第36話 潜む
「人数、減りましたね」
いつもと変わらない夕食の集まり。
増えた空席を眺めて、キリエ博士はぽつりと呟いた。
「黒でしたか」
「ああ」
「……私も、覚悟しておくべきですかねえ」
どこか現実味の無い様子で、それでも彼女は食事を口へと運んでいる。
自分もそうだ。ティム博士だった何かをあれだけ酷く拷問にかけておいて、何の罪悪感も湧いてこないほどに今の状況に現実味が無い。
「(俺も……何を銀食器なんて古典的な手段を)」
一応はゴドウィン隊長の決定で、毒見役という建前があって全員での食事という事になっていた。
味だけで毒の有無を判断するのは正直無茶だと言わざるを得なかったが、これまで何も無かったのは上手くやってこれていた証拠であり、宿の料理人が信頼に応えてきた結果だろう。
しかし、とうとう我慢ならなくなって銀食器なんて用意して、料理に触れさせてみるなどしている。
当然、銀が黒く変色することなど無かったが。
隣に座っているノヴ博士は、そんな自分の様子を見て推理小説で読んだものだと気楽な様子で喜んでいた。
「そういえば、例のノートの1ページ目、解読できたかもしれないです」
ふと、思い出したようにキリエ博士はそんな事を言い始めた。
ヘンリー殿から預かったノートを、部屋で過ごしている間に読んで解読を進めていたらしい。
「おや、もう出来たのか? 随分早いな」
「あー、いや。完璧に文章を解読できたって訳じゃなくて、文字の見た目でおそらくこれだろうなと言う言葉を当てはめていったら、どうにも知ってる話が出てきたんですよね」
「知っている話?」
あのノートに書かれているのは、コーレル村の隠された歴史と言い伝えについてでは無かったのか。スズキのポワレを口へと運びながら、そんな事を疑問に思う。
「バラム帝国に住んでる人なら皆知ってる話です。聖女教の、天地創造の神話。1ページ目に書かれていたのは恐らくそれと同じものです」
「なぜ聖女教の話が……? 当時のバラム帝国から邪教扱いされるような代物では無かったのか?」
「だから私も不思議に思ってるんですよ。まったく、ヘンリーさんが全部ちゃんと教えてくれたら困らなかったんですけど。いくら普段使ってる言葉と似てると言っても、知らない言語の文章を解読するなんて無茶です」
そう言って彼女はまたため息をついた。
天地創造の神話。
この世界そのものがどのようにして産まれたのかの話。
かつてこの世界には大地は無く、二柱の神々とそれぞれが治める天のみがあった。
神々は互いにいがみ合い、殺し合い、幾度もの戦いの末に一方の神は滅ぼされ、その神が治めていた天は大地となった。
そして残った神は自らの天と大地を1つとし、自らの肉体の一部を植え付けてこの世に生命を誕生させてゆく。
ざっくりだが、そんな物語。
ここで己の身体を大地に植え付けてこの世に命を与えた神こそ、聖女教にて聖女を通じて崇められている『創造神』だ。
「そっ、そういえば、お二人は今日も、ち、調査に出られていたのですよね?」
ふと、隣のノヴ博士から話しかけられた。
キリエ博士との会話が聞こえていたのか、こちらを向いて興味深そうにしている。
「調査と言うよりは、個人的な交流ですが」
「エヘッエヘッ、何気ない事の中に、お、思いもよらない発見があるものです。い、意味など無いとわかっていても、調査の成功を願って、せ、聖女様に祈りを捧げたり。わ、私もしていますから」
「ノヴ博士も、そういう不確かなものに頼ることもあるんですね」
「ふ、不確かというと、少し、求めているものが違うと言いますか。要は、こっ、心の有り様に影響を、与えるものと、わ、私はとらえているので」
確かにそれは有る。祈った通りになると考えて祈りを捧げている人々は居ない。目的に向けて気合を入れるようなもの、一種の精神統一であるのかもしれない。
そうだ、それくらいの距離感で居てくれるのが良い。
「しかし、今回ばかりは大きな意味がありました。いつもなら単なる与太話と流してしまうような事にも、注意を向けることが出来た」
「な、何か、わかったんですね?」
「今は話せませんが、おそらく帝都に戻ってからしばらくすればノヴ博士の耳にも――」
――ガシャン!
唐突に食堂に響いた大きな音に驚いて、会話が途切れた。
音はすぐ近く、キリエ博士の方向からしていて、急いで振り返ると彼女は椅子にもたれかかるようにして寝息を立てている。
音の原因は、彼女が落としたフォークとナイフが更にぶつかった事によるようだった。
「キリエ博士……?」
食事の途中でなぜと思いながら呆然と彼女を見ていると、今度は遠くからドスンと重いものが倒れる音がした。
見れば、今度はゴドウィン隊長がテーブルに突っ伏すようにして、座ったまま気を失っている。
不意に、背後から肩を強い力で掴まれた。
「べ、ベリルさ……逃げ……っ」
「ノヴ博士?」
最後まで言い切るよりも先に、肩を掴んでいた手の力が緩み、彼も椅子に座ったままぐったりとして動かなくなってしまう。
「(盛られた? 何者に? 敵は――)」
椅子から立ち上がろうとして、視界がぐにゃりと歪む。足に力が入らなくなり、自分もまたばたりとテーブルへと倒れ込んでしまった。




