第三十五話 KUMA-no☆KIKAN(視点変更有)
(一之瀬尚吾視点)
「風花?……眠ったのか?」
首に縋りついたまま寝息を立て始めた風花に、俺は苦笑する。悠吾のやつ、風花に何を吹きこんだんだか。花火大会に行く前と後とでは、風花の俺に対する様子が明らかに変わっていた。
俺は眠っている風花をベッドに横たわらせた。母のTシャツを着ているせいか胸のあたりがはだけ気味で心もとない。タオルケットを胸元まで掛けて、顔にかかっている髪をふさりとよけた。ブラインドを通して入ってくる月明かりのせいで、部屋は柔らかな光で満たされていた。柔らかなエッジの不思議な陰影の世界に、風花と二人っきりで閉じ込められているような気分になってくる。
「風花……おまえこそ俺を置いてどこかに行ったりしないよな。俺が知らない、俺が行けない場所に言ったりしないよな……」
俺は風花の髪を何度も何度も梳きあげる。柔らかくて触り心地の良い髪も、温かくてしっとりした指ざわりの良い肌も、失うのが怖いと思ってしまうくらい愛おしい。
「悠吾の飲みかけなんか飲んで酔ってんじゃねーぞ、馬鹿……」
風花の頬をふにっと軽くつねる。俺はベッドの縁に腰かけたまま風花の寝顔を飽きることなく眺めた。
リビングに戻ろうとドアを開けると悠吾と母が立っていた。
「何してんだよ」
俺はぎょっとして目を見開く。
「遅いから……」
母が困ったように口ごもる。
「あんまり遅いから、おまえが風花に良からぬことをしてるんじゃないかと心配してたんだよ」
悠吾がニヤニヤしながら言った。
「……って、おまえじゃあるまいし……」
実は既に良からぬことをしてしまっていた俺は、内心ドキドキしながら二人を置いてさっさとリビングへ急いだ。風花の寝顔があまりにも可愛かったので、俺はついつい軽く啄ばむように口づけをしてしまっていた。
「おまえさ、風花に何を吹きこんだ?」
リビングに戻るなり俺は悠吾を問い詰めた。
「何って?風花が何か言ったのか?」
「何も言わない。だけど不安がってる」
「だったらそれが答えだろ?俺は何も言ってない。不安にしてるのはおまえだよ」
悠吾と二人で睨みあっていると、母が割り込んできた。
「ねぇ、久しぶりに家族がそろったのに喧嘩はやめてよ」
母の懇願口調に、俺はため息をついて声のトーンを落とした。
「……おまえはこっちで受験をしていない。俺がノルウェーの大学受験の状況を知らないのと同じように、おまえは日本の大学受験の状況を知らない。今の風花がどれだけデリケートな時期にいるのかが分からないだろ?あいつは今大事な時期なんだ、不用意に不安がらせるのはやめてくれよ。頼むから……」
「……おまえ、分かってないなー。俺が風花を不安がらせることなんてできるかよ。もし風花が不安を感じているのなら、おまえがその不安を取り除いてやればいいんだ。それができるのはおまえだけなんだぞ。分かってんのかよ」
「……さっぱり分からん」
俺は大きなため息をつくと、アクアビットのボトルを取り上げてグラスに注いだ。
「やー、心配だから俺もこっちで寝よーっと」
悠吾が奥の来客用寝室で寝ると言い出した。母もやけにウキウキと悠吾の為にタオルケットを用意している。
「なんだかみんなが集まって眠るのって久しぶりね。やっぱり風花ちゃんを捕まえておいてよかったわー」
捕まえてって……風花は虫じゃないって。俺は再び大きなため息をつく。
その夜、俺は不思議な夢を見た。シマシマクマの抱き枕が帰ってきた夢だ。シマシマクマは俺に問いかけた。
『ね~、トイレどこだっけ』
『……』
呆然と見上げる俺に、シマシマクマはじれったそうに同じ問いを繰り返した。
『あっち』
俺はトイレのある場所を指差す。シマシマクマは頷くと俺が指した方にポテポテと歩き出した。
『おい、今度はちゃんと戻ってこいよ』
俺はシマシマクマの背中に呼びかけた。
『うん……』
俺は一人納得して頷いた。そうか、トイレを探しに行ってたのか。かわいそうに。あれ、でもぬいぐるみってトイレ行くんだっけ?首をひねっていると、シマシマクマは約束通り戻ってきた。リビングのソファはベッドになるタイプだったので、スペース的に割と余裕がある。俺はシマシマクマのスペースを空けてやる。シマシマクマはそこにドサリと横たわると、あっという間に動かなくなった。まぁ、抱き枕なんだから動かない方が普通かと俺は納得する。すべすべの柔らかい触り心地と草原みたいないい匂いは相変わらずで、俺はいい気持ちで抱き枕を抱え込んだ。
『おまえ、どこに行ってたんだよ。随分探したんだぞ』
『ん?海。魚がね~、魚がいっぱい……』
返事を期待して行ったわけではなかったが、シマシマクマからそう返答があった。
『海?そっか、海かぁ……』
深いフィヨルドの海の上を俺は船で進んでいた。穏やかな水面。穏やかだけど、氷河に削られたこの海は底なしに深い。水深千メートル。一キロも海に沈み続けるなんて、想像しただけでどうにかなりそうだ。魚がいたというシマシマクマの言葉に少し安堵する。
『一人ぼっちじゃなかったんだな』
『うん。それに、しょーごがいつか見つけてくれるって分かってたからね』
シマシマクマはクスクス笑うと嬉しそうに俺の胸に顔をすりよせた。
「きゃあああああ」
一之瀬家の朝は、けたたましい母の悲鳴から始まった。
「尚吾、大変、大変よー、風花ちゃんがいないのー」
バタバタと奥の部屋から起きてきてリビングのドアを開けた途端、母は鋭く俺の名前を呼んだ。
「ん?」
俺はリビングのソファで目覚めて硬直する。なんでだ?
「なんかあったの?」
悠吾もあくびをしながら奥の部屋から出てきた。
俺の寝ている隣には風花がすやすやと眠っている。俺はそんな風花を抱きかかえるようにして眠っていた。
「し、し、し、尚吾っ、なんてことをっ。母さん、佐竹さんになんて説明すればいいの?」
母が金切り声をあげた。
「い、いや、俺何もしてないし……」
俺は慌てて起き上る。
「ん?」
風花がぼんやりと目を覚ました。
「あれ?ここどこ?なんでトーネさんがいるの?あれ?ユーゴ君?んんっ?」
風花は隣の俺を見て絶句した。
「……もしかして……私、またやっちゃった?」
やっちゃった。俺は力強くうんうんと頷いた。
* * *
(佐竹風花視点)
「まぁ、結論から言うと、君たち三人が一緒に寝ていても、大地震が起きたら全員逃げ遅れるってことだな」
悠吾君がバタートーストにジャムをコテコテ塗りながらしたり顔で言った。
「尚吾は眠りが浅くて敏感な性質だと思ってたのに、いつのまにか体質が変わったのね」
トーネさんが感心したように言った。
「昨夜はアクアビットを飲みすぎたんだと思う。いつもはちょっとした物音でも目が覚めるんだけどな」
尚吾が首をひねりながら、トマトジュースを飲みほした。
「うううう~」
私は一人頭を抱える。なんだか頭が重苦しくて痛い。
「風花ちゃん、本当に大丈夫だったの?尚吾に何かされたんじゃないでしょうね?」
トーネさんが心配そうに問いかけた。
「私、頭が痛いみたいなんだけど……尚吾、何かした?」
私は呻いた。
「お、俺は頭が痛くなるようなことは、な、何もしてないぞ……二日酔いじゃないのかっ?」
尚吾が少し慌てた様子で言った。私は首を傾げる。なんで二日酔い?コーラを飲んだだけなのに。
「と、とりあえず、水分を取った方がいいなっ」
今度は悠吾君が慌てた様子で、スポーツ飲料を冷蔵庫から取ってきてくれた。挙動不審な双子と心配そうなトーネさんに見つめられて、私は再び頭を抱え込んだ。昨夜のことが思い出せない~
読んでくださってありがとうございます 招夏




