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ゲノム高次機能研究室にて、凜は実験作業に追われていた。
今行っているSTR配列の研究を、ある程度のところまで形にしたい。来年には石山がこの大学を辞めることが決定しているからだ。コスモライフの一件について、彼なりの責任の取り方なのだと、凜なりに理解はしているつもりだった。
だが、実質的な問題として、来年度博士課程に上がってからのことがある。石山が研究室からいなくなると、同じテーマを継続することは難しくなるだろう。故に、修士である今のうちに、一定の評価があるところまで、研究結果を出さなければならないのだ。それに、研究者の道を歩むとするならば、今のうちに頑張って成果を上げておくことは、きっと自身の将来にもプラスにはたらくはずだ。
このように研究に邁進する彼ではあるが、頭の片隅で、他に気になっていることがあった。
愛稀のことである。
夢の世界で双葉と戦い、コスモライフから無事抜け出せた。
雷也とも和解できた。もっとも、当初から凜は雷也を許せないと思っていたわけではなかった。彼の性格はよく分かっている。あの場面であえて怒ってみせたのは、どのような理由であれ、あのような目に遭わせられたことに対して、少しは仕返しをしたかったからである。第一、自分も愛稀も、精神世界で死にかけているのだ。
しかし、怒りを引きずることはなく、そこからはいつも通りの関係に戻った。
ともかく、一連の出来事については、ひととおりの解決を見た。しかし、それとは対照的に、肝心の愛稀については、おざなりになってしまった感が否めなかった。
あの日、夢から覚めた後の愛稀は、なぜか凜とあまり言葉を交わそうとはしなかった。雷也の車の中でもむっつりと黙ったままだったし、街に戻るとそのまま別れてしまったのである。
彼女のことが気がかりではあったものの、研究室に戻ってから、実験が忙しいことを言い訳にして、後回しにしてしまっていた。そろそろ近況を確認するという口実をつけてでも、連絡をした方が良いかな――とも思えてきた。
そんな思いを頭の片隅に抱えつつ、凜は実験作業を進めていった。
インキュベートが終わったサンプルが入ったマイクロチューブをラックに入れ、凜は自身の実験デスクから、実験機材が置いてある別室に向かうべく立ち上がった。そこでチューブを遠心機に入れ攪拌し、サンプルを沈殿させて液体と分離するのだ。その後、上澄み液を捨てて、残ったサンプルは冷凍保存する段取りとなっている。
実験室の扉を開けて、廊下へと出た。向かいの別室に向かうべく歩き出したその時――。
「凜くん!」
突然、声がした。振り向くと、愛稀の姿があった。思いつめた顔つきでこちらを見ている。
「愛稀……どうしたんだ、こんなところで」
どうして部外者の愛稀がここにいるのか、凜には理解できなかった。彼女の後ろには、遙が付いている。察するに、彼女が連れてきたのだろう。だとしても、何のために――。
「凜くんに、言わなきゃいけないことがあったの」
と愛稀は言う。
「何だ?」
と凜は問い返した。愛稀はすぅぅ――としばし息を吸い込んで、思い切ったように声を吐き出した。
「私と付き合ってください!」
廊下中に声が響き渡り、一瞬空気が止まったような心地がした。実験室を行き来していた他のメンバーたちも、一斉に立ち止まってこちらに注目している。凜はしばらく黙っていたが、やがてゆっくりと口を開いた。
「すまない、今取り込み中なんだ。少し待っていてくれないか。終わったら連絡するから」
凜は落ち着き払った様子で、向かいの部屋へと入ってゆく。
一方で、愛稀の顔面は、今さら恥ずかしさで、爆発しそうなほどに真っ赤になっていた。




