第二話 銀髪、金角、白蛇の尾
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深い闇の底から、泡が浮き上がるように意識が戻ってきた。
だが、その意識は、これまでの「俺」という輪郭を失っていた。
脳内に、濁流のような情報が流れ込んでくる。
予約したグッズのビニールが擦れる音と、冷たい石の床で唱えた血を吐くような詠唱。秋葉原の雑踏の匂いと、古い羊皮紙の匂い。
相反する二つの記憶が、強引に一本の糸へと縒り合わされていく。
(……ああ、そうか。私は……)
私は、魔法生物兵器「キメラ」の実験体にされるために呼び出された異界の魂。
そして、あの銀髪の女性が最期に賭けた、未完成の術式「魂の融合」の結末。
「……っ、ふ……あ……」
こぼれた声に、自分でも驚いた。
濁りのない、鈴を転がすような清涼感のある響き。
かつての自分の声でも、彼女の声でもない、透き通った新しい調べだった。
なにか、謎の柔らかい物体の中に居るようだ。
私は、物体の内側を破いて、外に這い出た。
ゆっくりと上体を起こす。
視界に入った自分の腕は、エルフのような透き通る白さを持ちながら、中性的でしなやかな強さを感じさせた。
「ここは……」
あたりを見回し、私は言葉を失った。
そこは、かつての「召喚の間」の無残な廃墟。何百年という歳月をかけ、高濃度の魔力が結晶化した赤紫の「魔晶石」の柱が、そこらじゅうから牙のように生え揃っていた。
そして、おそらく自分が入っていただろう赤紫色の繭が、魔法陣があった場所の中央に鎮座していた。
私はふらつく足取りで、近くにある巨大な魔晶石の柱へと近づいた。
鏡のように滑らかな結晶の表面に、今の「私」が映し出される。
「これが……私……?」
そこにいたのは、背中にまで届く白銀の髪をなびかせた、息を呑むほど美しいエルフの相貌を持つ人物だった。
だが、その額からは、魔力を凝縮したような二本の金色の角が、鋭く天を突いている。
さらに、金色の虹彩に縦長の瞳孔を宿した猫のような瞳が、暗闇の中でらんらんと輝いていた。
ふと、背後に確かな「重み」を感じて振り返る。
腰のあたりから伸びていたのは、鱗の一枚一枚が真珠のように輝く、白い蛇の頭がついた尻尾だった。
蛇は私の意思に呼応するように、静かに、そして滑らかに鎌首をもたげている。
(……っ!?)
その瞬間、脳内に未知の視覚情報が直接流れ込んできた。
前を向いているはずなのに、背後の景色が鮮明に見える。
蛇の頭部が捉えている、自分自身の背中と、背後にある廃墟の瓦礫の山。
それは、鏡越しに見るような不自然なものではない。
まるで、後頭部にもう一つの眼球が埋め込まれたかのような、あるいは全方位を監視するセンサーを手に入れたかのような、圧倒的な「全方位視界」。
蛇が首を振れば、それに合わせて私の意識も、背後の死角を舐めるように走査する。
基本の姿はあの白銀の髪の女性エルフ。
しかし、召喚の場に転がっていた魔物の要素を、術式が強制的に接合してしまったのだ。
「……前も、後ろも……すべて、見えるのですね」
自分の声が廃墟に響く。
丸縁メガネを失った視界は驚くほどクリアで、何キロも先の廃墟のディテールまでが見て取れる。
その上、死角すら存在しない。
かつてオタクとして知識を蓄えていた自分は、この神話の生き物のような姿を見て、恐怖よりも先に「究極の個体」としての機能美に、美しさを感じてしまった。
記憶の中にある数百年の空白。消えた召喚者たち。
私は震える指先で、自身の金の角に触れた。
結晶の中に映る金眼の「私」と、その肩越しにこちらを覗き込む「白蛇」。
二つの視点で見つめ合う奇妙な光景の中で、私は自分という存在が、もう後戻りできない場所へ至ったことを悟った。
全方位から押し寄せる異質な視覚情報と、自身の変貌に息を呑んでいた私は、ふと肌を撫でる夜気のような冷たさに我に返った。
「……あ」
魔晶石の鏡に映る自分は、白銀の髪に金の角、そして白蛇の尾。
その神々しいまでの姿を包むものは、何一つとしてなかった。
かつてのオタクとしての理性が、遅まきながら悲鳴を上げる。
18歳の男子としての羞恥心と、エルフの女性としての潔癖さが混ざり合い、頬が急速に熱くなるのを感じた。
「落ち着け、私……。まずは服、服です」
私は、意識の深淵にある彼女の知識を手繰り寄せた。
指先を空間に滑らせ、特定の術式を脳内で描く。
すると、虚空が水面のように揺らぎ、漆黒の空間が口を開けた。エルフの彼女が持っていた固有スキル「アイテムボックス」だ。
「良かった、機能していますね……」
安堵を滲ませ、中を探る。
保管されていたのは彼女の私物ばかりだったが、その中からなるべく装飾の少ない、男性の旅装に近いパンツスタイルの服を選び出し、素早く身を包む。
すこし、大きい気がする。まぁ、良いだろう。
ただ、靴だけはどうしても、機能性重視とは言い難いヒールタイプのブーツしか見当たらなかった。
「……背に腹は代えられません、か」
カツン、と硬質な音を立てて足を踏み出す。
慣れない高さに一瞬たじろいだが、キメラとして強化された体幹が、驚くほどのバランス感覚でそれを補正した。
身なりを整え、私は数百年もの間、静寂に沈んでいた遺構の出口へと向かった。




