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「おい」
研究棟に戻ってきた凜を呼び止めたのは上島だった。怒り心頭、といった風で眉を吊り上げながら凜を見てくる。
「お前ら何考えてんだ。部外者を勝手に棟内に連れ込むなんてあり得ないぞ」
「すみません」
凜は素直に謝った。自分が直接やったわけではないが、愛稀がここまで来てしまったのには、自分にも責任の一端があることは間違いない。
「――ったく。間宮にも厳しく言ってはおいたが、通常であれば厳罰モノだぞ。今回は特別に反省文だけで許してやるから、明日までに書いて石山教授と俺のところまで持ってこい」
「分かりました」
と凜が応えると、上島の顔が少し穏やかになった。
「とはいえ、お前も普通の人間だったんだな」
「いままで何だと思っていたんですか?」
凜が訊き返すと、上島は「うるさい! 余計なことを言うな」と一喝したが、すぐにまた落ち着きを取り戻した。
「まあとにかく、若いんだし、色々と楽しんだらいいんじゃないかってことだ。ただ、自分の本分は忘れんなよ――」
上島はそう言うと、ポンと凜の方に手を置いて去っていった。
研究室の扉を開けると、次に州崎が飛んできた。
「おい、一体あの子、何者なんだよ」
と、いの一番に質問を投げかけてくる。凜は、州崎の言葉を無視して自分のデスクに向かった。その後ろを、州崎がなおもついてくる。
「お前、研究室中のウワサになってるぞ」
席に着く。ふと顔を上げると、室内の角の丸椅子に遙が座っているのが見えた。上島に怒られたからか、しょんぼりと肩を落としてうつむいていたが、ふと凜と目が合うと、口元でにこりと笑った。「やりましたね」とでも言いたげな表情だ。
さらには、心なしか州崎や遙以外のメンバーからも、ちらちらと見られているように思える。
愛稀との関係について周囲に知られるのが嫌だというわけではない。ただ、好機の目にさらされているという点で、若干のうざったさは感じた。放っておいて欲しい、というのが本音である。だが、事は自分の思うようにはいきそうにもない。
「悪い、サンプルを遠心分離機にかけているんだ」
まだ何か言いたそうな州崎から逃げるように、凜はチューブラックを手にそそくさと部屋を出て、遠心分離機のある別室へと移動した。
遠心分離機の停止ボタンを押した。緊迫したように鳴り続けていたモーター音が、脱力したような緩い音にとって代わり、徐々にローターの回転が弱まってゆく。円い混沌の渦の中に徐々に輪郭が刻まれ、中心から対照の位置関係に設置されたマイクロチューブが個々の形を取り戻していった。
その様子を眺めながら、凜はこれからのことを考えた。
果たして、愛稀とはどんな仲になっていくのだろう。また、彼女と関わっていく中で、他の人たちとの関係性はどうなっていくのだろう。恋人ができるなど、凜にとってははじめてのことだった。あまりに遅い青春の到来である。未来のことなど想像もつかないし、実際に予想だにしない出来事もたくさん待ち受けていることだろう。何せ、今の状況だって、凜にとっては青天の霹靂なのだ。
止まろうとしている遠心分離機とは対照的に、凜と愛稀との運命の歯車は、今まさに回りはじめたところであった。
<了>




