第3話 赤ん坊の魔法と無詠唱の魔術師
「あそこにベビートレント2体」
シアンの声が聞こえ、アルトはその方向を確認する。一見すると、何の変哲もない森の風景、しかし、木々に混じり、確かに2体のベビートレントがいる。
ファイアーボール2発で確実に仕留める。
どうやって気付いているんだろう……。もう少し近づけばアルトだって気付けたはずだ。しかし、シアンが魔物を発見するのは、アルトよりもはるかに早い。
アルトは不思議に思う。けれど、当然と言えば、当然なのだ。この村は町からかなり離れている。ここに訪れる冒険者たちはいつだって3人以上のパーティーを組んでいた。
村の周辺にいる魔物は大したことはないが、川を渡れば、魔物の種類もはるかに増える。何度か父と川を渡ったことがあるが、アルト1人では決して勝てないであろう魔物をいくつも覚えている。
しかも、森は広く、最寄りの町まで1週間はかかる。魔術師が1人で訪れるようなところではない。そこを白い衣服を汚すことなく、1人で現れたシアンの強さは計り知れない。
「いやー、見事なファイアーボールだねー。次はあれだよ」
シアンは大きめのパラライズビーの巣を指さす。
「あれは避けた方が……」
アルトはそう答えたが、シアンは少し考え、巣に向かって、ファイアーボールを放つ。
咄嗟にアルトは逃げようとしたが、シアンに首根っこをつかまれる。ジタバタと逃げようとするも、4歳児に大人の手を逃れる力はない。
巣にいたパラライズビーは全滅したようだが、もともと巣にはおらず、周りを飛んでいる物だけでも数十匹はいる。これらが一斉に2人に向かって突撃してきた。
アルトはこれに対処する術を持たない。
しかし、パラライズビーとの距離が縮まった瞬間、パラライズビーは燃えた。
そこに見えない壁があり、そこに激突して落ちるように、一定の距離のところで、次々にパラライズビーは燃えて落下した。
見たことない魔術だった。アルトはシアンを尊敬の眼差しで見つめる。
パラライズビーが残っていないことを確認し、2人は先に進む。
アルトの畏怖にもかかわらず、シアンは気さくに話しかけてくる。父のこと、村のこと、あれこれと聞いてくる。パンツについて聞かれなかったのは幸いだ。
話しながら、父から聞いたシアンの話を思い出していた。
父、ダンの冒険者パーティー「鋼の誓約」の元メンバー。
魔術師。
確か今は領主のところで働いている……。
冒険者時代のたわいもない思い出をいくつも聞いたはずだ。
しかし、自分の関わっていない話をあまり細かく覚えてはいられない。
と、そこで、1つ自分の関わっている話を思い出した。
「シアンさんは僕の師匠、なんだよね?」
それは、今から4年程前の話だ。
ダンはアルトを背中合わせに背負って、シアンと森を歩いていた。
もちろん、前衛がダン、後衛がシアンだ。1歳に満たないアルトを中衛ということは……まぁ、無理だろう。
この時期、アルトはひたすらシアンを見て育った。
自分を背負っているダンの声は常に聞こえている。しかし、目の前には常にシアンがいた。言葉にならない声に常にシアンがうなずいて答えてくれた。ぐずった時もシアンがあやしてくれた。
魔物が現れた時には、シアンの詠唱と魔術を見ていた。
「万象を司る火の神よ。我が魔力を糧として、原始の炎を此処に顕現せよ、ファイアーボール!」
シアンは丁寧に詠唱した。当時、村への入植は始まったばかり。今よりももっと魔物は多かった。
1日に何十回、時には100回以上もこの詠唱を耳にした。
「万象を司る火の神よ。我が魔力を糧として、原始の炎を此処に顕現せよ、ファイアーボール!」
シアンは詠唱し、ファイアーボールが放たれる。幼い目には、それは単純に綺麗だと映る。
「あー……うー……よ! わー……てよ!」
アルトは復唱し、自分の手を見て、不思議そうに首をひねっている。
シアンはおかしくなって笑いだす。
しかしその日から、このやり取りを1日に何十回と繰り返すことになる。
「万象を司る火の神よ。我が魔力を糧として、原始の炎を此処に顕現せよ、ファイアーボール!」
「ばー……ひー……よ。わー……ほー……えよ、おー」
「万象を司る火の神よ。我が魔力を糧として、原始の炎を此処に顕現せよ、ファイアーボール!」
「ばん……ひの、みよ。わぁ、かて……ほの、てよ、あーおー」
「万象を司る火の神よ。我が魔力を糧として、原始の炎を此処に顕現せよ、ファイアーボール!」
「ばんちょ……ひの、あみよ。わが、まー……えんえんてよ、あいおー」
そして、特に会話のない時、アルトはふと手を掲げ、思い出したように詠唱することもあった。
「ばんちょー、かどー、ひのかみよ。わが、まー、かて、ほのお、てんてんてよ、あいあおー」
「ばんちょー、ちゅかー、ひのかみよ。わが まーく、かてちて、でんちの ほのお、てんげんてよ、あいあーおー」
詠唱に気を取られ、アルトはぐずることが少なくなってきた。そんなある日、また、アルトはふと手を掲げ詠唱する。
「ばんちょー、ちゅかちゃー、ひのかみよ。わが まどく、かてとちて、でんちの ほのお、てんげんちぇよ、あいあーおー!」
その瞬間、アルトの手から、ファイアーボールが放たれ、それはシアンの胸元に直撃する。
アルトのきゃっきゃっという歓声、シアンの悲鳴、慌てふためくダン。
「師匠……かぁ」
現在のシアンは少し考え、そして、言う。
「そうとも言えるかもね……いやー、あの時は痛かったなぁ、まぁ、無詠唱を練習するきっかけにもなったから、良しとしよう」
ところで……と、シアンはアルトに向き直り、言った。
「さっきはなんでパンツだけ洗っていたのかな?」
どうやら余計なことを思い出させてしまったらしい。
「ぁ、そろそろ村が近いから僕、もう行くね」
村の方を指さした後、アルトは駆け出す。村の周囲には生垣が巡らされているが、実は北側に1か所だけ下をくぐれるところがあるのだ。目指すはそこだ。
大きく迂回し、森の中を進む。そして、生垣が見える。
生垣の下にもぐりこんだ時、その先に2本の足が見えた。つま先はこちらを向いている。
誰かがアルトを待ち受けている。




