止まるかと思った。俺の中に潜む女王の気配を、こいつはあの乱戦の中で正確に感じ取っていたというのか。


 やがて「計時精査」が終了し、生徒全員が西の演習場へと集められた。


 教官が並み居る生徒たちを前に、型通りの労いの言葉を述べる。だが、俺の耳には入ってこない。大型の魔導スクリーンが起動し、オーク討伐の確定順位が公示された。


 その頂点に刻まれていたのは、同率一位の二人の名。


「バルトロメウス・フォン・ヴォルフラム」

「ゼン・イグナス」


 会場が爆発したようなざわめきに包まれる。あり得ない、何かの間違いだ、と叫ぶ声がそこかしこから上がった。


「静かにしろ!!」

 教官の怒号が演習場を劈き、一瞬で静寂が戻る。一位の下には、5.2秒という驚異的な記録を出した二位のエレノア、そして6.9秒で続いた三位のニルスの名が並ぶ。この上位四名には、戦技実測における最高ランクの加点が付与される。


 だが、息をつく暇はなかった。教官の背後に新たな魔法陣が展開される。


「続いて、最終項目――市街地防衛制圧模擬戦タクティカル・アーバン・レイドの詳細を説明する」


 それは魔道具と幻影魔法を組み合わせ、演習場内に精巧な市街地を再現して行う団体実技だ。


「五人一組となり、チームの中から一名を『王』に選定せよ。制限時間内に敵陣の王を制圧した側を勝者とする。ただし、時間内に決着がつかず両チームの王が存続していた場合は、共倒れ――すなわち双方失格とみなす」


 教官の冷徹な宣告が、西の演習場に重く響き渡った。既に大型スクリーンには「同率一位」として俺とバルトロメウスの名が掲げられており、その衝撃を孕んだまま、会場は次の団体戦に向けた殺気立った熱に包まれている。


 班の合流地点へ向かうと、ライナスが興奮を隠しきれない笑顔で真っ先に駆けてきた。


「おいゼン! お前やっぱりすげぇよ! あのバルトロメウスと同率なんて、信じられるか!?」


 英雄譚を語る子供のように騒ぐライナスは、俺の肩を何度も叩いた。学園の至宝と肩を並べた親友の快挙に、彼は自分のことのように酔いしれている。その隣では、カレンとミナがライナスの勢いに少し引き気味ではあったが、その頬を上気させていた。


 俺の個人成績が班に加算されることは、この場の全員が認識している。全く期待していなかった班のメンバーの成績がトップだったという、この想定外の僥倖。二人は俺という存在がもたらした驚異的な加点と、それによって自分たちの評価も引き上げられる現実に、期待と高揚を隠せず顔を赤らめていた。


 だが、その歓喜の輪から一人だけ切り離されたかのように、ガストンはどす黒い沈黙を保っていた。


 実技一位、学科八位という俺の成績。対照的に、ガストンのそれは下から数えた方が早い惨憺たるものだった。こいつは元来、自分の能力を客観視できる男だ。だからこそ、俺が自分より確実に下だとみくびることで、心の平穏を保ち、安心していたのだ。森で見た俺の戦いも、半ば強引に記憶を改竄して否定し続けてきたのだろうが、不正が一切許されない試験の結果という名の現実は、あまりに残酷に、動かしようのない格差を彼に突き付けていた。


 今や班の足を一番引っ張っているのは自分であり、俺の点数のおかげで十六班が辛うじて上位に食い込んでいるという屈辱的な現実。


 それはガストンの狭い自尊心を内側から食い荒らした。作戦を立てるために俺が冷静に声を掛けようとしても、彼は獣のような視線でこちらを射抜くだけだった。


「……うるさい! 調子に乗るなよ」

 吐き捨てられた言葉は、もはや関係の修復が手遅れであることを物語っていた。


 崩れ去った優越感の代わりに、彼は攻撃的な拒絶という脆い盾で自分を保つことしかできなくなっている。


 もしここが現代ぜんせだったなら、奴のこの極端な多動性や歪んだ認知には、的確な病名や診断名が下されていたんだろうな。そんな場違いな皮肉を頭の片隅で回しながらため息を吐き、俺はガストンを意識の外に追いやって、残りの四人でどう戦うかの協議に入った。


「王は一番強い奴がやるべきだ。ゼン、お前が王になれば絶対に負けねえよ」


 ライナスが脳筋じみた思考でそう提案するが、カレンが即座に首を振る。


「反対。ゼンみたいな強い駒こそ、積極的に敵の王を狙いに行くべきよ。自分から動けない位置に最強の戦力を縛り付けるのは効率が悪すぎるわ」


 二人の意見は真っ向から対立し、議論は平行線を辿った。不毛な時間が過ぎる中、ずっと沈黙を守っていたミナが、控えめながらも芯の通った声で口を開いた。


「……私が、王になるよ」

 その強い意志を感じさせる発言で、ようやく役割が固まった。俺とライナスが敵の王を仕留めるための「矛」となり、カレンがミナを魔法で支援しながら極力物陰に隠れ、時間を稼ぐ。


 この作戦から一人除外されている男が、震える拳を握りしめて喚いた。


「勝手に決めんじゃねぇ! お前らがいなくても、俺一人で王を獲ってきてやるよ!」


 当然、相手側の王が誰かは、接敵して制圧するまで判明しない。無闇に突撃すれば各個撃破されて人数を減らすだけだと俺やライナスが制止しても、今のガストンの耳には届かなかった。


 ガストンは、俺に向けられるようになった周囲からの歓声や羨望の眼差しが、羨ましくて、妬ましくて仕方がないらしい。十二歳という年齢相応の未熟さなのか、それとも単に幼稚なだけなのか。


 どちらにせよ、こいつの独断専行のせいで十六班の成績は下がる一方だ。俺たちはもちろん、普段は穏やかなミナやカレンですら、ガストンに対する苛立ちを抑えきれずにいた。


「――全班、『陣地就位ポジション・テイク』!」

 教官の号令が演習場に轟くと同時に、大型魔導スクリーンに対戦表が弾き出された。


 第十六班の対戦相手は、第十一班。カイル・フォン・ベルシュマン率いる班だ。


 対面位置への移動中、合流した第十一班の面々は一様に顔を引きつらせていた。ガストンがそうであったように、無能だとみくびっていた相手がいきなり自分たちを遥かに凌駕する才覚を現したという事実。その現実に対する焦りと、理不尽なまでの実力差への恐怖が、奴らの表情を複雑に歪ませている。


「おいゼン、絶好の機会だ! これでようやく、正面からあいつらをぶちのめしてやれるぜ!」


 ライナスがこれまでの鬱憤を晴らすかのように、拳を突き上げ熱い声を上げた。かつて一方的に侮辱された屈辱を、実力で粉砕できる絶好の舞台。彼の眼には、親友の覚醒を確信した戦士の輝きがあった。

 

 それに過剰に反応したのは、カイルの取り巻きたちだった。奴らは顔を真っ赤にし、唾を飛ばしながら喚き散らす。


「黙れ! たかが一回の実技でまぐれを出したからって、格上の僕たちに勝てると思うなよ!」

「そうだ、所詮は出来損ないの三男坊だろ! 団体戦での立ち回りも知らない無能が、調子に乗るな!」


 周囲が必死に虚勢を張って吠え立てる中で、リーダーであるカイルだけは異様なほど静かだった。


 俺に向けられた視線には、激しい嫉妬と、それ以上に「オークを三秒で屠った」という、人知を超えた戦闘能力に対する本能的な拒絶が張り付いている。かつての余裕は微塵もなく、ただ恐怖に支配されて口をつぐむことしかできていない。


 プライドだけで塗り固めてきた少年の精神が、格下と断じていた相手の「本物」の暴力に触れ、音を立てて崩壊していく。その様を冷ややかに見つめながら、俺は震えるカイルの瞳を正面から覗き込んだ。


 この状況下で、なおも己の優位を信じようとするその矮小な自意識。俺は追い詰めるように、邪悪な笑みを浮かべて囁いてやった。


「――お前が『王』だと、やりやすいんだがな」

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