第18話 コーレルの恵み
――貴方は神を信じていますか?
怪しげな啓蒙活動をしている胡散臭い連中の常套文句にも聞こえる質問。
それはどういった意味で聞いているのかと、疑問符が浮かんだ。
世界各地、あらゆる国に様々な文化や宗教が存在しているように、バラム帝国にも宗教というものはある。
それが【聖女教】だ。
名前の通りに、神話の時代に活躍したとある聖女を信仰している。正確には、聖女という存在を介して、その主である創造神を崇めているといった形ではあるのだが。
遥か昔、バラム帝国が建国されるよりも昔の話。
人間という生き物は今よりもずっと脆く弱い存在であり、荒れ果てた大地を跋扈する強大な魔物達に常にその命を脅かされていたのだという。
そんな人間をあわれんで、創造神が遣わした存在が聖女だ。
聖女の使う魔法は大地に緑の恵みを与え、人々の脅威であった魔物をまたたく間に消し去ったという。
彼女のもとには、彼女の姿を見て勇気を与えられた人々が集まり、それぞれの魔法や技術を発展させ、そして遂には聖女を中心に一つの国が誕生する。
それが、バラム帝国だ。
「(バラム帝国はこれを国教としている。つまり、こいつは神を崇めると共に、国への帰属意識を高めるための道具といった方が正しいだろう)」
国にとってより重要なのは後者だ。
裏を返せば、神が実在しているか否かについては、特別問題としていない。
自分も創造神の実在については疑わしいと感じている。
開拓時代、聖女に準ずるような存在は確かに存在したのだろう。その血が今のバラム帝国の皇帝一族に流れていることも。
しかし、創造神だの云々については尾ひれだ。ただそういった尾ひれがあった方が神秘性が高まり、皇帝はより民から敬われる存在になるだろう。
「神を信じているかというなら、否ですね。あれは人々の心の拠り所となるものであって、存在を信じようとする為のものではない」
「なるほど、その意見には同意しよう。しかし、コーレル村には昔から土着の神がいるという言い伝えがある」
「土着の、神?」
聞き慣れない表現だ。
いや、言っていることは理解出来るのだが、帝国領内でそんな話を聞くことになるとは思っていなかった。
「(まだそんなものが残っている場所があったとは)」
「かつて、まだここがバラム帝国の一部では無かった頃の話だ。傷付いた神がコーレルの海に流れ着いた。傷付いていたとて神は神。人がかなう道理など無い。コーレルの海は神のものとなった……が、己を許容したコーレルの民へと神は一つの交渉を持ちかけたそうだ」
彼はゆったりとこちらに背を向け、港に並ぶ多くの漁船へと視線を向けていた。
「自分は夜の海だけを支配する代わりに、自分が眠りにつく昼間の間により多くの恵みを与えよう、と。約束の通りに、コーレルでは豊漁が続くようになった。しかし、夜の海、神が支配する世界に畏れ多くも足を踏み入れようとした者は、二度と帰らなかった」
「つまり、化け物の正体とはその神であると?」
「そういう事になるな。神に対して化け物などと、罰当たりもよいところだが。捜索に出られないのも、これが理由だ。行方不明者が出てから丸一日は、約束を破られた神が荒ぶっていると信じられている」
それはまた随分と自分勝手な話だと思った。
勝手に他人の土地に入り込んできて海を奪い、代わりに昼間だけは豊漁にしてやるから満足しろとは。
理不尽も当然のように押し付けられるからこそ、神と呼ばれるのだろうが。
そう考えると、理不尽であると同時に神としてはずいぶん寛大な部類でもあるな、とも感じた。
基本的に人類に対して無干渉である我らが主とは対照的に、対価に応じて富をもたらしてくれる存在。
「コーレル村の人々は、今でもそれを信仰しているのですか?」
「いいや、ベリル殿が聞いたように重要なのは夜の海に出てはいけないという部分だ。コーレルの民は皆、夜に船を出してはならないという話を語り継いでいる。もちろん、他所から来た漁師たちにもこの話は伝えてきた。ここで生きていくために、な」
続けてヘンリーはこうも話した。
当然、この言い伝えにおける神など実在しないと。
問題はコーレル村の周辺の海が多くの魚が獲れる豊かな漁場である事に加えて、多くの危険な捕食者も同時に生息している環境であると言うことだ。
以前、私たちの調査でも捕獲した『フカムシリ』を始めとした中型から大型の海竜や、クラーケンなどの大型の魔物。それら捕食者の多くは夜行性で、夜間に活発に狩りを行う。
魔物による被害を未然に防ぐために、コーレルに棲まう神という物語を付けて夜の海での漁を禁じたというのが、実際の真相であると彼は語った。
しかし、それでも今日、行方不明者が出てしまったのは、その言い伝えを信じていなかったからなのだろう。
信じていなかったとしても、一応の村のルールとして精神的なストッパーは働いていたはずだが、それでも船を出したのには何か個人的な理由があったのか。
「あ、あのう……」
「……コリンさん?」
ふと、何か言いたげにし始めたコリンへと、自分やヘンリー達の視線が同時に向けられる。
一瞬その視線でびくりと震えたコリンだったが、特に止められる様子ではないとすぐ察したのか、口を開いた。
「パトリックの奴は、金に困ってたんでさあ。娘さんの病気を治療する為に、金が必要だけどまだ足りねえって。だから、自分はもっと稼がなきゃならねえって」
「……チッ、あの馬鹿め。金なら相談すれば貸してやったものを。決まりを破る前にするべき事があるだろう」
コリンの話を聞いて静かにそうこぼしたヘンリーに少し驚いた。今までの振る舞いや口ぶりから、余所者にはずいぶん厳しい態度だと思っていたものだが。
「……ヘンリー殿はお優しいのですね」
「優しいだと? フン、簡単な決まりも守れない余所者には辟易している。しかしこちらも貴重な働き手を、魔物による被害などで失いたくは無い。それだけの事だ」
別に本心から彼が優しいなど思っていないし、彼もそんな事はわかっている事だろう。
合理的な思考からただそう考えたに過ぎないというのは、間違いなく彼の本心だろう。しかしそういった判断が出来るのも、人間味が感じられて内心で彼という人物の評価は少し上がった。
「ヘンリーさん! 神父様が到着しました!」
ふと、男がヘンリーを呼ぶ声がしてそちらを見れば、漁師の1人が手を大きく振って港のほうで待っている。
彼の後ろには教会から連れてきたらしい老人の神父が控えていた。
ヘンリーはそれを見て憂鬱そうな様子でまたため息をつくと、こちらへと振り返った。
「まあ、私から話せるところはこんなものだ。一応コーレルは観光業でも人を集めているから、こんな昔話で変なイメージなど付けさせたくないというのが私の考えだが。私には漁師達が安全に漁に出られるようにする義務があるから、しきたりに従って行方不明者の捜索隊も組めないし、今日一日は漁に出すことも出来ない。納得して頂けたかね」
「ええ。貴重なお話をありがとうございます」
「それは結構。では奇形魚の調査を頼んだよ、御二方。アレのせいでコーレルの魚に風評被害が出てきてはかなわんからね」
キリエ博士共々、調査には全力を尽くすと返すと、彼は静かに頷く。そして2人の大男と、コリンにも少し手伝えと呼びつけてその場を去っていった。
彼に呼びつけられたコリンは少し嫌そうにしていたが、渋々といった様子で彼らについていく。
そんな訳で、気が付けば自分とキリエ博士の2人だけがこの場に取り残されていた。
つい先程までの喧騒はいずこに、寒空の元で穏やかな波の音だけが響いている。
胸の内にどうにも引っかかるものを感じつつ、朝焼けのもとで腕組みをしながらキリエ博士に問いかけた。
「どうです? 興味深い話ではありましたが……博士はあれで納得出来ましたか?」
「いえ全然」
「でしょうね」
「ヘンリーさんでしたっけ? 今回の調査でゴドウィン隊長は彼に連絡を取っていたようでしたけれど。何か隠してますよね、彼」
自分もその意見には同感だった。
彼は村のしきたりについて、裏の意味までしっかりと教えてくれたが、それだけでは今回の事件について説明のつかない部分が多いと感じた。
「キリエ博士はあの話、奇形魚となにか関わりがあると思いますか?私は、少し気になっているのですが 」
「どうでしょうねえ。でも、今日やろうとしていた事も出来なくなっちゃいましたし、少しこの件について深掘りしてみます?」
せっかくだから海沿いを散歩でもしながら話しましょうと言って歩き出した彼女の後を追い、自分も海沿いの道を歩き始めた。




