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第20話:第一帝国陸軍士官学校の入学式

 帝都 《バースバル》


 それは美しき均衡と、吐き気を催すような合理性が同居する、大陸最大の巨大な檻である。


 この街を理解する上で最も重要なのは、その「垂直」と「水平」の徹底した管理だ。空を仰げば、王城を中心とした同心円状の防壁が視界を遮り、足元には網の目のように下水道と魔導回廊が張り巡らされている。


 皇城区。皇城キュアレ・ヴァルキューレを戴くこの区画は、帝国の「意思」そのものである。白亜の石材に魔力伝導率の高いミスリルが埋め込まれた建造物は、夜になれば淡い燐光を放ち、地上に降りた星々の如き美しさを見せる。ここには塵一つ落ちておらず、騒音すらも魔法的に遮断されている。住まうのは皇帝一族と、国家の根幹を支える「十賢者」のみ。ここでは呼吸の回数すらも、国家への奉仕とみなされる。


 貴族区。帝国を支える柱石たちが軒を連ねる。家紋が刻まれた巨大な鉄門、整然と刈り込まれた魔導植物の庭園。一見して優雅だが、その実態は軍事要塞に近い。各屋敷には独自の魔導結界が張り巡らされ、空を見上げれば常に帝国の哨戒飛行艦が影を落としている。ここでは「美しさ」とは「強さ」の別称であり、庭園の広さはそのまま動員可能な私兵の数を示している。


 平民区。商人、冒険者、そして帝国の労働力がひしめき合う、この国で最も「体温」を感じる場所。石畳の道には魔導灯が並び、二十四時間体制で工場や鍛冶場から蒸気と熱気が立ち昇っている。帝国の全体主義を支えるための「物資」が集積される場所であり、市場には周辺諸国から略奪、あるいは交易で得た珍品が並ぶ。しかし、その活気の裏には「納税の義務」という重圧が常にのしかかっており、歩みを止める者は即座に脱落者として管理番号を剥奪される。


 裏外区りがいく)。光り輝く帝都の影、物理的にも精神的にも「底」に位置する区画。王城区や貴族区から排出された汚水や廃棄物が流れ込むこの場所は、石造りの街並みが崩れ、湿った土と腐敗臭が支配している。犯罪者、奴婢、そして帝国の選別から漏れた不要品が、法律の保護を受けることなく蠢いている。


 そして、貴族区の北端、最も険峻な断崖の上に鎮座するのが「第一帝国陸軍士官学校」である。


 通称「鉄の揺り籠」。


 ここは貴族区と皇城区を繋ぐ戦略的要衝に位置し、物理的な防壁だけでなく、帝国全土から吸い上げた魔力を集中させた超高密度の防護結界に守られている。外観は学舎というよりも、無機質な黒鉄で覆われた堅牢な監獄に近い。


 この学校において、個人の能力以上に重要視されるのが「家柄」という絶対的な序列である。第一士官学校は帝国軍の幹部養成所であると同時に、貴族社会の縮図そのものであり、門を潜った瞬間から血筋の良し悪しがそのまま階級の萌芽となる。


 幼年部であってもその理は変わらない。名門公爵家の嫡男であれば、入学したその日から将来の将軍候補として崇められ、格下の貴族たちはその影に隠れて忠誠を誓う。逆に、血筋に傷があれば、どれほどの実力があろうとも「泥に混じった小石」として、過酷な教育課程の中で徹底的にすり潰される。


 校門から伸びる「昇進の坂」は、脱落者が流した血と涙を吸い込み続けて黒ずんでいる。家柄という盾と、実力という剣。その双方が揃わぬ者は、この黒鉄の城に住まう怪物たちの餌食となる。


 第一帝国陸軍士官学校・入校式当日


 帝都バースバルの北端。険峻な断崖の上に聳え立つ第一帝国陸軍士官学校の正門は、帝国の未来を担う十二歳の少年少女たちを迎え入れるために開かれていた。


 士官学校において、入学式という甘い言葉は存在しない。行われるのは「入校式」。それは、人間としての身分を捨て、帝国の牙たる軍人へと作り替えられるための冷徹な儀式である。


 黒鉄の校門前には、帝国全土から集った名門貴族たちの豪華絢爛な馬車が列をなしていた。荷を運ぶ従者たちの慌ただしさ、そして、初めてその門を潜る少年たちの張り詰めた空気が周囲を支配している。


 列の中でも、ひときわ目を惹く存在が数人いた。


 まずは、帝国軍元帥を父に持つバルトロメウス・フォン・ヴォルフラム。十二歳にして既に大人顔負けの体格を誇り、鋼のような肉体からは隠しきれない闘気が漏れ出している。ヴォルフラム家は代々帝国の「盾」を担う武門の極致であり、彼はその正統な後継者として、周囲の生徒たちを既に部下であるかのように見下ろしていた。


 次に、魔導貴族の最高峰、メルキオール家の長女であるエレノア・メルキオール。彼女が歩くたびに周囲の魔素が微かに鳴動し、その天賦の才を無言のうちに誇示している。透き通るような銀髪をなびかせ、気高く歩くその姿は、同世代の少年たちから畏怖と憧憬を一身に集めていた。


 だが、それら帝国の至宝と称される嫡子たちの視線が、ある一点に、濁った好奇と嫌悪と共に集中する。


 イグナス公爵家三男、ゼン・イグナス。


 彼が馬車から降り立ち、静かにその地を踏んだ瞬間、校門前の喧騒は一変して奇妙な静寂に包まれた。


 イグナス家は「北方の獅子」と恐れられる武の名門だが、三男であるゼンは魔力適性が皆無に等しい「欠陥品」であるという噂が、貴族社会の隅々まで行き渡っていた。本来ならば、軍のエリートを養成するこの学び舎の門を潜る資格などないはずの存在。


 周囲の嫡子たちが抱く感情は、純然たる「不快」だ。

 実力至上主義であるはずのこの学校に、公爵家という家柄の威光だけで、無能な少年が自分たちと同じラインに並んでいる。それが彼らには、神聖な軍の伝統を汚されたように感じられた。


 バルトロメウスやエレノアといった名門の嫡子たちは、あからさまに鼻で笑い、あるいは汚物を見るような冷ややかな視線をゼンに注いでいる。


 しかし、当のゼンは、それら好奇、蔑み、そして剥き出しの敵意が混じり合う視線の渦を、感情を読み取らせない虚無の瞳で受け流していた。


 名門貴族の嫡子たちが競うように自らの血筋と誇りを誇示する中で、背後に底知れない「闇」を背負ったゼンの姿は、あまりにも異質であり、誰よりも人々の目を惹きつけて離さなかった。


 入校生たちの列が、黒鉄の講堂へと吸い込まれていく。


 黒鉄の講堂は、数百の魔導灯が放つ青白い光に満たされ、帝国を司る重鎮たちの威圧感によって窒息しそうなほどの静寂に包まれていた。


 正面の最上段、一段高い玉座に鎮座するのは、この帝国の絶対的支配者である皇帝。その左右を、帝国軍元帥フォン・ヴォルフラムと、北方の支配者グラド・イグナスをはじめとする「十賢者」や軍の重鎮たちが固めている。十二歳の少年少女たちにとって、その顔ぶれは歴史書の中の伝説と対峙しているのと同義であった。


 入校生代表として壇上に上がったのは、バルトロメウス・フォン・ヴォルフラムである。


 彼は全入校生を代表し、帝国への絶対的な忠誠と献身を誓う「入校宣誓」を読み上げる。その声は十二歳とは思えぬほど低く、堂々としたものであった。自らの家系が負うべき「帝国の盾」としての誇り、そしてこの鉄の城で磨かれることの栄誉。彼の語る言葉の一つひとつは、軍事国家としての帝国の理念そのものであり、見守る元帥の口元には満足げな笑みが浮かんでいた。


 しかし、その華々しい宣誓の最中であっても、観覧席に座る重鎮たちの視線は、時折、最後尾に列する一人の少年に注がれていた。


 ゼン・イグナス。

 イグナス家の「無能」が、なぜこの場に列しているのか。その疑念は、軍の幹部たちの間でも共通の関心事であった。特にグラド公爵の冷徹な横顔を伺い、彼がこの三男をどう扱うつもりなのかを推し量ろうとする視線が絶えない。

 バルトロメウスが宣誓の最後を締めくくる。


「我ら、帝国の牙として、その身を捧げることをここに誓う」


 その力強い言葉が講堂に反響し、入校生たちが一斉に敬礼を捧げる中で、ゼンだけがわずかに視線を上げた。


 壇上から見下ろす皇帝、そして傍らに立つ父・グラド。

 彼ら支配者の瞳に映っているのは、期待でも慈愛でもない。ただ、磨き上げられるべき「兵器」としての価値があるか否か。その一点のみである。


 周囲の嫡子たちがバルトロメウスの雄姿に感銘を受け、自らも英雄にならんと瞳を輝かせる中、ゼンの胸の内にあったのは、それら全てを滑稽に思う冷え切った感情だった。


 国家、忠誠、家柄。

 そういった煌びやかな殻の下にあるのは、結局のところ、より多くの敵を、より効率的に殺戮できる「暴力」の多寡でしかない。


 入校宣誓が終わり、講堂を支配していた張り詰めた空気が、重鎮たちの退出と共にわずかに揺らぎ始めた。


 整然と歩みを進める列の中で、観覧席に並ぶ高官たちの視線は、グラド・イグナス公爵とその背後に並ぶ軍の精鋭、そして最後尾に立つゼンへと注がれていた。


 イグナス公爵家の長男ジルドと次男ザングースは、かつてこの学校を首席クラスの成績で卒業した、帝国でも指折りの秀才だ。彼らが幼年部に入校した際は、その溢れんばかりの魔力と才気が周囲を圧倒し、一族の栄光を盤石なものにした。


 それゆえに、高官たちの疑念は深い。

 魔力の片鱗さえ感じさせぬ無能。それがゼンへの共通認識だ。冷徹な合理主義者であるグラド公爵であれば、たとえ実の息子であろうと、役に立たぬ「石ころ」であれば即座に切り捨て、公爵家の名に泥を塗る前に排除するはずであった。


 そのグラドが、なぜあえてこの場に三男を送り込んだのか。


 グラドの鉄面皮からはその真意を読み取ることはできず、その沈黙がかえって周囲に得体の知れない不気味さを抱かせていた。


 壇上から降り、悠然と退出する皇帝の歩みが、ゼンの並ぶ列の傍らで一瞬だけ緩やかになった。


 皇帝の鋭い眼光が、ゼンの顔を真っ正面から捉える。

 周囲の少年たちが畏怖に身を固くし、あるいは認められようと必死に背筋を伸ばす中、ゼンだけは異質だった。


 感情の起伏が一切存在しない、底の見えない虚無の双眸。

 数百人を虐殺し、その死を「資源」として飲み込んだ者だけが持つ、生物としての平熱を欠いた無表情。


 その顔は、数多の人間を見てきた皇帝の記憶に、鋭い棘のように深く焼き付いた。


 それは恐怖でもなければ、忠誠でもない。ただそこに在るだけで、既存の秩序や道徳を静かに侵食していくような、純度の高い「異物」の顔。


 皇帝が去った後も、その視線の余韻は重く残っていた。

 バルトロメウスやエレノアが、嫉妬と困惑の混じった視線をゼンへ向ける。自分たちがどれほど声を張り上げ、魔力を誇示しても得られなかった「皇帝の注視」を、ただそこに立っているだけの無能が奪い去ったのだ。


 教官の怒号が響き、少年たちの時間が動き出す。


「総員、兵舎へ駆け足!」


 その一喝が、甘い貴族の子弟としての時間を断ち切った。

 バルトロメウスを先頭に、少年たちが軍靴を鳴らして走り出す。


 ゼンもまた、静かに地を蹴った。


 感情を殺した無表情のまま、群れの中に溶け込んでいく。鉄の揺り籠が、その重い顎を閉ざした。

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