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灰の記憶 ― 誰にも知られぬ祈り ―  作者: 知琴


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セレノラ・モンテヴェルディの日記(終)

 カスティリアーナ暦一〇四年

 一月五日


 冷たい夜風が、窓辺のカーテンを静かに揺らしています。

 焦がした薪と、夜咲く花の香りがまじり合って、心をほどくような匂い。

 ひとりで眠るには、少しもったいない夜です。


 執務室の方角を見れば、まだ灯がともっています。

 アスター様は、また休まずにお仕事をなさっているのでしょう。

 何をしているかはわかりません。しかし、明かりが消えない限り、そこに彼がいることを感じられる。

 それが今の私の、ささやかな幸せ。


 一月一三日

 

 アスター様のお部屋には、ルミナリア様も時折訪れているようです。

 私は姿を見たことがないけれど、廊下に香る甘い花の匂いでわかります。

 彼女の気配は春のようにやわらかくて、私とは違い、誰からも愛される人の香りがします。

 彼女の存在が、アスター様の心を支えているのでしょう。そう思えば、少しの寂しさも祈りに変えられる。


 ――どうか、お二人が光の中を歩けますように。


 わたくしは影の方で、そっとその背を見送るだけでいい。


 日が沈むたびにそう自分に言い聞かせているのに、時折、胸の奥がずきりと痛むのはなぜなのでしょう。

 アスター様に触れられたことも、抱かれたこともないのに、心のどこかは、確かに彼を求めてしまっている。


 二月一五日


 私の終わりはすでに決まっています。

 革命が成れば、王族派の娘である私は不要となる。

 その時、誰かの命でこの身が断たれるとしても、せめてアスター様の手ではありませんようにと願う。


 アスター様の瞳に、血の色が映りませんように。

 彼の見る世界が、どうか、美しいままでありますように。


 やがて夜が終わり朝が来るころには、私祈りも、きっと風に溶けて消えるのでしょう。


 三月二四日


 明日、この国が変わる。

 窓の外には兵の気配が満ちていて、街の空気さえも震えているようです。

 屋敷の奥にまで届くそのざわめきが、まるで遠い波のように胸に打ち寄せてくる。

 それでも、怖くはありません。むしろ、こんなにも心が穏やかなのは初めてかもしれません。


 アスター様は、今日も執務室で筆を取っておられます。最後の命令書を書いているのでしょう。

 この革命が成功すれば、王政は終わり、長く続いた血の鎖も断たれる。

 その瞬間、私の命もまた終わるのでしょう。

 それが、この身に与えられた最後の役目。


 昼間、偶然にも廊下でアスター様とすれ違いました。

 ほんの一瞬だったけれど、彼が立ち止まり、私の方を見た気がしました。

 何かを言おうとして、けれど何も言葉にせず、代わりにわずかに頷いて、そのまま背を向けられました。


 その一瞬の頷きだけで、私には十分だった。


 ルミナリア様の笑顔を、明日も彼が見られますように。

 新しい朝が、血ではなく希望の光で染まりますように。

 どうか、誰もが報われますように。

 私が生まれた理由が、少しでも誰かの未来につながるのなら、それだけでこの人生は幸せでした。


 机の引き出しの裏に、この日記を隠しておきます。

 誰かがいつか、これを見つけてくれた時、アスター様の歩んだ道が正しかったと、信じてもらえますように。


 最後に、どうしても書き残しておきたいことがあります。


 アスター様。

 あなたの志の強さに触れて、私は初めて「生きたい」と思いました。

 けれど、それを口にすることは叶わぬまま。

 あなたの未来に、私の居場所はありません。それでも、どうか覚えていてください。

 あなたの優しさに救われたひとりが、ここにいたことを。


 ――セレノラ・モンテヴェルディ

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