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第36話:試験開始

 学科試験『戦略理論記述』は、もはや試験というよりはルーナ姉様との復習作業に近かった。ペンを走らせるたび、彼女の指先がなぞった魔導回路の残動が脳裏に閃き、難問が次々と解き明かされていく。俺一人が満点を取れば注目を浴びすぎるが、班の平均を底上げしつつ及第点以上を確保するという微調整も、姉様の精密な教えのおかげで容易だった。


 そして迎えた午後の実技試験『戦技実測』。


 士官学校の広大な敷地、東西南北に分かれた演習場には、独特の緊張感が漂っていた。この試験は個人戦であり、捕獲された魔物の討伐タイムがそのまま成績に直結する。同時に始まるこの試験は、学科が絶望的でもこのタイム次第で主席になれる可能性もあるほど、配点の比重が大きい。


 一年生の中で、特に注目を集めている生徒は五人いた。


 一人目は、魔導貴族の最高峰メルキオール家の長女、氷結魔法を操るエレノア。

 二人目は、南方の蛮族を祖に持ち、暴力的な膂力で戦斧を振るうガレス。

 三人目は、没落貴族の出ながら最速の双剣術を誇る技巧派、シルヴィア。

 四人目は、帝国軍情報部の影が見え隠れする無口な少年、急所を的確に射抜く暗殺術のニルス。


 そして五人目。学年で最注目とされるのが、帝国軍元帥の息子バルトロメウス・フォン・ヴォルフラムだ。


 「黄金の獅子」と称されるその巨躯。彼は実直な男であり、周囲が俺を「無能」と蔑む中でも、決して油断した目は向けてこない。むしろ、俺から漂う得体の知れない不気味さを正しく察知し、強い警戒を孕んだ視線をこちらに送っていた。


 バルトロメウスが北の演習場へと向かうのを見送り、俺は割り当てられた南の演習場へと足を運ぶ。


 南の区画には、普段の授業では顔を合わせない別の班の生徒たちが集まっていた。彼らは俺の姿を認めると、一様に安心したかのように、下卑た笑みを浮かべた。


「……おい、あれがイグナス家の『欠陥品』だろ? 本当に来たのかよ」

「ああ……。あいつが隣なら、多少手こずっても目立たないで済むな。イグナス家なのに魔力もねえなんて、笑えるぜ」


 彼らの言葉は傲岸だが、その声の端々には隠しきれない震えが混じっていた。


 この学校において、一歩間違えれば自分たちが「無能」として切り捨てられる側に回るという恐怖。その重圧から逃れるために、彼らは俺という明確な格下を見出し、それを嘲笑うことで、自分たちはまだ「マシな側」にいるのだと必死に言い聞かせている。12歳の少年たちが抱く、選民意識に裏打ちされた脆い自己防衛の形だった。


 俺はそれらの視線を、感情を読み取らせない無機質な瞳で受け流し、南の演習場の自分の区画へと進んだ。


 南の演習場は巨大な円形をしており、その中心を真っ二つに両断するように厚さ数メートルの重厚な鉄壁が聳え立っている。これは高度な魔工学に基づいた可動隔壁であり、床下に埋め込まれた巨大な「感応式魔導バラスト」が術者の魔力を吸い上げ、質量を瞬間的に増減させることで高速駆動する仕組みだ。討伐の完了を魔導センサーが感知すれば、この巨大な壁は文字通り地面へと「収納」される。


 二人同時に行われるこの試験、俺の順番は11番目だった。

 同じタイミングで舞台に上がる、俺の背後で並んでいるのは、フェリックス・フォン・ブラウンシュヴァイク。帝都でも指折りの資産を持つ男爵家の三男だ。


 彼は上質な絹で作られた淡い青の術士服を纏い、手には細かな彫金が施されたミスリル製の杖を握っている。育ちの良さを象徴するような艶やかな金髪と、自信に満ちた――あるいは、他者を見下すことでしか自身の不安を埋められない者の――傲慢な瞳。魔法使いとしての教育に多額の私財を投じられてきた彼は、実直なバルトロメウスとは対照的に、純粋な攻撃魔法による「華やかな討伐」を信条としていた。


「おい、イグナス家の。せめて私の魔法が終わるまで、その場に立っていられるといいな」


 フェリックスは震える指先を隠すように杖を強く握り、勝ち誇ったような笑みを俺に投げかける。彼にとって俺という「無能」は、自分の高貴な魔法を引き立てるための舞台装置に過ぎなかった。


 俺は答えない。今回、ウルガを使うことはできない。魔導センサーと監視の目がこれほど厳重な中、あの災虫を操れば、即座に「異端」として処刑対象となる。そして、檻の中に何が入っているのかも分からない。


 タイムの速さを競うなら、今までの大剣は不利だ。初動の隙が大きく、手数で劣る。なら――俺は、バドの得物であり、彼から最も苛烈に、骨を砕くような衝撃と共に叩き込まれた「戦斧バトルアックス」を選択した。


 それは殺戮に特化した、無骨な黒鋼の塊だ。成人男性の胴ほどもある巨大な斧頭。前面には分厚い三日月状の刃、背面には装甲を穿つ四角錐のスパイクを備えている。重心が極端に先端へ寄っており、並の人間が振れば自重に振り回されるだけの鉄の塊だが、破壊力と殺傷効率においては他の追随を許さない。


 場内が驚愕と畏怖を混ぜたような声で騒ぎ出しているのは、北の演習場から届いた速報のせいだった。


 北の演習場、第一区画。そこに放たれたのは、脅威度ランクCに属する亜人種の魔物、戦士級の大型個体「オーク」だ。通常、ランクCの魔物は訓練を積んだ士官数名で当たるべき相手であり、その強靭な筋力と分厚い脂肪層、そして何より致命傷を与えても止まらない猛々しさは、単独の生徒が挑むにはあまりに荷が重い。


 だが、バルトロメウス・フォン・ヴォルフラムはその前提を根底から覆した。檻が開いた瞬間、彼は闘神「ヘルラクレス」の加護を完全に掌握し、爆発的な脚力で地面を陥没させて突進。魔物が棍棒を持ち上げる隙すら与えず、接敵するまでのタイムはわずか2.8秒。そこから、加護によって物理限界を超えたステータスで操る巨大な大剣を、最短軌道で振り下ろすまでの時間は0.6秒。


 合計タイム、3.4秒。


 一年生のタイムの中で歴代最速。ランクCの魔物を、正面からの力押しで「作業」のように処理したその実力に、生徒たちはまるで実在する英雄の伝説を目の当たりにしたかのように、興奮を隠せずに語り合っていた。


「信じられない。ランクCを相手に、魔法すら使わずあんな速さで……」

「あれが帝国軍元帥の血筋か。加護の出力があまりにも違いすぎる」

「今回の主席は決まったな。バルトロメウス、彼こそが俺たちの世代の希望だ」


 南の演習場にまで漏れ聞こえる生徒たちの声は、もはや単なる賞賛を超え、一種の信仰に近い熱を帯びていた。彼らにとって、バルトロメウスの3.4秒という記録は、自分たちが目指すべき、そして決して届かない絶対的な指標として刻み込まれたのだ。


 そんな狂騒が冷めやらぬ中、魔導拡声器から無機質な呼び出しが響く。


『――第11組。フェリックス・フォン・ブラウンシュヴァイク。ゼン・イグナス。演習区画へ入れ』


 名前を呼ばれた俺とフェリックスは、それぞれの区画へと足を踏み入れた。


 この演習場はすり鉢状のドーム構造になっており、中央の演習場を囲むように配置された観客席からは、他の生徒たちが戦いを見下ろす形になっている。


 だが、俺たちが舞台に上がっても、上から注がれる視線に熱はなかった。


 バルトロメウスが残した鮮烈な余韻のせいで、実力未知数のフェリックスと、無能の烙印を押された俺という組み合わせは、観客にとって「消化試合」にすら映っていない。殆どの生徒は、隣の席とバルトロメウスの戦技について議論することに夢中で、眼下の俺たちには一瞥もくれない。彼らにとって俺は、記録の合間を埋めるための空白に等しかった。


 だが、その無関心の奔流の中で、ただ一つ。

 肌を焼くような鋭い視線が、俺の背中に突き刺さっていた。


 観客席の一角。腕を組み、冷徹な双眸でこちらを射抜いているのは、特等席に座るヴィクトリアだ。


 彼女だけは、周囲の喧騒に流されることなく、ただ真っ直ぐに俺の一挙手一投足を観察している。その瞳は、まるで俺の思考を透かし見ようとしているかのようだった。


(――ゼン。お前、スキルを使わずどうやってここを切り抜けるつもりだ?)


 言葉はなくとも、その視線がそう問うているのが分かった。彼女は、俺が「無能」ではないことを確信している唯一の他者だ。だからこそ、この監視の目が張り巡らされた公の場で、俺がどのように牙を隠したまま、あるいは牙を見せずに勝利を収めるのかを見極めようとしている。


 俺はヴィクトリアの方を振り返ることなく、担いだ戦斧の重みを確かめながら、目前の鉄格子の奥へと意識を向けた。


 「第11組、前へ」


 審判の号令と共に、床に刻まれた円形の溝から、重低音を響かせながら巨大な檻が迫り出してきた。


 それは『魔封鋼式・昇降檻グラビティ・ケージ』。地下に広大な管理区域を持つこの演習場特有の設備であり、強力な重力魔法によって魔物の動きを一時的に抑制したまま、戦場へと直接「供給」するための装置だ。


 ガガガ、と地面が震え、俺の目の前に檻が固定される。

 鉄格子が左右にスライドして開放されると、そこには北の演習場でバルトロメウスが屠ったものと同じ、Cランクの魔物――『豚鬼オーク』が待ち構えていた。


 なるほど、今回の試験はオークで統一されているのか。

 しかし、その難易度は控えめに言っても鬼畜だ。帝国軍の基準において、Cランクは小隊規模の兵士が対処すべき脅威。それを12歳の餓鬼に単独で相手させるなど、学校側は端から全員にクリアさせる気などないのだろう。実際、観客席から聞こえる噂では、ここまで順調にタイムを刻めた者など一握りで、多くの生徒が戦う前から恐怖に呑まれ、棄権を選択しているようだった。


 目の前のオークは、狭い檻に閉じ込められていたストレスからか、飢えと怒りでその瞳を赤黒く血走らせている。突き出た牙から溢れる涎が地面を濡らし、巨大な棍棒を握る腕の筋肉が、殺意を象徴するように膨れ上がった。


 俺は、その凶暴な質量を真正面から見据える。

 思考の海に沈み、脳裏に浮かび上がるのは、バドの無骨な背中と、彼から文字通り「死の淵」で叩き込まれた戦斧術の極意。


 遠心力を破壊へと変換する。

 加速を構造の粉砕へと繋げる。

 俺は担いでいた戦斧を静かに下ろし、その冷たい柄の感触を掌に馴染ませた。

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