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第34話:もう一人の姉

 奴隷業に関しては、とりあえずウィッキーと、彼が厳選した信頼の置ける仲間に一任することに決めた。どうせ俺は第一帝国陸軍士官学校の生徒という身分だ。今回のように監視網の盲点を突くことはできても、頻繁に学校を抜け出して現場を仕切ることは現実的ではない。


 その代わり、俺は五十匹のウルガをウィッキーに預けた。これだけの数がいれば、奴隷たちの体内監視から逃走防止、さらには不慮の事態における戦力としても十分すぎるほどだ。


 奴ならうまくやるだろう。


 今後の取り分については、彼と話し合った結果、最終的に五分五分フィフティ・フィフティに落ち着いた。経費を差し引いても、俺は学園で普通に過ごしているだけで莫大な金が転がり込んでくる構造だ。


 何もせずに金が入ってくるシステム――最高と言わずして何と言おうか。


 だが、そんな裏の充実ぶりとは裏腹に、表の学生生活では厄介な壁が立ちはだかっていた。


 一週間後に迫った、前期総合評価試験――通称『鋼鉄の審判アイアン・ディシジョン』だ。


 この試験は、帝国のエリートを育てる場だけあって、その難易度は苛烈を極める。二部構成となっており、一つは対魔獣戦闘や部隊運用における個人の武勇を測る実技試験『戦技実測タクティカル・メジャー』。


 そしてもう一つが、軍事地政学、魔導工学、さらには帝国軍法まで、広範かつ専門的な知識を問う学科試験『戦略理論記述ストラテジー・スクリプト』だ。


 帝国随一の士官学校を冠するだけあって、学科試験の内容はただの暗記では通用しない。戦場での理論的思考と瞬時の計算能力が求められる、現役の将校ですら匙を投げる難問が並ぶ。


 これの何が厄介かと言えば、個人の成績だけでなく、編成された「班」の合計得点が連帯責任として最終評価に反映される点にある。


「……無理だ。実技ならまだ体が動くけど、この『魔導回路の理論展開』なんて、文字を追ってるだけで頭が割れそうだ。なぁゼン、お前どうすんだよ」


 食堂のテーブルに突っ伏して、ライナスが絶望的な声を漏らす。彼はあの森で蜘蛛を相手に盾を構えた勇気はあるが、こと座学に関しては、その複雑な理論の迷路に完全に行き詰まっていた。そんな彼の様子を見て、同じ第十六班のガストンが、苛立ちを隠そうともせずに俺を睨みつけてくる。


「おい、ゼン。黙って聞いてりゃ、他人事みたいな顔してんじゃねえぞ。お前みたいな魔力適性なしの無能が学科で足を引っ張れば、俺たちの班評価まで地の底だ。俺の評価に傷がついたらどうしてくれるんだ!」


 ガストンは俺の机を強く叩き、身を乗り出してきた。あの「亡霊の森」で、俺が大剣を振り回して奴の危機を救った光景。奴はそれを、窮地におけるただの火事場の馬鹿力か何かだと思い込もうとしているらしい。奴にとって俺はいまだに「公爵家の落ちこぼれ」でなければならないのだ。


「いいか、俺は実技で稼ぐが、学科で赤点を取れば元も子もねえ。お前と同じ班になったのが運の尽きだ。試験当日、問題用紙を白紙で出すような真似だけはするなよ!」


 このクソガキ……。お前をあの森で救ってやったのは一体誰だと思ってんだボケ。


 確かにこの世界の『戦略理論記述』は、前世の知識だけでは埋められない特有の魔導数式や軍律が複雑に絡み合っている。俺とて、決して学科が得意なわけじゃない。なんとか及第点ギリギリを這いずっているのが現状だ。それを理解していないガストンに、わざわざ教えてやる義理もないが。


 ガストンが「鼻持ちならねえ」と吐き捨てて席を立つと、それまで様子を伺っていたカレンが、呆れたようにため息をついて俺たちの席へ近づいてきた。


「……本当、あいつは口だけは達者なんだから。ライナス、あんたもいつまでも寝てないで。ゼンも、そんな顔してたら本当に赤点よ?」


 カレンは凛とした表情で、俺とライナスの前に自習用の分厚い魔導書とノートを広げた。その後ろには、気弱なミナが申し訳なさそうに、だがしっかりと自分のノートを抱えて立っている。


「班の合計点なんだから、あんたたちに落ちられたら私まで迷惑なの。いい? 今日の放課後、図書室で勉強会をやるわよ。ミナは魔導工学の基礎理論が得意だから、彼女に教えてもらいなさい。私が軍法と戦略地政学を見てあげるから」

「カ、カレンちゃん……。私、教えるのなんて……」

「いいのよ、ミナ。この二人、放っておいたら何するか分かったもんじゃないわ」


 カレンのその言葉に、ライナスは「女神様……」とでも言い出しそうな顔で縋り付いている。二人の助力は正直に言ってありがたかった。帝国随一の難関であるこの学校の試験において、独学で及第点を維持するのは至難の業だ。


 だが、俺には昔から頼りにしている魔学の師がいる。次女のルーナ姉様だ。


 マリア姉様が戦場を駆ける嵐であるならば、ルーナ姉様は帝国の叡智を静かに湛える深淵だった。


 かつて幼かった頃の彼女は、どこか頼りなげで、その肢体も華奢な氷細工のようだったと記憶している。だが、久しぶりに再会した彼女の姿は、俺の知る「無口な魔学者」のイメージを大きく塗り替えていた。


 成長した彼女の身体は、マリア姉様に勝るとも劣らない豊潤な曲線を描いている。控えめだったはずの胸元は法衣の上からでも分かるほどにその重量感を主張し、しなやかな臀部は歩くたびに知性とは相反するような、抗いがたい色香を振りまいていた。それでいて、顔立ちは相変わらず透き通るように冷たく、真紅の瞳はすべてを見透かすように静謐だ。


 今や彼女は、ただの「秀才」の枠を遥かに超えている。

 弱冠にして帝国の魔学発展を根底から支える頭脳となり、彼女が独自に開発した魔導兵器は他国を圧倒するほどの性能を誇っていた。国家の至宝。それが今のルーナ姉様の肩書きだ。


 そんな雲の上の存在になっても、彼女の教え方は驚くほど丁寧で、そして分かりやすかった。


 魔導回路の複雑な多層構造や、俺のような凡愚が躓きがちな魔力伝達効率の計算も、彼女の手にかかれば驚くほどシンプルに解きほぐされていく。温度を欠いた淡々とした声で紡がれる解説は、不思議と俺の脳にすんなりと染み込んできた。


 今回の試験範囲も、姉様に少しでも指南を仰げれば、ギリギリの及第点どころか、確実な安全圏まで行けるはずだ。それに――純粋に、多忙を極める彼女と久々に話をしたいという思いもあった。


 俺はカレンたちの指導を受けつつも、手元の紙を一枚使い、手紙をしたためた。


「……ルーナ姉様へ。お久しぶりです、ゼンです。士官学校の試験が近く、貴女の明晰な解説が恋しくなりました。もし、僅かでもお時間をいただけるのであれば、またお話を伺いたい。無理は承知ですが、返信を待っています」


 書き終えた手紙を封筒に入れ、俺は寮の郵便受付へと足を運んだ。家族への手紙を出すだけなら、何もコソコソする必要はない。手続きを済ませ、帝都の魔導院へと宛てられたその一通をポストへ投函した。


 多忙な彼女のことだ、返信が来るとしても数日はかかるだろう。あるいは試験に間に合わない可能性もある。だが、今はまず、カレンたちが用意してくれた目の前の山積みの課題を片付けるしかなかった。


 手紙を出してから二日後。


 士官学校の校門付近が、聞き覚えのある……というより、既視感デジャヴすら覚える異様な喧騒に包まれていた。一ヶ月前、マリア姉様が嵐のように現れた時と同じ、あるいはそれ以上に質の違う熱狂と困惑。


 その中心にいたのは、俺のもう一人の姉、ルーナ・イグナスだった。


 本来、この第一帝国陸軍士官学校は軍の重要拠点であり、外部の人間が立ち入るには厳格な手続きが必要だ。ましてや、この国において士官学校を遥かに凌ぐ難易度と偏差値を誇り、選ばれし天才のみが門を潜ることを許される『聖アルカディア王立魔導学院』の生徒が、無許可でやってくるなど前代未聞である。


 だが、その場の誰もが立ち入り禁止を強く主張できずにいた。


 理由は単純だ。彼女が放つ、人を惹きつけ、同時に凍りつかせるような圧倒的な美貌と、その妖艶な肢体ゆえである。


 魔導学院の純白の法衣は、その清廉な色とは裏腹に、彼女の肉体の起伏を驚くほど生々しく強調していた。


 歩くたびに、法衣の薄い生地の下で豊潤な重みを湛えた胸がしなやかに揺れ、それを支える腰つきは、思わず視線を奪われるほどに細く、鋭い。そして、スリットの隙間から覗く白磁のような脚と、肉感的な臀部の曲線。それは「知性の象徴」という言葉では片付けられない、雄の情動を直接掻き乱すような、毒を含んだ蜜のような艶めかしさを放っていた。


「……申し訳ありませんが、部外者の方は、その……事前の許可を頂かないと……」


 詰め寄った哨戒兵の教官までもが、彼女の真紅の瞳に射すくめられ、語尾を濁らせる。だが、ルーナ姉様はそんな制止など一切耳に入っていないかのように、無機質な表情のまま無言で校舎へと足を進める。


 その美貌に理性を飛ばした男子生徒たちが、手柄を競うように次々と彼女の前に躍り出た。


「お、お嬢さん! 見学なら俺が案内しますよ!」

「いや、俺の方がこの学園の歴史に詳しい! ぜひ俺に!」

 必死にアピールする彼らに対し、姉様は視線一つ動かさない。まるで、路傍の石ころが風に吹かれて動いているのを見ているかのような、徹底した無反応。


 その時、騒ぎを聞きつけて駆けつけた上級教官の一人が、彼女の顔を見て絶句した。


「……待て、貴様ら下がれ! その御方は……帝国の至宝、魔導院の特別研究生であるルーナ・イグナス様だぞ!」


 その言葉が引き金となり、喧騒はさらに激化する。単なる「美人の姉」ではなく、帝国の軍事バランスを左右するほどの兵器を生み出した「生ける伝説」。


 結局、前回同様、学園長自らが冷や汗を流しながら対応に当たるという事態になり、俺はスピーカーから流れる「ゼン・イグナス候補生、至急学園長室へ」という放送を聞いて、溜息と共に駆け足で向かう羽目になった。

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