第28話:冒険者ギルド
白金貨一枚。日本円にして約一万円。
屋敷を出る際、餞別という名の厄介払いとして渡された全財産のすべてを、俺はものの数分で使い切ってしまった。
手元に残ったのは、中身が空になって軽くなった革袋と、売買契約が完了したことを示す四枚の羊皮紙。そして、泥の中に横たわる四つの「死に損ない」という所有物だけだ。
衝動買いにも程がある。
石畳の上に立ち尽くし、俺は自分の浅はかな行動を嘆くような溜息を漏らした。
前世で、ババァの年金を限定ガチャに全額突っ込んで爆死した時のあの虚脱感に近い。冷静に考えれば、これからの散策で自分の「殻」となる、筋肉の膨張に耐えうる丈夫な服を買う予定だったはずだ。それが今や、今日の昼飯を食うための銅貨数枚すら怪しい有様だ。
だが、俺の脳内はこの「愚行」を即座に「超優良投資」と都合よく変換していた。
今はただの廃棄物、ゴミ同然の在庫だ。だが、俺が蓄えた個体をこいつらに寄生させ、再構築に成功すれば、その価値は倍どころか十倍、百倍になって還元される。一万円が数百万円、数千万円に化ける可能性を秘めたギャンブル。投資としてはこれ以上ないほどに合理的で、そして何より異世界っぽいだろ。
「あの、候補生様……? この、えぇっと、『お荷物』たちはどうされますか? さすがにこのままでは歩かせるのも……その、街の景観にも関わりますし、運搬用の荷車でも手配いたしましょうか?」
肥満体の奴隷商人が、脂ぎった顔に卑屈な笑みを貼り付けて聞いてくる。
こいつらを引きずって街を歩くのは、さすがに目立ちすぎる。特に士官学校の制服を着た俺が死にかけの奴隷を連れて歩く姿は、あらぬ誤解(あるいはもっと酷い真実)を招きかねない。何より、今は本来の目的を達成させる事が最優先だ。いつまで寄り道をしている場合ではない。
「すまないが、こいつらはしばらくここで預かっておいてくれ。夕方には引き取りに来る」
「えぇ、えぇ! もちろん、お安い御用でございます! 候補生様のご依頼とあれば、我が商会が責任を持って管理させていただきますよ! 餌代などは……あぁ、白金貨のお釣りだと思ってサービスさせていただきます!」
商人は手をこねながら快く引き受けた。白金貨一枚を即決で放り投げる「お得意様」の頼みを無下にするほど、こいつの商売感覚は鈍くないらしい。ゴミを預かるだけで公爵家との縁が繋がるなら、奴にとっては安いものだろう。
俺は「在庫」を一旦放置し、本来の目的地へと足を向けた。
帝都を支える三つの楔
帝都の中枢、冒険者たちが集う「北門通り」へと近づくにつれ、建物の造りは堅牢になり、街路を歩く者たちの放つ「圧」が目に見えて強くなっていく。
この帝国という巨大な機構を維持するために、その役割ごとに異なる「ギルド」という組織が根を張っている。
一つは、物流と経済の心臓部である「商業ギルド」だ。
ここはあらゆる商売の権利(ギルド章)を管理し、通貨の流通を監視、時には国家間の経済制裁すら主導する「金の番人」たちの集まりだ。商売人はここへ所属し、売り上げに応じた分担金を納める代わりに、商路の安全保障や不正な競合からの保護を受ける。さっきの肥満商人も、表向きはここに所属し、合法的な「商品」として奴隷を扱っているに過ぎない。金こそが力のこの場所では、ある意味で最も権力に近い組織と言える。
一つは、国家間の紛争や大規模な警護を請け負う「傭兵ギルド」。
個人ではなく「団」としての単位で動く者たちの集まりだ。規律は軍隊並みに厳しく、その戦力は下手な小国の正規軍を凌駕する。大規模な戦争への加担や、国境越えの重要人物の護衛、あるいは城塞の防衛代行など、政治的・軍事的な色合いが強い仕事が主だ。冒険者が「野犬」なら、傭兵は「猟犬」といったところか。
そして、俺が今、その重厚な鉄の扉の前に立っているのが――「冒険者ギルド」だ。
ここは魔物の討伐、希少素材の採取、そして人々の生活に潜む「不条理」を解決するための互助組織。国家の意向に縛られる傭兵や、利益のみを追う商人とは違い、個人の実力と実績こそが唯一の証明書となる場所。
扉を開けると、安酒と汗、そして手入れされた鉄の匂いが混じり合った独特の熱気が鼻を突いた。壁際やテーブルには、鋭い眼光を放つ荒くれ者たちがたむろしている。十二歳の子供が、しかも特権階級の制服を着て現れたことに、一瞬だけ場が静まり、値踏みするような視線が俺を刺した。
俺はそれを無視し、受付の横に掲げられた巨大なボードに目を向けた。そこには、この世界における「力」の絶対的な物差しが詳しく記されていた。
鉱石・金属階級制(個人ランク)
冒険者はその実力と貢献度に応じて、鉱石や貴金属の名前を冠したドッグタグ(ギルド証)を授与される。これがこの世界での「強さ」の公的な肩書きになる。
【神話級・伝説】アダマンタイト級
国家存亡の危機を救う「英雄」。物理的・魔法的に不壊とされる伝説の鉱石。このランクに到達するのは、一国に数人いるかどうかの生ける伝説。もはや人間という枠を超えており、単独で軍隊に匹敵する武力を持つ。天災を武力でねじ伏せる者たち。
【最高位・戦略級】オリハルコン級
超一流の「達人」。神秘的な力を秘めた幻の金属。ドラゴンの討伐や、未踏の迷宮の最深部を攻略できるレベル。ギルドの支部を一つ任せられるほどの実力と信頼があり、その一挙手一投足が国際問題になりかねない。
【上位・精鋭】プラチナ級
一般的な冒険者の「最終目標」。希少で高価な白金。都市にその名が知れ渡る実力者。高い戦闘力だけでなく、豊富な知識と冷静な判断力を兼ね備えた、冒険者の模範とされる階級。ここから上が「本物のプロ」の領域だ。
【中堅・熟練】ゴールド級
現場を支える「ベテラン」。安定した価値を持つ金。生存率が格段に上がり、高難度の依頼を安定してこなせるようになる。後輩を育成する立場になることも多く、冒険者の中心層と言える。
【中堅・一般】シルバー級
一人前の「中堅」。汎用性が高い銀。基本的な魔物への対処や護衛任務をそつなくこなせるレベル。ここからようやく、ギルドから正式な「プロ」として認められ、中規模の都市間の移動依頼なども任されるようになる。
【下位・駆け出し】ブロンズ級
初心者を脱した「有望株」。青銅。数人のパーティーを組めば、村を脅かす程度の魔物を討伐できる。一番人口が多く、ここで挫折して引退するか、上に昇るかの分かれ道となる。
【最下位・見習い】カッパー級
登録したての「新人」。銅。主な依頼はドブさらいや薬草採取、荷物運びなどの雑用。戦う力はあっても、経験不足から「命知らずの素人」扱いを受ける。
(……実力はあるが素行が悪い「アイアン(鉄)級」や、魔法特化の「ミスリル級」なんてのもあるらしいが、基本はこの金属のランクが発言権のすべてだ)
パーティーランク(組織階級制)
個人ランクが個の武力を示すなら、「パーティーランク」は集団としての信頼、統率、そして「どれほどの規模の事象を解決できるか」を示す組織的な指標だ。いくら一人がアダマンタイト級でも、仲間が全員素人なら、パーティーとしてのランクは低く抑えられる。
【国家守護級】 レギオン
オリハルコン級以上が在籍、または全員がプラチナ級以上の精鋭。「軍団」の名を冠する最高位。一国が軍事予算を割いてでも国内に留めたいレベル。特定の都市を実質的に統治・防衛できるほどの政治力と武力を持つ。
【広域制圧級】 バタリオン
ゴールド級以上が中心の熟練チーム。「大隊」。複数の都市にまたがる大規模な魔物災害や、国境付近の小規模な紛争を解決できる。ギルドから専用の通信魔道具や拠点の無償提供を受ける特権がある。
【精鋭部隊級】 スクワッド
シルバー〜プラチナ級。「分隊」。最も依頼需要が多い階級。一つの都市で起きた深刻な問題を、独立して完結・解決できる。世間一般で「有名冒険者」と言えば、このランクのパーティーを指す。
【一般班】 プラトーン
ブロンズ〜シルバー級。標準的な活動単位。安定してD〜Cランクの依頼をこなせる。ここを突破し「スクワッド」として認められるかどうかが、プロのチームとしての大きな壁になる。
【互助集団】 バンド
カッパー〜ブロンズ級。「一団」。固定メンバーが定まっていない、あるいは経験の浅い新人の集まり。大規模な依頼は受けられず、主に下働きを群れてこなす段階。
(……なるほど、面白い。個人を鍛えるだけじゃ大型依頼は受けられないってわけか)
脅威度ランク(エネミーランク)
ギルドランクと対をなすのが、対象となる魔物や依頼の危険度を示すこの指標だ。
【ランクF:害獣級】
角兎、大型鼠。武器を持った一般人や、訓練を始めたばかりの子供でも対処可能。農村の子供たちが小遣い稼ぎに狩るレベル。
【ランクE:平民殺し】
ゴブリン、スライム。武器の扱いに慣れた平民なら1対1で勝てるが、群れると素人では全滅する。カッパー級冒険者の最初の壁。
【ランクD:兵士級】
腐肉狼、死斑蜘蛛。訓練を受けた新米兵士や、ブロンズ級冒険者のパーティが必要。今の俺が亡霊の森で直面した連中だ。
【ランクC:災害予備軍】
オーク、重装鎧蟹。放置すれば都市に甚大な被害が出る。一個小隊(20人程度)の軍隊、または熟練のシルバー級冒険者が必要。あの蟹を一人で潰した俺は、実質このランクに片足を突っ込んでいるということか。
【ランクB:都市破壊級】
ワイバーン、サイクロプス。地方都市を一つ壊滅させる力を持つ。国家規模の討伐隊が投入される。
【ランクA〜S:戦略級・天災】
古龍、デーモン・ロード。遭遇すること自体が絶望。国を挙げての防衛戦になるレベル。英雄や賢者と呼ばれるアダマンタイト級でなければ太刀打ちできない。
ボードを読み終えた俺は、小さく息を吐いた。
貴族社会が「血筋」で人を分けるなら、ここは「力」で人を分ける。不快な身分制度であることに変わりはないが、こちらの方がよほど俺の肌には合っている。
俺は周囲の嘲笑的な視線――「坊ちゃんが迷い込んだか?」「制服を汚しに来たのか?」という無言の刺を背中に受け流しながら、受付へと向かった。
ていうか、Bランク相当の『冥府の角鹿』を単独で殺した実績があるんだから、その時点でもう周りにいる有象無象よりランクを高く設定してくれよ。なんでわざわざカッパー(銅)から始めなきゃならないんだ。内心でそんな不条理に毒づきながらも、俺は受付嬢を見据えた。
「……登録をお願いしたい」
その言葉が静かなギルド内に響いた瞬間。
酒場で飲んでいた冒険者たちが、今度こそ明確な「嘲笑」と「苛立ち」を混じらせて俺を振り返った。




