第1話:見覚えがあり過ぎる場所
意識が再起動した瞬間、世界は耳を疑うほどの「静寂」に包まれていた。
直前まで鼓膜を震わせていたのは、逃げ場のないコンビニの店内に響き渡る急ブレーキの絶叫と、鉄塊がガラスを粉砕する破裂音だったはずだ。
視界を埋め尽くしたダンプカーのフロントグリル。その脇に貼られた「不倫騒動でAVに転職したグラドル」の広告が、俺の人生最後に目にする光景かと思うと、猛烈な虚しさが込み上げた。回避不能の質量。二百キロを超える俺の肉体は、物理法則に従ってゴミ袋のように容易く撥ね飛ばされる。
衝撃を自覚する暇さえない。全身の骨が乾燥した枝でも折るような乾いた音を立てて砕け散る。
内臓はひしゃげて逆流し、喉の奥からせり上がったのは悲鳴ではなく、沸騰した泥のような熱い血の塊だった。ぐちゃり。熟れすぎた果実――それも、糖度の高すぎる腐りかけの果実が踏み潰されるような嫌な音が頭蓋の内側に反響する。
アスファルトに撒き散らされた自身の体液が、冬の冷気に触れて急速に熱を失っていく。指先一つ動かせない絶望的な激痛、薄れゆく視界。俺は確かに、自分の人生が終わりを迎えたことを細胞レベルで確信していた。
……あぁ、外付けHDDの中身を消しときゃ良かった。このままじゃ、俺のスカ○ロや獣○という激ヤバ性癖が、警察や家族の手によって全国ネットに晒される可能性も微レ存。
それなのに、肌を刺すようなアスファルトの熱気は消え、代わりに頬を撫でる冷ややかな風が、強引に意識を現世へと引き戻す。
鼻腔の奥には、今もしつこくガソリンと鉄臭い死の匂いがこびりついている。だが、死の淵から泥臭く這い出した俺の意識は、あろうことか「次の呼吸」を求めていた。
待て、生き返ってる場合か? 俺の本体(HDD)はどうなった。
今すぐ帰ってハンマーで物理破壊させろ。プライバシーの保護は憲法で保障されているはずだろ。というか、ぶっちゃけこのまま死なせてくれ。
生き返ったところで、待っているのは地獄のような現実だけだ。二百キロの肉体、消えないネットミーム、そして死後に開示される性癖というトリプルコンボ。そんな現世に戻るくらいなら、いっそこのまま意識の電源を落として永遠にシャットダウンさせてほしい。
そんな俺の切実な願いも虚しく、身体は勝手にバイタルを回復させていく。
困惑に震えながら上体を起こすと、粉砕されたはずの手があっけなく土を掴んだ。肉を突き破っていた肋骨も、内臓を焼き焦がすような激痛も、すべては質の悪い悪夢だったかのように消え去っている。
それどころか、あんなに重かった腹の脂肪が消え、視界の位置が驚くほど高い。顔を上げると、そこには白一色の石材で造られた広大な空間が広がっていた。
エルガドール大神殿。
スロンのプレイヤー達が最初に訪れ、キャラクタークリエイトとステータスの割振りを行う場所。レベル1RTAの世界記録を持つ俺は、何百回と再走を繰り返し見てきた景色なので、感動よりも若干だが嫌悪感が勝る。
今は画面越しではなく圧倒的な現実味を帯びてはいるが、果たして夢なのか? 現実なのか?
全裸のまま、粗チンをぶらつかせながら進んでいくと、見覚えのある装置。
それは大人の胸元ほどの高さがある機械だった。中世の静謐な世界観の中に、突如として近代的な設備が鎮座している。その異質極まりない光景も、何百回とリセマラを繰り返してきた俺からすれば、もはや見慣れた当たり前の景色に過ぎない。
そういえば最近はランク戦に潜るばかりで、ここに来るのも久しぶりだなと、場違いな感慨が胸をよぎる。画面越しに眺めていた記号としての装置は、今や手を伸ばせば触れられる実体となり、機械が発する微かな駆動音や油の匂いまでもが、嫌というほどリアルに伝わってきた。
数分前までコンビニでエロ本を立ち読みし、そのまま理不尽に轢き殺されたかと思えば、未練がましくゲームに入り込んだ夢を見る。
死んでもなおスロンに囚われる人生。側から見れば滑稽かもしれない。だが、生涯を賭けてプレイしてきた俺からすれば、これ以上のない幸せ、本望だ。
何より、俺が◯きまくったNPC、女神ヘレナの彫像をこの目で見れた。それだけで死んだ甲斐があるというもの。
慈愛の女神 ヘレナ
エルガドール大神殿、あるいはこのスロンというゲームの名物とも言えるその女神像は、到底ただの石膏とは思えないほどに艶めかしい。かつて画面の中で3DMMDとして動く彼女の姿に、俺を含めた多くのプレイヤーがティッシュを費やしたのは、決して否定できない事実だろう。
その彫像の足元に安置された祭壇に指先が触れた瞬間、石の表面に刻まれた微細な紋様が、呼応するように青白く発光を始めた。光は生き物の心音のごとく脈動しながら輝きを増し、祭壇から溢れ出した幾条もの閃光が、空中で一点へと収束していく。
直後、何もない虚空に半透明の光の膜が展開された。それは、プレイヤーの潜在的能力を視覚化した「ステータス画面」だ。
???:人間=
* 職業:貴族
*魔力:1【MAX252】
*加護:
*スキル:超肥満
*恩恵:
*異常耐性:
*付与:
*強靭:1
* ATK(物理攻撃力):0
* DFK(物理防御力):0
* SPD(移動速度/回避率):0
* INT(魔法攻撃力/詠唱速度):0
* MGR(魔法防御力/耐性):0
* AGL(攻撃速度/モーションキャンセル精度):0
* VIT(生命力/スタミナ消費耐性):0
* DEX(命中率/クリティカル倍率):0
* LUC(ドロップ率/状態異常蓄積値):0
*ボーナス値(90)
• 職業
プレイヤーが世界の中で担う役割や、天職を指す。習得できるスキルの傾向や、成長時のステータス補正を決定づける根幹となる要素だ。
• 魔力
魔法を行使するためのエネルギー源、あるいは精神的なスタミナを指す。現在の残量と、その者が保持できる最大容量によって、一度に扱える術の規模や連続行使回数が規定される。
• 加護
神や精霊、あるいは高位の存在から授けられる特別な守護だ。運命的な幸運や、常人離れした特定の能力向上がもたらされる。
• スキル
訓練や経験によって獲得した技術や、天賦の才能による特殊能力だ。能動的に発動するアクティブスキルと、常に効果を発揮するパッシブスキルに大別される。
• 恩恵
世界やシステム側から与えられる報酬的な能力、あるいは血統や種族に由来する固有のメリットを指す。
• 異常耐性
毒、麻痺、混乱、あるいは即死といった、負の状態変化に対する抵抗力だ。この能力が高いほど、搦め手による無力化を防ぐことができる。
• 付与
自身の武器や防具、あるいは他者の身体に属性や特殊効果を一時的に上乗せする能力だ。戦況に合わせて性質を変化させる支援的な側面が強い。
• 強靭
数値上の防御力とは別に、攻撃を受けた際の「怯み」にくさや、肉体の構造的な頑強さを表す。姿勢を崩されずに反撃へ繋げるための重要な指標だ。
戦闘パラメーター(能力値)
• ATK(物理攻撃力)
腕力や武器の威力を総合した、物理的な破壊力を指す。
• DFK(物理防御力)
肉体の硬さや防具の性能による、物理ダメージを軽減する力だ。
• SPD(移動速度/回避率)
戦場を駆ける速さと、敵の攻撃を物理的に避ける運動神経を司る。
• INT(魔法攻撃力/詠唱速度)
知力や魔力制御の精密さだ。魔法の威力を高め、発動に必要な時間を短縮する。
• MGR(魔法防御力/耐性)
精神的な障壁や魔力への抗体だ。敵から放たれる魔法ダメージや干渉を減衰させる。
• AGL(攻撃速度/モーションキャンセル精度)
動作の俊敏さだ。一撃を繰り出す速さや、技の後の硬直を消して次の行動へ移る流麗さを指す。
• VIT(生命力/スタミナ消費耐性)
生存能力そのものだ。最大HP(体力)に影響し、全力行動を長時間続けるための持久力を司る。
• DEX(命中率/クリティカル倍率)
器用さと精密度だ。攻撃を外さない正確さと、急所を射抜いた際のダメージの跳ね上がりを決定する。
• LUC(ドロップ率/状態異常蓄積値)
「運」の概念だ。倒した敵から希少な物品を得る確率や、自身の攻撃によって相手を状態異常に陥らせる「理不尽な引きの強さ」に影響する。
初期ステータス値は種族と出自に依存するが、今回は「人間」の「貴族」で固定されているようだ。幸い、ボーナス値を自由に割り振れる仕様だけは生きている。
廃人プレイヤーとしてステータスの理論値は完璧に把握済み。本来なら迷う余地などないのだが、そもそも貴族ベースの構築は対人戦において「産廃」というのが定説。初心者狩りか縛りプレイ専門の変態でもない限り、選択肢にすら入らない。
――だが、一点。初見の固有スキル『超肥満』という文字列が、俺の思考をフリーズさせた。
全DLCをコンプリートした俺ですら聞いたことがない。現実の俺が二百キロ超えだからって、体型まで同期されるなんて嫌がらせが過ぎるだろ。いや、これは死に際の走馬灯が見せている単なる妄想か。どのみち『超肥満』なんてふざけた名称、ゴミのようなクソスキルに決まっている。
結局貴族という外れ職業。未知のスキル。加護も恩恵もないという異例の状態ではまともに割り振る事ができなかった。どんな環境、どのビルドでも腐らず、一定の強さを発揮してくれるLUCに極振りし、完了。
「やっと会えましたね。ずっと、あなたとこうして言葉を交わしたいと願っていたのですよ。まずは、お疲れ様。重い鎧を脱ぎ捨てるように、その心に溜まった澱をすべてここに置いていってください。ここでは誰も、あなたに無理な役割を押し付けたりはしませんから」
「新しい世界へ行くことに、不安があるのは分かっています。でも、信じてみて。あなたのその手には、前の人生で培った勇気と、困難に折れなかった優しさが、目には見えない輝きとなって宿っています。それは、神である私から贈る力以上に、あなた自身が勝ち取った、何よりも強い武器になるはずです」
「向こうへ行ったら、まずは美味しいものを食べて、心地よい風に吹かれ、ぐっすりと眠りなさい。そうして心が元気になったら、ゆっくりと歩き出せばいいのです。あなたがどんな道を選んでも、どんな失敗をしても、私の愛があなたを見捨てることはありません。私はいつだって、あなたの味方ですから。……さあ、顔を上げて。新しいあなたの物語を、私に自慢したくなるような素敵な冒険にしてきなさい。……いってらっしゃい、私のかわいい子」
まさに、プロローグ。ヘレナの“定型文”を聞きながら、俺は意識を手放した。




