第3話:ヤンでる姉達
※このエピソードには性的な描写があり、倫理的に不快と感じられる表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
三歳から五歳――。公爵家の三男坊でありながら「無能」の烙印を押された俺は、屋敷の片隅で読書に耽る日々を送っていた。
習得すべきは、世界の九割が用いる大陸語。日本語のような複雑怪奇な体系ではなく、シンプルな表音文字であったことは幸いだった。日本語ほど聱牙ではない。メイドに手ほどきを受けつつ刻苦勉励すること二週間、俺の識字能力はもはや問題なしとのお墨付きを得た。
教育係を務めるメイドのリィネは、手元の教本と目の前の幼い顔を交互に見つめ、信じがたいものを見るような視線を向けてくる。わずか三歳の子供が、大陸語の文法のみならず、難解な古典語の語彙までも瞬時に咀嚼していく様は、彼女の目には異様に映ったに違いない。
だが、これは生き残るための最低条件。
文字という鍵を手にしたことで、ようやくこの現実と「ゲーム」との相違を明確にできる。まずは、かつての世界で対戦環境の頂点に君臨し、大会の光景を塗り潰し続けてきた、あのクソッタレな魔法からだ。リィネに命じて書庫から運び込ませた膨大な資料を前に、入浴の時間さえ惜しんで没頭する姿は、他の使用人や二人の兄の目にはひどく不気味で、不審なものに映っていた。
以下は資料から抜粋したもの。
魔力を正しく法る。その略称を《魔法》と呼ぶ。
破壊と変化を性質とする「黒魔法」は、大黒、天黒、大天黒、極黒、極天黒、そして極限天黒魔導法へと連なる。
創造と構築を司る「白魔法」もまた、大白、天白、大天白、極白、極天白、極限天白魔導法と深化していく。
さらに、融合と調和の「灰魔法」には、大灰、天灰、大天灰、極灰、極天灰、極限天灰魔法が存在する。
ゆえに、我が家の兄姉達だけでなく、大陸中の魔法使いが厳しい修行に励むが、本来魔法は貴族の特権。平民や農民が独学で習得するのは不可能と言われるほど、それはあまりに難易度が高く、選ばれし者にのみ許された神聖な技術とされている。
しかし、灰魔法の中でも“着火”や“集水”といった生活魔法は触媒を必要とせず、詠唱すら省かれる。ジルドに至っては、わずか二歳の時にこの二つを会得してみせた。
対して、魔力が皆無に近い俺には、生活魔法すら灯すことができない。かといって、肉体的に優れた資質があるわけでもなかった。当然、土地や爵位を相続できるはずもなく、親族の間では既に、騎士団や傭兵団への放逐、あるいは他家への婿入りといった「厄介払い」の案が浮上しているらしい。
だが、その全ての選択肢を、姉のマリアがことごとく台無しにしていた。
原因は、この血筋だ。
銀髪と真紅の瞳――帝国の象徴たるその色は、生まれながらにしてヒエラルキーの頂点に君臨する特級階級の証だ。俺たち五人の異母兄妹は、全員がその資質を受け継いでいた。
だが、俺の境遇は他の四人とは違う。俺の母は父にとって利用価値を失い、既に殺されたらしい。五人の中で最も無能であり、出自も最悪。それなのに、この銀髪と真紅の瞳だけは、呪いのように遺伝してしまった。
そんな「無能な弟」に対する、長女マリアの執着は異常だった。
「ゼン、なんで逃げるの? お姉様のことが嫌いになった?」
五歳を迎えようとする頃、九歳になったマリア・イグナスは、すでに幼女という枠組みを破壊し始めていた。精神的な愛情、そして肉体的な変遷、その両面において。
月光をそのまま絹に紡いだような銀髪は腰まで届き、歩くたびに甘い死の香りを振りまく。そして何より、見る者を深淵へ引きずり込むような真紅の瞳。俺の濁り切った色とは決定的に違う、慈愛と狂気が紙一重で混ざり合った、この世のものとは思えない禍々しい美をそこに宿していた。
何より異常なのは、九歳にしてすでに「完成」されつつあるその肢体だ。
将来的に某ポルノサイトで検索数ナンバーワンのキャラクターとして君臨することになる彼女の資質は、隠しようもなく溢れ出していた。現実離れした発育を予感させる豊かな胸のラインは、幼い衣服の上からでも凶悪なまでの存在感を主張し始めている。
ゲーム内での姉は、求婚してきたプレイヤーに底なしの愛を注ぐキャラだった。だがその愛は重く、別のNPCの好感度を少しでも上げようものなら、圧倒的なステータスで即死級魔法を乱発してくる「負けイベント」へと発展する。
リスポーンしても逃げ場はなく、ネット流行語大賞で金賞を受賞した名セリフ「リスポーンしてもリセットされないよ?」を放つ姿は、もはやホラーゲーム顔負けの重度の「ヤ」んでるキャラだった。
「ふふ、そんなにじっと見つめて。……貴方のその濁った瞳、本当に好きよ。ずっと私だけを見ていればいいの」
彼女が俺の頭を抱き寄せると、幼子には毒が強すぎる柔らかな感触と芳香に意識が混濁しそうになる。だが、俺の「プレイヤー」としての意識は警鐘を鳴らし続けていた。この女は危険だ。愛されれば心中させられ、嫌われれば解体される。
一方で、マリアの強烈な個性の影に隠れがちではあるものの、次女のルーナもまた、イグナス家の血を象徴する銀髪と真紅の瞳を継いでいた。
マリアが圧倒的な「動」の美を振りまくとするならば、ルーナは「静」の極致を体現している。
氷細工のように整った顔立ちは、幼子特有の柔らかさを削ぎ落としたような、透き通るほど冷たい美しさを放っていた。姉に引けを取らない絶世の美貌を備えながら、彼女が自ら口を開くことは滅多にない。だが、その沈黙を破って発せられる言葉は、いつも平穏を根底から揺さぶるものだった。
「……ゼン、くちづけって知ってる?」
短く、淡々と、温度を欠いたまま告げられる問い。真紅の瞳には感情の機微など欠片も見当たらない。だが、その瞳の奥には、答えに窮する俺の反応を観察し、楽しもうとする粘着質な光が宿っている。それは無邪気な質問などではなく、明確な意図を持って俺の唇を、その先にある既成事実を狙っている者の視線だった。
かつてプレイしたゲームにおいて、彼女は無口な魔学者、あるいは博識な導き手としての役割を担っていた。どれほど好感度を稼ごうとも「結婚」というシステムの対象外に置かれた特殊なキャラクターであり、それゆえに熱狂的な信者も多かったはずだ。
だが、目の前の現実はどうだ。
崇高な知性の象徴であったはずの姉のイメージは、「くちづけ」がどうだの、「近親交配」の優位性がどうだのといった、そこらの中学生男子よりも下劣な問いを淡々と投げかけてくることで、今、音を立てて凄まじい勢いで崩れ去ろうとしていた。
そんな二人の姉による干渉は、もはや昼夜を問わず俺の生活の隅々にまで侵食し始めている。五歳になったある夜のことだ。俺は寝室に忍び寄る「狂気」の気配を察し、跳ねるように目を覚ました。
「……あぁ、ゼン。貴方の寝顔、本当に何度見ても飽きないわ」
枕元にいたのは、頬を赤らめたマリアだった。月光を浴びる銀髪が、俺の顔に銀の糸のように降り注ぐ。その真紅の瞳は潤み、瞳孔は獲物を追い詰めた肉食獣のように開ききっていた。
マリアの様子は明らかに異常だった。九歳にしてすでに暴力的なまでの発育を見せる彼女の肢体は、薄い寝衣を押し上げるように激しく脈打っている。現実離れした乳房が、俺の小さな胸板に容赦なく押し付けられた。幼い子供が発していいはずのない、熟れた果実が腐り落ちるような、甘ったるくも毒々しい熱。
「ねえ、知っている? お父様たちは貴方を『無能』だなんて呼ぶけれど。私はね、貴方の瞳の奥で燻っている、あの冷たくて汚い光が大好きなの」
彼女の指先が、俺の喉元を這い上がる。その指はわずかに震え、指先からは隠しきれない情動が漏れ出していた。
「貴方を、私だけの箱に閉じ込めてしまいたい。手足を切り落として、目も潰して、私の愛だけを食べて生きる人形にしてあげたい……」
彼女の呼吸が荒くなる。熱い吐息が耳元を掠めるたび、彼女の身体からは隠しきれない「発情」の匂いが立ち昇った。それは家族に向ける情愛などではなく、手に入らないものを力ずくでねじ伏せんとする略奪者の渇望だった。
マリアは俺の首筋に顔を埋め、深く、深く、俺の匂いを吸い込む。その恍惚とした表情は、聖女のそれであり、同時に最悪の魔女のそれだった。
そんな夜が何度も続く。流石に身の危険を感じた俺はルーナに相談する事にした。
「……ルーナ姉様」
図書室の片隅、塵一つ落ちていない静寂の中で、次女のルーナは古びた魔導書に目を落としていた。彼女は俺の呼びかけにすぐには反応せず、数秒の後、氷のように冷徹な真紅の瞳をゆっくりと俺に向けた。
「マリア姉様のこと?」
その一言だけで、彼女がすべてを把握していることを察した。
ルーナは椅子から降りると、足音ひとつ立てずに俺の目の前まで歩み寄ってきた。その無機質な美貌は、マリアの烈烈としたそれとは対照的な「死の静寂」を体現している。
適切な距離感が掴めていないのか、彼女は過度なスキンシップを織り交ぜながら話しかけてくる。このもう一人の姉も、やはりどこか「ヤ」んでいるのかもしれない。
「……姉様の愛は、一度火がつくと止まらない。あれは、対象を焼き尽くして灰にするまで愛でる病。でも安心して、あなたを傷付ける事は無いから」
本当かよ。あいつ、さっき「手足を切り落とす」とか不穏なこと言ってたぞ。
俺が内心で毒づく暇も与えず、今度は背後から熱を帯びた吐息が耳元を打った。
「ゼン、こんな小難しい古文書はもうおしまいにして。お姉様が、もっと情熱的で、身も心もとろけるような魔法の真髄を教えてあげるわ」
マリアの声が響いた瞬間、書庫に辛うじて残っていた静謐な空気は、跡形もなく霧散した。
彼女はそのまま背後から密着し、その若さに似合わぬ豊かな肢体の重みを押し付けてくる。甘い死の香りが鼻腔をくすぐり、思考が白く塗り潰されそうになるが、対面からはルーナの氷のように冷たい視線が突き刺さっていた。
「……マリア姉様の教え方は、感情に寄りすぎている。ゼンに必要なのは、理論の構築。私の隣に来て。魔力の循環を……直接、肌で教えてあげる」
ルーナは表情一つ変えず、俺の手首を細い指先で掴む。マリアの熱量と、ルーナの冷気。右半身と左半身で極端に異なる温度差に、眩暈がした。
「あら、ルーナ。私のゼンに、そんな味気ない理屈を吹き込まないでくださる? この子には、もっと『深い』愛が必要なのよ」
「……愛より先に、知識。ゼンは私のもの。姉様こそ、その毒のような魔力をゼンにあてないで」
言葉こそ静かだが、視線が交差するたびに火花が散るような圧迫感が書庫を満たす。どちらが勉強を見るかという名目の主導権争いは、次第に物理的な距離の詰め合いへと変質していった。
その執着は、太陽が沈んだ後も終わらない。
「さあ、ゼン。今夜も冷えるわ。お姉様の腕の中で、朝まで温まりましょうね。他家の娘の影など、一滴も残らないくらいに可愛がってあげる」
「……拒否する。マリア姉様の寝相は、ゼンの負担になる。私の隣。私が、ゼンの心臓の音を聴きながら……一晩中、見守る」
深夜の寝室で、九歳と七歳の姉たちが、五歳の弟を挟んで淡々と、しかし決して譲らぬ舌戦を繰り広げる
マリアの真紅の瞳は、獲物を逃さない肉食獣のような欲望に濡れ、対するルーナの瞳は、目的を完遂するまで決して瞬きをしない精密機械のような無機質さを宿していた。
どちらに転んでも、安眠など望むべくもなかった。ゲームでは「傾国の美女」や「女神ヘレナの生まれ変わり」と讃えられていた彼女たちが、今、目の前で一人の幼子を「所有物」として奪い合っている。
前世で童貞を貫いたあの醜悪な肉体のままであれば、抗うことなどできず、本能のままに欲情し、彼女たちの差し出す甘い毒に流されていたのかもしれない。だが、今の俺はまだ精通すら迎えていない、無垢な子供の身だ。剥き出しの狂気と執着をぶつけられるにはあまりに脆弱で、本能的な恐怖さえ覚えてしまう。
それでも、抗いがたい血の繋がりを否定しきることはできなかった。
この二人は、単なるゲームの攻略対象でも、記号的なNPCでもない。すぐ隣で肌を寄せ、体温を分かち合っている生身の人間なのだ。システム上の論理や設定を並べ立てて防波堤を築こうとしても、内側から溢れ出す感情が、彼女たちへのどうしようもない親愛を肯定させてしまう。
――だからこそ、このままではいけないのだと、幼い心臓が警鐘を鳴らしていた。




