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第21話:青春?

 兵舎に足を踏み入れた瞬間、そこが「鉄の揺り籠」という無骨な通称からは想像もつかないほど、洗練された場所であることに驚かされた。


 磨き上げられた大理石の床には一点の曇りもなく、最新の魔導式空調が整える一定の温度と湿度は、外の埃っぽさを忘れさせる。各所に配置された自動洗浄機能付きの衛生設備は、帝都の最先端技術の粋を集めたものだ。軍事施設というよりは、機能美を極限まで追求した豪華な迎賓館、あるいは無機質な高級療養所に近い。


 俺たちはすぐさま、五人一組の「班」に振り分けられた。

 バルトロメウスとは別の班になったことに安堵する暇もなく、俺の班をまとめることになった少年が、屈託のない笑みを浮かべて近づいてくる。


「よろしくな、ゼン・イグナス! 俺はライナス・フォン・ヘッセン。ヘッセン辺境伯の次男だ」


 燃えるような赤髪を短く刈り込んだその少年、ライナスは、この重苦しい士官学校には不釣り合いなほど明るく快活なオーラを纏っていた。ヘッセン家といえば、帝国の東部戦線を支える猛将の家系だが、その次男坊は初対面の俺に対しても物怖じせず、力強く右手を差し出してくる。班長としての適性を既に見込まれているのか、彼の振る舞いには迷いがない。


「ゼンだ。よろしく」


 短く応じ、差し出された手を握り返す。その手の平には、既に剣を振り込んできた者の硬いタコがあった。班員たちが顔を合わせる中、鋼のような筋肉を制服の下に隠した軍事教導官の鋭い声が、大理石の壁に反響した。


「貴様らに与えられたのは、帝国で最も高価な寝床だ。だが勘違いするな。ここは休息の場ではなく、次の戦場へ向かうための整備場だ」


 教導官は、広々としたベッドの整頓方法から、魔導濾過システムを備えた浴場の使用時間までを淡々と説明していく。その言葉の端々には、鉄のような規律が通っていた。二十四時間体制の監視。外出禁止。私物の制限。説明される校則はどれも厳しいものだったが、俺にとっては好都合だった。


 この最新設備に囲まれた、徹底して管理された環境。誰もが規律に縛られているからこそ、その「外側」に意識を割く余裕など誰にもないはずだ。


「おい、ゼン。聞いてるか? 教官、めちゃくちゃ怖そうだけど、飯は美味いらしいぜ。それだけが救いだな」


 隣でライナスが声を潜めて笑いかけてくる。俺は無表情のまま、短く頷いた。清潔で豪華な兵舎に漂う微かな消毒薬の匂いに包まれながら、俺はただ静かに、この檻の中での生活をシミュレートしていた。


 最新鋭の設備が整った兵舎の廊下は、その美しさとは裏腹に、特権意識を煮詰めたような嫌な空気が漂っていた。

 ライナスと荷物の整理を終えようとしたその時、背後から不自然に高い、気取った笑い声が響く。


「おや、これは驚いた。高貴なるイグナスの家紋が、こんなところで埃を被っているとは。場違いも甚だしいね」


 振り返ると、そこには抜けるような青髪を完璧に整えた少年が、取り巻きを引き連れて立っていた。名はカイル・フォン・ベルシュマン。内務大臣を輩出してきた文官貴族の嫡子であり、その家柄を笠に着た傲慢さは、整った顔立ちをひどく歪なものに見せている。


 カイルは、まるで汚物でも見るかのように俺とライナスを交互に見つめ、わざとらしく深く溜息をついた。


「イグナス家といえば、帝国の北を担う盾だったはずだが……近頃の噂は随分と情けない。次男のザングース殿は一揆軍の捕虜になり、長男のジルド殿も弟を救い出すのに相当な醜態を晒したとか。揃いも揃って、随分と質の落ちた血筋だと思わないか?」

「……おい、貴様。今の言葉、取り消せ!」


 真っ先に反応したのはライナスだった。短く刈った赤髪を逆立て、怒りのままにカイルの胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄る。だが、カイルは鼻先で笑い、優雅な仕草でそれをかわした。


「事実を述べて何が悪い? ヘッセンの辺境騎士よ。感情に任せて吠えるのは、教養のない証拠だ。無能な兄たちが失態を演じ、魔力適性のない三男が家柄の威光でこの学校へ捩じ込まれる。それがどれだけ帝国のリソースを無駄にし、我ら正当なる入校生の誇りを傷つけているか。私の言葉に反論があるなら、論理的に示してほしいものだね。それとも、筋肉を動かす以外に脳の使い道を知らないのかな?」


 カイルが言葉を投げかけるたびに、後ろに控える取り巻きたちがクスクスと下卑た笑い声を漏らす。ライナスは顔を真っ赤にして言葉に詰まった。正論という名の皮を被った嫌がらせ。それがこの学校における「貴族的な攻撃」の洗礼なのだ。


 カイルはさらに歩み寄り、俺を指差して冷笑を深めた。

「人質にされるような無能な兄たちに、その寄生虫である無能な弟。イグナス家は、いつから帝国の介護施設になったのかな? 誇り高き先祖も草葉の陰で泣いているだろうよ」


 その瞬間、俺の胃の底から、冷たい吐き気とは違う熱い塊がせり上がった。


 ジルドも、ザングースも、俺にとっては自分を石ころのように扱ってきた不快な家族だ。あんな奴ら、どうなっても構わないと思っていたはずだった。だが、帝国の安寧を最前線で守り続けてきた彼らの自負を、安全圏で言葉を弄ぶだけのこの男に土足で踏み荒らされるのは、我慢ならないほどの嫌悪感を伴った。


 深く、重いため息を吐き出す。

 ここで拳を振るえば、それこそカイルの望み通り「野蛮なイグナス」の烙印を押されるだけだ。


「行くぞ、ライナス。……時間の無駄だ。評論家気取りを相手にするほど暇じゃない」


 俺はライナスの肩を叩き、硬直する彼を促した。


「おい、ゼン! 逃げるのか!? 貴様、一族の誇りはないのか!」


 背後からカイルの勝ち誇ったような叫びが聞こえるが、一度も振り返らなかった。苛立ちで指先が微かに震えている。家族への愛情など一欠片もない。ただ、自分の領域を汚されたことへの、生理的な拒絶反応が止まらないのだ。俺たちはそのまま、無機質な廊下を抜け、最初の講義が行われる「教場」へと向かった。


 教場に漂う緩い空気は、扉が開いた瞬間に凍りついた。

 入ってきたのは、一人の女性だった。銀色を通り越して、不自然なほど真っ白に色が抜けた髪。その顔の左半分には痛々しい裂傷の跡が刻まれ、そこを覆う革製の眼帯が、彼女が潜り抜けてきた死線の数を物語っている。


 ヴィクトリア・フォン・レンフェルト少佐。軍事教導官である彼女が入ってきた瞬間、その異様な風貌に教場がざわついた。


「おい、教官は女かよ。しかも随分とくたびれた――」。前列に座っていた中堅貴族の少年が、取り巻きと顔を見合わせ、せせら笑うように声を漏らした。だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。


 空気が、物理的な質量を持って少年の喉を押し潰した。


 ヴィクトリアがただ、その右眼で教場を射抜いただけだ。凄絶な拷問の末に色が抜けたという噂を裏付けるような、地獄の底を覗かせる凍てついた眼光。彼女が放つ殺気は、戦場を経験したことのない十二歳の子供たちにとって、逃げ場のない檻そのものだった。


 先ほどまで軽口を叩いていた少年の顔から、一気に血の気が引いていく。彼はガチガチと歯を鳴らし、呼吸の仕方を忘れたかのように目を見開いた。ヴィクトリアが無言のまま少年の机の前まで歩み寄り、その白く細い指を卓上に置く。ただそれだけの動作に、少年は耐えきれず椅子から転げ落ち、情けない声を上げて床に這いつくばった。


「……あ、あ、ああ……っ」

 少年の瞳から、大粒の涙が溢れ出す。それは悲しみではなく、本能的な死への恐怖が絞り出した生理現象だった。教場全体が、彼が床に涙を滴らせる微かな音さえ聞こえるほどの沈黙に支配される。ヴィクトリアは、泣きじゃくるクソガキをゴミのように一瞥すると、教壇に戻り、掠れた低い声を出した。


「貴様らが抱いている『貴族の誇り』など、戦場では肉塊を包む包み紙にもならん。ここで学ばせるのは、殺し方と死に方だ。それ以外を求める者は、今すぐこの扉から去れ」


 その言葉は、教場に座る全ての嫡子たちの心臓を冷たく握りつぶした。バルトロメウスですら背筋を正し、先ほどまで饒舌だったカイルも、青ざめた顔で視線を落としている。

 俺は、最前列で床を濡らしている少年の無様な姿を、無表情で見つめていた。死の臭いを纏ったこの女教官の威圧感。それは、純粋な強者の暴力性だった。


 ヴィクトリアの右眼が、一瞬だけ俺を捉えた気がした。だが俺は視線を逸らさず、彼女が教壇から放つ刺すような威圧感を、静かに見つめ返していた。彼女は俺の無反応に興味を失ったのか、あるいは値踏みを終えたのか、視線を教場全体へと戻した。そして、黒板を背に、冷徹な口調で明日からのカリキュラムと校則を叩き込み始めた。


 説明される内容は、およそ学校と呼ぶにはあまりに殺伐としたものだった。


 起床は暁前。即座に武装を整えての十キロメートルにおよぶ山岳走破。その後、午前は戦術学と座学。午後は魔導実習と対人戦闘訓練。そして夜は武器の整備と、帝国への忠誠を反芻するための自習。休息という概念は、カリキュラムのどこにも存在しなかった。


 さらに、校則が読み上げられるたび、教場内の少年たちの顔から色が失われていく。外出は原則禁止。私信の検閲。教導官への絶対服従。そして最も残酷だったのは、徹底した連帯責任の制度だ。班員のうち一人の失敗は班全員の罰となり、最悪の場合は退校、すなわち家門への恥晒しを意味する。


「貴様らの価値は、帝国のためにどれだけ効率的に働けるかだ。明日からは、貴族の子弟としての名前ではなく、認識番号で呼び合うことになる」


 ヴィクトリアの掠れた声が、無慈悲に教場を支配する。バルトロメウスやカイルのような名門の嫡子たちであっても、ここでは等しく帝国の部品として、規格品になることを強要されるのだ。


「脱落者は裏外区のゴミ溜めへ放り込まれるか、あるいは再教育キャンプという名の屠殺場へ送られる。この学校の門を潜ったからには、卒業するか、死体となって運び出されるかの二つに一つだ。わかったなら、番号で返事をしろ」


 最後に彼女が放った言葉は、脅しではなく単なる予定のように響いた。


 カイルたちが先ほどの余裕を完全に失い、青ざめた顔でカリキュラムの過酷さに震える中、俺は淡々とそのスケジュールを頭の中で整理していた。


 徹底した管理と、死と隣り合わせの訓練。それはつまり、弱者が真っ先に淘汰される環境ということだ。だが、俺の胸に湧き上がったのは恐怖ではなく、抑えきれない高揚感だった。


 起床から就寝まで秒単位で刻まれたスケジュール。無駄を一切削ぎ落とした、吐き気を催すほどの合理性。それらは俺にとって、これ以上ない効率で自らを磨き上げるための、巨大な育成装置に他ならなかった。


 この過酷な環境に身を置き、提示されるハードルを一つずつ超えていけば、肉体も、技術も、最短距離で鍛え上げられていく。家柄や魔力といった不確かなものではなく、ただ生存と研鑽だけに没頭できるこの檻は、俺にとって理想的な修練の場だ。


 周囲の少年たちが絶望に肩を震わせる中、俺はヴィクトリアの冷徹な言葉を聞きながら、心の中で自らの育成計画を組み換え、最適化を進めていた。管理される側ではなく、この徹底した管理体制を最大限に利用する側として。


 ヴィクトリアの眼帯の奥にある底知れない闇を見据えながら、俺はこれから始まる地獄という名のボーナスタイムを静かに、そして確かな歓喜と共に受け入れていた。

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