ある宇宙飛行士のイタズラ
さわがしい地球を家出して、今日で四日目だ。まだホームシックにはかかっていない。
星空を背景に、一台の調査船が月の地面へと降下していく。
調査船の内部には、二人の宇宙飛行士がいた。
若い宇宙飛行士が笑顔で言う。
「いい場面なんだ。船長、人生で一番かっこよく決めてくれよ」
「そういうものは、恋人用にとっておく主義だ」
クールな表情の船長。
そのあとニヤリとして、
「でも、任せろ。強めにキスをするのは得意な方だ」
若い宇宙飛行士が調査船の計器を見る。
速度は問題ない。エンジントラブルもなさそうだ。どれも予定の範囲内。この調査船は順調に降下している。
「着陸十秒前だ」
調査船の高度が下がっていく。月の地面が迫ってきた。
残り五〇〇。
残り三〇〇。
残り一〇〇。
そして――
「タッチダウン!」
船長が叫ぶ。
と同時に、調査船の内部が激しく揺れた。
「なるほど。かなり強めのキスだ」
若い宇宙飛行士は未だに笑顔だ。
調査船の振動が止まる。
計器はどれも正常だ。どこにも異常は見当たらない。
月面着陸に成功したのだ。
喜びをかみしめながら、若い宇宙飛行士が言う。
「いい腕だ、船長。あんたの人生で三番目にかっこよかったぜ」
「三番目?」
「一番目は恋人のためにとってあるんだろ。で、二番目は月から離れる時の分だ。帰りもよろしく」
船長が再びニヤリとする。
そして、片手でグータッチをする二人。
「着陸成功を今すぐ地球に報告だ」
船長からの指示に、
「そうだな。この偉業を奴らにも教えてやらないとな」
若い宇宙飛行士が急に悪い顔になる。
マイクに向かって、こう告げた。
「地球よ、聞こえているか。われわれは月を占拠した。現時刻より、地球に対して宣戦布告する」
「おいおい」
「冗談だよ。通信マイクの電源はほら、切ったままだ。あれっ?」
マイクの電源は「OFF」になっていると思っていたのに、なぜか「ON」になっている。
「・・・・・・たぶん着陸の衝撃だ。あれで電源が『ON』になったんだ」
まずいことになったかも、そんな顔に変わる若い宇宙飛行士。
とっさに船長はマイクに向かって、
「地球よ、聞こえているか。われわれは非常に夢のある時代に生きている。こんなバカでも月に来ることができる、そんな素晴らしい時代だ」
宇宙飛行士の二人は宇宙服に着替えて、月に降り立っていた。
ある場所で立ち止まると、
「すごいな」
若い宇宙飛行士が言うと、船長も言う。
「すごいな」
それしか感想が出てこない。
二人が見ている先には、地球がある。
宇宙空間にたたずむ青い地球だ。
数時間後。
二人の宇宙飛行士は月面車に乗っていた。
月の上を走行しながら、
「予定していたミッションはすべて終わったし、あとは自由時間だな」
船長の言葉に、若い宇宙飛行士が調子に乗る。
「じゃあ、運転手さん。あそこの丘まで頼むよ」
船長は前を向いたまま、月面車を運転しながらたずねる。
「何をする気だ?」
「たぶん良いことだ」
人類が最後に月に降り立ってから数十年後。
ある業界が戦国時代に突入していた。
必死になって各社がつくっているのは、「天体望遠鏡」だ。
もっと遠くを、もっと鮮明に。
お客さんの期待にこたえようと、各社は技術革新を続けていた。
非常に高性能な天体望遠鏡が、次々と発売されていく。
数十年前の天文台よりも、今の天体望遠鏡の方が高性能だ。それが当たり前になっている。
そんな天体望遠鏡を手にした人が、自宅のベランダから星空を見ていた時だ。
変なものを見つける。
「あれは何?」
天体望遠鏡の中の丸い視界。
そこに見えているのは、「FREEDOM」という文字だ。
日本語にすると「自由」。
「どうして、こんなものが月面に?」
人類が最後に月に降り立ったのは、数十年も前だ。
こんな文字を宇宙飛行士が書いたなんて話は、まったく聞いたことがない。
「もしかしたら、他にもあるかも」
さらに天体望遠鏡をのぞいていて、
「これは大発見をしてしまったかも」
天体望遠鏡の中の丸い視界。
そこに見えているのは、「『ニューフロリダ・ハンバーガーズ』優勝!」という文字だ。
「『ニューフロリダ・ハンバーガーズ』って、たしかメジャーリーグの球団にあったような・・・・・・」
こういうことを宇宙人が書くとは思えない。
つまり、書いたのは地球人。
「宇宙飛行士の誰かが書いたんだ」
月面に降り立った人類は、現在までに十二人。
その中にいる。この文字を書いた「犯人」が。
新聞や天体関連の雑誌、そして、野球関連の雑誌に記事が載る。
――月面に謎のメッセージを発見!
これまでに月に降り立った人類は十二人。
しかし、月面着陸した地点とメッセージがある地点までの距離から、犯行可能なのは二人だけだった。
間もなくして、次のようなニュースが出る。
――ある宇宙飛行士、あっさり犯行を認める!
テレビのインタビューに答える犯人。
「自分が応援しているメジャーリーグの球団が、その年に優勝したんだ。それがうれしくて、つい調子に乗ってしまった。ごめんなちゃい♪」
ニューヨークの摩天楼。
ビルの壁には巨大画面がついていて、
「自分が応援しているメジャーリーグの球団が、その年に優勝したんだ」
宇宙飛行士のインタビューが流れている。
それを見上げる集団がいた。
彼らの一人が、「月面に謎のメッセージを発見!」と書かれた新聞を、力ずくで左右に引きちぎる。
「あのクソ宇宙飛行士め! このままで済むと思うなよ!」
ビルの巨大画面を見上げる集団。
全員が野球のユニフォームを着ている。
自分が応援しているメジャーリーグの球団、そのユニフォームだ。
ユニフォームは十種類以上ある。
ただし、『ニューフロリダ・ハンバーガーズ』のユニフォームを着た者は一人もいない。
この集団は、それ以外の球団のファンだ。
「あれは人類の汚点だ!」
「恥を知れ! 月はお前の落書き帳じゃないぞ!」
「あのふざけたメッセージを、絶対に消してやる!」
人類が最後に月に降り立ったのは、かなり昔だ。一九七二年のことになる。
それ以降、人類は誰も月に降り立っていない。
「しかし、われわれはあきらめんぞ!」
摩天楼の上空には満月が出ていた。
アメリカの首都ワシントンで大規模なデモが発生する。
デモに参加しているのは、野球のユニフォームを着た者たちだ。
ただし、『ニューフロリダ・ハンバーガーズ』のユニフォームを着た者は一人もいない。
「人類を再び月へ!」
「人類を再び月へ!」
「人類を再び月へ!」
「人類を再び月へ!」
「人類を再び月へ!」
彼らが掲げるプラカードには、月やロケットのイラストも描かれている。
その様子を建物の中から眺めている二人の人物。
アメリカ大統領と副大統領だ。
副大統領のポケットからは、『ニューフロリダ・ハンバーガーズ』の応援フラッグが少しだけはみ出している。
「大統領、どうします? あのデモを今すぐやめさせましょうか?」
副大統領が大統領にたずねた。
ワシントンでデモがあった翌年。
大統領の横には、別の副大統領が立っている。
二人がいるのは、ロケットを打ち上げるための管制室だ。
副大統領が言う。
「大統領、間もなく発射です」
「たのむぞ。アメリカ全土、そして、世界中が見ている」
管制室の画面には、ロケットの操縦席が映っている。
三人の宇宙飛行士がこちらを見ていて、
「大統領、それでは行ってきます」
三人とも宇宙服を着ていた。
彼らに向かって大統領は言う。
「たのむぞ。あのふざけた落書きを、絶対に消してきてくれ!」
いよいよ打ち上げだ。
カウントダウンがスタートする。
カウントダウンが終わり、ものすごい量の煙を吐き出しながら、ロケットが飛び立っていく。
ロケットから少し離れた場所で、打ち上げを見守っているのは、野球のユニフォームを着た者たち。
全員が笑顔だ。
こうして人類は再び月へと向かう。
ロケットは地球を飛び出した。
青い地球を背に、黒い宇宙空間を飛んでいく。
月に向かって。
ご愛読ありがとうございました。




