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夢の螺旋  作者: Tomokazu
エピローグ
55/57

4


 4



 K市には南北に連なる大きな河川があって、大学の裏手の方にもそれは流れている。付近は河原となっていて、地元の人たちの憩いの場にもなっていた。

 凜と愛稀は、川を臨む堤防の石段に並んで腰を下ろした。何気に河原の方へと目をやる。暑くなりかけてきたこの時期、清流の眺めは涼やかだった。時おり、河原に集まった家族やカップルのはしゃぎ声が風に乗って耳に届いてくる。


「時間は大丈夫なの?」


 おそるおそる愛稀は訊いてきた。川の方から視線を外さずに凜は答えた。


「実験の待ち時間だから、しばらくは大丈夫だ」


「さっきはごめんね。びっくりさせちゃった……かな?」


「まあ、ちょっとはね」


 あまり驚いた様子もなく、凜は言った。彼は普段から冷静沈着で、感情を表に出すことは少ない。しかし、それは傍からそう思われる性分だというだけで、内心では色々なことを考えたり、感じたりしているものなのかもしれない。


「けど、本気なのかい。僕と付き合いたいというのは」


 愛稀は躊躇いがちに、でも確実にひとつ頷いた。


「どうして僕なのかな」


「分からない?」


 愛稀は一瞬、少し尖った口調になった。


「……ごめんなさい。嫌な言い方した」


「いいや。謝らなければならないのは僕の方だ。君とは、早いうちに話をしなければと思っていたんだ。だが、色々なことを言い訳にして、おざなりにしてしまっていた」


 凜は言った。研究で忙しいというのは事実だ。だが、実のところは、それを口実にして、彼女とどう向き合うべきかという結論を、先延ばしにしていたにすぎないのである。そんな凜に対し、愛稀は自分の素直な想いを口にした。


「私、出逢った時から凜くんのことがなぜか気になってた。それがはるか昔からの縁がもたらしていたものだと分かった時は嬉しかった。凜くんは、私にとってつながりを感じることができたたったひとりの人。これからもそうあれたらいいな、と思うの。彩さんの代わりにはなれないかもだけど……、私は私なりに、凜くんの道に寄り添いたいと思う」


「そうか――。君にそう思ってもらえているのは、嬉しいことだな」


 凜はそう緩く呟いた後、明確に力がこもった声で愛稀に言った。


「僕が思っていることを、はっきり言ってもいいか?」


 愛稀は緊張した面持ちでうなずいた。


「君と僕とは、遠い祖先からの縁で結ばれていた――それは僕もその通りだと思う。けれど、僕はそれが自分自身に定められた運命であるとは思いたくない。彼らには彼らの人生があったように、僕らには僕らの人生がある。今を生きる自由を奪われたくはないんだ」


「そう……なんだね」


 愛稀はぽつりと言った。次の彼の言葉を聞きたくない気がした。人生の自由を奪われたくない――そんな彼の言葉から、てっきり究極的な結論を言い渡されるのだと思った。

 だが、愛稀の予想は別の意味で裏切られることとなる。


「僕は、僕の本心で、君のことを大切だと思った。君が本当にいいのなら、僕が君の支えになりたい。君が実の両親を捜していることにも、できることがあれば協力しよう」


「本当? 嬉しい――」


 愛稀は顔をほころばせた。相思相愛になれたという実感が、彼女の胸の中をじんわりと熱くする。と同時に、彼女の身体は脱力して、崩れ落ちるようにその場にうずくまった。


「どうした、大丈夫か?」


 凜は少し驚いて言ってくる。


「ごめん、緊張が一気に解けた――」


 思えば、遙とばったり出くわしてから、ここに至るまで、愛稀はずっと身体をこわばらせたままだった。故に、安心した途端、急激な脱力感に襲われたのである。

 その時、ふと彼女の背に触れるものがあった。凜が手で触れている。

 はっとして振り返ると、そこにはこれまで見たことのない、穏やかな微笑みを湛えた凜がいた。

 理知的で冷徹ですらあった彼の瞳が、今は自分の存在を、ただ一人の女性として真っ直ぐに映し出している。愛稀は、彼の漆黒の瞳に吸い込まれそうになった。世界から色が溢れ出し、彼女の胸の奥を熱く満たして行く――。


 その時。



 ピピピピ……。



 場にまったくそぐわない電子音が鳴り響いた。凜がスマホを手に取る。アラームをかけていたらしい。音を止めると言った。


「すまない。そろそろいかないとだ」


 凜はすっくと立ち上がると、「急ぐから、ここで」と、挨拶もそこそこに堤防の階段を上がってゆく。


 さっきまで夢心地になりかけていたのに、突如現実に叩き落されたような気分だ。わが道を行くといえば彼らしいが、もう少し乙女心に寄り添ってほしいものだと、愛稀はわずかばかり不満に思わなくもなかった。ふと、凜が思い出したように振り返った。


「また後で必ず連絡するよ」


 愛稀は「うん、待ってる」と嬉しそうに微笑んで、手をひらひらとさせた。

 彼の言葉に、先ほど芽生えた不満の感情もすっと消えてしまう。

 ほんの些細なことであれ、彼との次の約束があるだけで、いまの愛稀は満足だった。

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