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『川越まつり』あるいは『尿意』…5

 けんりゅうじ、ほていそん、と呟きながら看板を眺めて過ぎた。辿り着いたのはやはり高澤橋で、そこにあるのも六塚稲荷神社で間違いなかった。右の坂の上にはすぐに山車の背中が見え、どこの山車だかわからないと思う暇もなく「元町二丁目」の文字が見え、ぼふぼふと息が入るマイクで、宰領の自己紹介が始まった。俺は集まりに近づき、なにかの商店の軒先で話を聞こうとしたが、話は音声として耳に入っても、充分な意味を成さず、理解ができなかった。

 木遣りが始まった。携帯電話を取り出して時刻を確認すれば、十八時三〇分になっていた。ひとりが歌い出し、それから皆の声が加わった。とととん、とん、とん、とん、とんと締め太鼓が入り、二ヶ所の拍子木がほとんど同時に頭上でゆっくりと二度鳴らされ、笛が入り、大太鼓が入り、せーの、と声が上がり、車輪を重く軋ませながら、山車が右から左に動き始めた。提燈が揺れ、囃子のテンポが上がった。夜の始まりだった。

 しばらく山車の背中を眺めたあと、俺も後を追い始めた。菓子屋横丁の入口を過ぎ、路上に棄てられたマスクをよけ、山車の前後で振られる誘導棒を眺め、戸田接骨院の看板を眺めて過ぎた。笑い声が過ぎ、金木犀の香りが過ぎ、女の匂いが過ぎた。誰かのヨーヨーがぱこぱこと鳴り、とうもろこしが焼き網の上で向きを変え、鉄板の窪みの中でたこ焼きが次々に引っくり返されていった。誘導の声がだんだん大きくなり、札の辻の手前で山車は止まった。北から南へ別の山車が過ぎ、拍子木が打ち鳴らされ、山車は再び前進を始めた。

 俺は元町二丁目の山車を追うのをやめ、一番街に入った。だめだ、と俺は思った。どこにも行きたくなかった。だが、どこかに行かなければ仕方がなかった。茶の匂いが香り、それからすぐに消えた。

 宮下町の山車を追って、人々は南に動いた。甲高く薄っぺらい人間どもの話し声が耳にうるさく、ぴかぴか光るバルーンが目にうるさかった。俺はふと思い出して「金笛」を探し、細い入口から人気のない稲荷小路に入った。振り返れば小路の隙間から紅白に彩られた居囃子の舞台が垣間見えた。ここでこっそり囃子を聴くのもひとつかもしれない。一旦はそう思ったが、俺がいることによって小路に気づいて入ってくる人間どもが煩わしく、馴れ馴れしく尻を振るひょっとこの姿に違和感もあったので、結局は小路を抜けることにした。「幸すし」の格子を左に過ぎ、幸せ稲荷から離れる若い男女とすれ違い、突き当たりを右に向かった。スカラ座の向こうに提燈の群れが過ぎていった。

 一番街から離れるように、鐘つき通りを左に向かった。「ひまわり堂」の向こうに高張提燈が現れ、山車が通りまーす、と声がして、関係者が入ってきた。大人のじゃらん棒が重く突かれ、若者が地面を携帯電話のライトで照らし、ガラスと石ころを蹴って通りの外によけた。警護の弓張提燈が左右に振られ、山車が現れて止まり、フラッシュが白く光り、せーの、と何度か声がして、山車全体が通りに向けて向きを変えた。関係者たちが慌ただしく通り過ぎ、行燈と人形がせり上がり始めた。

 俺はその様子を眺めながら進行の邪魔にならないように街灯の前に身を置いたが、関係者の中年女が俺の前を塞いで動画を撮り始めたので、身動きが取れなくなった。ああ、いいですよ、俺が邪魔ならお好きなように。俺は不機嫌になりながら山車が動き出すのを待ったが、なかなか人形は整わず、山車は動き始めず、気分はますます沈んでいき、やがて山車を眺めるのをやめて、そっぽを向いた。関係者ならもっといい場所で撮ればよいだろうに、曳き綱の合間とかで撮ればいいんじゃないの、普通は人の前には来ないです、でも優先はそちらなんで、どうぞ。

 状況に飽き、じゃんけんを続ける児童らに嫌悪を覚え、苛立ちが高まるための充分な時間が過ぎた。関係者のライトに照らされて車輪の影が通りに落ち、ようやく山車が動き始めた。俺は足早に人間どもの間を抜けた。下、石畳だから、という声を後ろに訊きながら、俺はもう一度、不機嫌に思った――普通は人の真ん前には来ない。


 再び膀胱に尿意を感じ始め、どうしようかと俺は考えた。ここからなら一番近くても松江町交差点の公衆便所か。まるひろまで戻る必要はないが――。そんなことを思いながら進めば、松江町二丁目の会所前に別の山車が停まっていた。羅陵王。舞っているのは天狐だった。少しは眺めていこうかと足を止めれば、再び動画を撮る関係者に押し退けられるように前に入り込まれた。俺は再び不機嫌になりながら観覧と進行を諦めて、東に向かう脇道へと入っていった。去り際に見れば、車輪の下でバールがくっくと動かされ、山車が動き始めようとしていた。白人とすれ違えば、腋臭の匂いがした。

 いっそもう、初雁まで抜けてしまうか。そう考えておよその方向を頭に描き、歩みを速めた。三久保町の会所を過ぎ、バス停の「中央公民館入口」の表示を眺め、突き当たりのパワーグリッドを左に曲がり、ひまわり幼稚園、第一小学校、「前川製餡所」と過ぎながら、夜の通りを右に、それから左に曲がった。関係者特権、犬特権、子ども特権、脳内ではそんなことを考えていた。彼方には囃子と、そーれい、そーれい、という掛け声が、薄く聞こえていた。

 春日部ナンバーの不愉快な車に追い越され、関東大会出場云々の幕が下がる川越高校を過ぎて、郭町交差点に辿り着いた。左を見ればパトカーや誘導棒の赤い光の向こうに山車が見えた。関羽か、と俺は少し不思議に思った。郭町は山車はあるが、夜も居囃子なのか。昨日初めて見た山車だったが、いずれにせよ孤独で、奇妙な姿だった。

 芳香ボールの匂いがする便所に辿り着き、尿をした。胸が苦しくなるような、切ない尿だった。蝉たちはとっくに鳴くのを止めていた。今ごろは便所の裏の土の中にでもいて、然るべき季節を待っているのだろう。高校野球観戦の合間に便所の裏で喫煙をしながら葉の裏の蝉の脱け殻に気がついたのは、四年前の夏の終わりだった。コロナウイルスなど知るはずもなかった頃、母親の認知症が明確に始まりつつあった頃のことだった。


 便所を出て、初雁通りを札の辻の方へと歩き始めた。左足の小指に肉刺ができていた。交差点を過ぎながら、じゃあ本気を出していきますか、と脳内で呟いたが、その言葉が虚しいものであることはわかっていた。帰っても仕方がないからここにいるだけだった。

 酒を飲み始めようと思った。飲み始めるべき場所を考え、孤独な関羽の前で囃子を聴きながら飲もうかと縁石に向かえば、若い男女に先に座られた。やれやれ、どうにもタイミングが合わねえ。

 うんざりしながら俺はさらに歩いた。市役所の前はすでに撤去が進んでいた。歩き煙草どもにも、人間どもの話し声にも笑い声にも、際限なく現れ続けては吠え続ける同じ顔のグロテスクな犬ころどもにも、「ワンちゃん入店OK」などと書かれた低能で不衛生な飲食店ののぼりにも、すべてにうんざりしていた。


 札の辻はすでに空き始めていた。俺はポケットパークの銅像を眺めて過ぎた。来年はもう来ないだろう、そんなことを考えていた。露店の匂いと煙の中を過ぎてファミリーマートに向かい、駐車場の隅に陣取って煙草に火を点けた。フルーツあめのピンク色の暖簾が水溜まりに映っていた。目の前では家族が「だるまさんが転んだ」で遊んでいた。露店では射的の音がぱんと鳴り、バルーンに吹き込まれる空気の音がしていた。俺は昨夜の残りの男梅の瓶をバックパックの中から手品のように取り出して、ようやくぐびぐびとアルコールを胃に落とした。アルコールの温かさが身体に入り、胸の冷たさを感じた。なにかを考えようとして、考えるのをやめた。意味もなく振り返り、酒を煽る自分の影が白いフェンスに映るのを眺めた。

 また尿意を感じ始めた。俺は煙草を灰皿に落とし、地面に置いた瓶とバックパックをひょいと持ち上げ、札の辻を抜けてまつり会館の裏手に向かった。今日は酒の回りが早いな、そんなことをぼんやりと考えていた。

 笑っては手を叩く男女を過ぎ、衣装を直す手古舞姿の女児を過ぎ、暗がりの車止めブロックに躓きながら便所に入り、タコハイプレーンサワーの空き缶を見ながら尿をし、尿意、と思った。今の俺の状況の全体にタイトルをつけるならば、『尿意』がふさわしいのだろう。鏡を前に手を洗い、出がけに自転車をこぎ出すなり目に飛び込んできた虫のことを忘れていたことに気がつき、隈が深くなったなと思いながら自分の顔を眺めた。

 便所を出て、結局全国の山車祭りのポスターが貼られないまま終わったまつり会館の脇を抜けた。あのポスターを眺めながらこれまでの旅を思い、季節の終わりを感じるひとつの静かな時間も、今年は得られなかった。

 ベンチで煙草を吸っている馬鹿の副流煙の臭いが不愉快だった。出口の先のいつもの風景を、俺はぐったりと眺めた。「杉養蜂園」が紅白幕の向こうにあり、八幡太郎が右に、高砂が左にいて、提燈がぶつかるぐらいに近づいていた。山車の上では鳶がなにかを話し合っていた。そうした風景が、ただ冷ややかに視界に映っていた。俺は溜め息をついた。色々と終わった、そんなことを思いながら、一番街には入らず、まつり会館の駐車場を抜けて高澤通りに戻った。顔が火照り、頭が痛んでいた。


 ひんやりとした空気の寺町通りに入り、薄く聴こえ続ける囃子の音の中を歩いた。一昨日の夕にデイサービスの担当者からの電話を受けたのもこの通りにいるときだった。一度携帯電話の不具合で電源が落ちたあとにもう一度かかってきて、着替え、洗濯サービス、帰宅時の連絡、鍵、そんな話を朗らかな声の中年女性が喋るのを、音質の悪い携帯電話越しに聞いた。

 最悪やん、と汚らしい似非方言で喋りながら男子小学生が通り過ぎた。俺は今は特別養護老人ホームと理解した建物を右に眺めた。なにが楽しいわけでもなかったが、帰ることもできず、帰らないこともできなくなっていた。金木犀の匂いは相変わらず鬱陶しく、人々の存在感も同様だった。行傳寺の前を「山屋」の方に曲がった。色々と終わりだ、ともう一度思った。

 母親の件とは関係なく、忘れることが怖くなっていたのは事実だった。覚えておけるものならば、それがFukaseであっても、キャベツのばあさんであっても、市役所前の縁石に腰を下ろして美味しそうに大きな焼きまんじゅうを口に運ぶ母娘の姿であっても、ビール売ってますと小さな声で母親の手伝いをする女児の姿であっても、囃子を終えてはあはあと息をつきながらにこにこぱちぱちと手を叩いて帯に二本目の笛を差して前髪を分ける囃子方の女性の姿であっても、射的の露店で真剣な目で景品を見つめたあとで片目を閉じて銃を突き出す男児と的中に拍手をする母親の姿であっても、関係者の説明を受けながら志多町の会所を覗き込む暖色の照明に照らされたばあさんたちの顔であっても、母親の鍵をバッグに取り付けるためにクレアモールのキャンドゥで選んだカラビナチェーンとその重さであっても、選んで立ち上がったときの気を失いそうな立ち眩みであっても、覚えておきたいと思うようになっていた。

 路地を抜けた。埼玉りそなは相変わらず灰色のシートを被って惨めな姿を晒し続け、なにかがあるべき夜の空間に不毛な空白を作っていた。蔵造り資料館もなく、「龜屋 」も工事中で、札の辻の北西の一角も解体工事中だった。それが今の川越だった。あるべきものがなく、あるべきでないものがある、奇妙な今年の祭りだった。一番街ももはや普通に歩ける程度の人間しかいなくなっていた。

 右に向かった。屋台村では昨日と同じく眉にピアスをした女が唐揚げを売っているのがわかった。仲町交差点には弁慶やいくつかの山車が集まっていたが、なにかが違うように思えてならなかった。山車が一番街に連なりすぎている。もしかしたら運行の仕方が変わったのかもしれない、あるいは世代交代があったのか、そんなことも考えた。それらしき外観の蔵造りと、みっふぃーだのの中身。そんなものにも当然違和感はあった。川越まつりのパロディ、そんな違和感があり続けた二日間だった。

 J-COMの生中継の撮影を避け、時おり酒を口に運びながら、龍神の山車を追って北に戻った。山車は幸町の会所前で右に向き、すぐに左に向き直り、さらに北に向かった。指で反響を殺し、手首を返す鉦と、ひらめく笛の指、反動で跳ね返る大太鼓のバチの残像を、俺は囃子台のLEDの光の中に見ていた。

 やがて山車は「近長」の角で止まって向きを変え、そーれい、そーれい、という掛け声とともに鐘つき通りに入っていった。俺も山車の後を追って通りに入った。山車は時の鐘の前で再び止まって囃子台を左に向け、しばらく囃子を奏し、囃子台を正面に戻し、再び東へと進み始めた。山車の正面方向からの照明に照らされて赤い髪の左右が透けて光る龍神の後頭部の彼方に、ひときわ輝く星が見えた。木星だった。

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