第35話 ティム
ティム博士とクレールが宿泊していた部屋へと入ると、中は少し薬品らしい匂いが漂っていた。
部屋の隅にはキリエ博士が使っているものと同じ水槽が設置されていて、その中を先日捕獲した『フカムシリ』の幼体が悠々と泳いでいる。
ティム博士に促されて窓に面したところに置かれている小さなテーブルへと足を進める。2脚の椅子がテーブルを挟むように用意してあり、自分はそこに腰掛けた。
ちらりと窓の外へと視線を向けると、この部屋は宿の建物の裏側にあるからやはり森の景色が見えていた。
「それで、聞きたい事とは?」
向かいの席に腰を下ろしたティム博士。
その背後に、カイルが腕組みをして立っている。
彼はカイルが部屋に入ってきた事に気が付いていない。自分がカイルの鎧に認識阻害の魔術を込めた呪符を貼り付けたからだ。
今、カイルの存在を認識できているのは自分と彼自身の2人だけ。ティム博士が何か怪しい動きをしたならば、すぐに拘束出来る体制が整っている。
「昨日遭遇した魔物について、実際に襲撃を受けたティム博士から詳しく情報を聞きたいのです。襲撃された際の状況について、我々はまだ詳しく知りませんでしたから」
「え? ええ」
不思議そうな様子で、しかし彼は頷いた。
首元を確認するが襟の高いシャツで隠されていて首の様子はよくわからなかった。
「襲ってきたのは半魚人と騎士に似た姿の魔物。騎士に似た姿の魔物は1体のみ。これに間違いは無いですね?」
「はい。川に沿って山を登っていた途中で、突然」
「あの数の魔物の中、どうやって貴方だけ逃げ出せたのか。状況を詳しく教えて頂きたい」
「ああ……えっと、それはですね」
一瞬、彼の目が泳いだのを見逃さなかった。
やはり何か隠していると、疑念が確信に近付いていく。
「ティム博士?」
「ええと、まず半魚人の群れが……数はわからなかったのですが、とにかく多く。四方八方から一斉に襲いかかってきて、クレールさんが即座にその何体かを倒して道を開いてくれたんです。私はそこから走って逃げて、クレールさんも一緒に逃げ出したのですが、今度はあの騎士のような魔物も現れて」
「逃げ出した先にそれが?」
「は、はい。私が先に走っていたので、先に攻撃を受けました。腕の傷も、その時ほんの少しかすっただけなのに、大きな怪我になってしまって」
そう言う彼の腕には、当然ながら今も白い包帯がぐるぐると巻きつけられている。
怪我をしているところは、確かに自分も見た。随分と鋭利な刃物で斬りつけられたような怪我に見えたのを覚えている。
「それで、クレールさんがこれ以上は二人では無理だと救援を呼んで、私を先に逃がす形でその場に1人残って……夢中で走っている内に、ゴドウィンさんとユージーンさんに助けられました」
「ふむ」
話の理屈自体は通っている。
魔物の群れに襲われて、しかし逃げ切れずに怪我を負ってしまった。クレールは1人では無理だと判断して救援を呼び、その結果ゴドウィン隊長とユージーンが駆けつけた、と。
自分も見た状況に合致する道筋が出来ている。
しかし――
「クレールの戦い方、ご存知無いんですね」
「え――」
すっと立ち上がり手を上げる。
その瞬間に、ティム博士は椅子に座った姿勢のまま、下半身を水晶のような氷に包まれて拘束された。
カイルが氷の魔術を使ってティム博士を氷漬けにしたのだ。
「な、何を! どういうつもりですか!」
「クレールの奴は堅実なんです。不確定要素の多い混戦が嫌いだから、1体ずつ、確実に、結界の中に自分ごと閉じ込めて戦いたがるんです」
何の準備もしないまま、無謀にも魔物の群れに飛び込むような戦いは絶対にしない。彼とは長い付き合いだったから知っている。
「流石にクレールも護衛対象から不意討ちを受けるとは予想していなかったのでしょうね。ですが、致命傷を受けてなお、貴方に一太刀あびせてやった。下手人が誰かを私達に伝える為に」
だから、鋭利な刃物で斬られたような傷がついた。
鎧貝の振るっていた大剣で出来るようなものとは違う、綺麗な傷が。
拘束されているティム博士の頭を掴み、そして襟をめくって首元を確認する。
そこには確かに、刃物で斬られたような切れ込みが存在していた。
「とにかく……よくやった、ベリル。こんな事になったのは残念だが、後のことは我々の考える事ではない」
椅子に座ったまま石の鎖で全身を拘束され、顔面からは真新しい血をぽたぽたと滴らせているティム博士を見下ろして、ゴドウィン隊長はため息をつきながらそう告げた。
結局、クレールを殺害した彼をどうするのか。ひとまず拘束した上で、帝都へと彼も連れて帰ることは確定しているが、その後はわからない。
人として法のもとで裁かれるのか、人に擬態する魔物として研究対象とされるのか。
今まで当然のように人として接してきた相手が、人では無かった。
『お前は愚か者だ! あいつと同じ、最後まで敵に囲まれていることに気が付かなかった! 旧世界の猿共が!』
拷問を受けて血を吐きながらも、そんな事を叫びながら狂ったように大笑いしていた彼の姿が脳に刻みつけられている。
もう自分の知っている『ティム博士』では無かった。どんな気持ちで、どんな考えでこの調査隊に紛れ込んでいたのか、自分には想像もつかない。
「(皇帝陛下は、こいつらを炙り出して始末するためにわざわざこんな回りくどい真似を?)」
ルイとマシューの兄弟とは違う。エラはあっても魚のような顔はしていない。
どこにでも居そうな、大人しそうな男の姿をして研究者の肩書きを持って、当然のように人間社会で生きていた。
「私は部屋に戻る。この事も上に伝えなければならん」
「わかりました。自分はまだ少し、ここに残っています」
「……程々にな」
部屋を出ていく隊長の背を見送り、自分は椅子に腰掛けてティム博士だった何者かを観察し続けていた。
ティム博士とクレールが泊まっていた部屋は、今や拷問部屋と化していた。
思えば、桟橋であの落書きに反応したのも、彼が魔除けの存在を知っていたからなのだろう。彼にとっての敵にあたる何者かが近くに居る証拠だったから、やたらと気にしていたと言う事なのだろう。
今更そんな事がわかったところで、どうにもならないが。
「お前たちは何者だ? いったいどこから来た?」
とうに痛みと疲労で気を失っている彼から返事があるはずもない。意味のない問いかけだ。
両の手が使い物にならなくなるほどに爪を剥がし、指の骨を折ってもなお、彼は頑なに目的もどこから来たかも他に仲間が居るのかも、何も答えなかった。
ただ、自分を拷問している騎士を見て、笑い続けていた。
「(ここまでやられてなお余裕があると言うことは、まだ仲間が大勢居るんだろう? それとも、自分には“神”とやらがついているから怖くないとでも?)」
狂信者。そう呼ばれる連中とやりあった事も無くはない。
上っ面は異教の神を信仰していた連中だが、神への敬意も無くただ己を正当化するために神の教えとか言うのを都合良く解釈しているただのテロリストだった。
だが……この人間の姿をした者は何だ?
「ふ、ふふふ……かわいそうに……かわいそうに」
「……あ?」
唐突に気絶していたと思った彼が、そんな事を口走りながらまた笑い始める。
ゆっくりと顔をもたげた彼の瞳は、薄暗がりの中でぎらぎらと黒く輝いていた。
「本当に何も知らない。子供のように、縋るばかりだ」
「起きたなら続きをやるぞ。全て吐いてもらう」
立ち上がって彼に歩み寄ろうとした、その時だった。
「お前と同じだよ」
「……は?」
「お前も、私も、始まりは同じだった」
「同じ? それはどういう意味だ」
「うふふふふ……もうすぐ、もうすぐ……祝福を頂ける。私もとうとう空へと到達できる」
「どういう意味だ、答えろ!」
彼の髪の毛を掴み、ぐいっと頭を引っ張って無理矢理に目線をこちらと合わせる。
彼は既に笑ってはいなかった。のっぺりと一切の感情も興味も失ったような顔で、パクパクと機械的に口を動かす。
「これ以上は何も話さない。お前が何をしようと変わらない。お前はただ見ているだけでいい」
言葉は通じているのに会話が成り立つ気配も無く、仕方が無いので拷問の続きは取りやめて彼を殴って再び気絶させた。
呪文の類も使えないように、気絶している間に猿ぐつわを噛ませておく。
部屋の洗面所で手にこびりついた血の汚れを落とし、それから廊下へと出て部屋の鍵を閉める。
まだ、彼の気味悪い笑い声が頭の中で反響している。
脅威を1つ取り除くことに成功したと言うのに、ひどく憂鬱で仕方がなかった。




