第16話 手紙
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夜が明けて、翌日の朝。
就寝は遅くなってしまったが、調査は変わらず朝早くから。
身だしなみを整え、装備をチェックし、いつでもキリエ博士の盾となれるよう万全の態勢を整えておく。
調査に出かける準備をしている途中で、ふとドアの前に封筒が落ちていることに気が付いた。
各部屋のドアには小さい郵便物用のポストが用意されているが、内側にポケットのようなものは付いていないので投函されたものは直接部屋の床に落ちるようになっていた。
「ベリルさん、それってウィザリア伯爵のスタンプですよね?」
「私宛てですね。おそらくエーギル君からでしょう」
エーギル・ウィザリアはウィザリア伯爵のところの次男だが、ゴドウィン子爵家から1代前にウィザリア伯爵へ嫁いで行った者がいる関係で、ゴドウィン子爵とは近い親戚関係にある。
ゴドウィン子爵家の現当主であるリチャードが後継を作れなかった為に、その後継として白羽の矢が立ったのが彼だ。
しかし一応の息子としてゴドウィン子爵家には自分が居たから、子供の頃から顔合わせくらいはしておこうと言う話になった。
そういった関係から自分と彼は出会い、貴族と平民の垣根を超えて頻繁に交流する仲になった訳だ。
ただ不思議な事に、どういう訳か彼は自分の事を『兄』と慕ってくれていて、そのせいで彼の実の兄からよくしかめ面を向けられている。
まあ、その兄ともそれなりに交流はしていて、時折流行りの劇を観に行かないかなどと誘いを受けることもあるが。
彼との関係を簡潔にキリエ博士に伝えると、彼女も納得したようですぐに興味を無くして戻っていった。
「うん? 少し、厚いな」
よく手紙をやりとりしているから、違和感にはすぐに気が付いた。
封筒にはいつもより多く紙が入っているのか、僅かにだが厚めに感じる。
封を切って中身を取り出せば、やはり手紙が2枚入っていた。片方はいつも通りのエーギル君からの手紙で、帝都の学院での生活について綴られている。
先日の定期試験で学年3位になれて嬉しかった事や、ノヴ博士が調査の為に席を空けている間の代わりとして入ってきた教師の授業が面白くない事、平民の女学生が貴族の学生相手に三又をかけていたのが発覚して血みどろの修羅場と化しているとか何とか。
最後の話題についてはあまりにも下らなすぎて笑ってしまった。責任ある貴族の子息達が、1人の少女の掌で転がされている様がエーギル青年の視点から面白おかしく書かれている。彼らの親達は今頃頭を抱えているのだろうが。
そして、彼の話が一段落したところで、最後に付け加えるように一文が添えられていた。
「(メルクリウス伯から頼まれた……?)」
彼が言うには、同封したのは病床に伏しているメルクリウス辺境伯から私へと向けての手紙。
ある日突然メルクリウス辺境伯の使いを名乗る壮年の男が寮を訪れ、この方法が最も勘付かれないから協力して欲しいと頼まれたのだと書いてある。
最初は本物なのか疑ったが、信用するに足る確信を得たので手紙を同封したらしい。
「(エーギル君は利発な青年だ……何をもって信用したのかはわからないが、間違いはないと信じたい……)」
信用した理由はここには書けないが、その壮年の男を信じた自分を信じてくれ、という事なのだろう。
ここまでの筆跡も確かにエーギル君のものであるし、彼の言葉を疑う理由も特に存在しないから、もう一枚の手紙を取り出して目を通す事にする。
彼が伝えてきた通り手紙の右下あたりにはメルクリウス辺境伯の家紋を模ったスタンプが捺されており、それは確かにメルクリウス伯からの手紙であるように見えた。
流石にメルクリウス辺境伯の筆跡までは知らないからその点で判断することは出来ないが、ペンを握っていた手に上手く力が入っていなかったのか線が少し震えている。
内容は簡潔にまとめると、キリエ博士の護衛をしている事への感謝、村では周囲の人間全てに疑いの目を向けてキリエ博士とアトラス・クロニースのみを信用するようにという忠告、今回の任務中に何が起きてもメルクリウス辺境伯が後ろ盾になって護るのでキリエ博士を守る為には如何なる手段も辞さないで欲しいとの願い、本当は今すぐにでも調査を中止させて娘を帝都に戻したいのだが陛下には逆らえないという嘆き、そして――
「(トー・メルクリウスは絶対に信用するな……か)」
妙な話だ。キリエ博士の兄君であるトー・メルクリウスは、調査隊の一員でもなければコーレル村を訪れている形跡も無いのに。
そもそも、実の息子……それも家督を継ぐ予定の嫡男に対して『絶対に信用するな』とは穏やかではない。
「(メルクリウス伯の御病気と何か関係があるのか……? それに陛下には逆らえないとは、まるで今回の調査が皇帝陛下による勅令であるかのようだ)」
皇帝陛下が直々に下した勅令とするならば、奇形魚の調査への派遣とは思えないほどに豪華な面々が揃えられていた事にも納得がいく。
しかしその場合、今度は引っかかるのが、まるでキリエ博士とアトラス氏以外は信用するなとでも言うような彼の書き方だ。
キリエ博士はともかく、あの偏屈老人を信じろとはどういう了見なのか。以前は共に働いていたという話は、確かにアトラス氏から聞いてはいるが、それほど信用していた相手をなぜメルクリウス伯は一度は切り捨てたのだろう。
「(いや……切り捨てたというのは流石に私の感情が入りすぎているか。それはメルクリウス領の問題で、個人とは関係ない)」
「どうしたんです? 難しい顔して」
急にキリエ博士に話しかけられたので、手紙を読むのを中断して顔を上げる。
彼女ならば、確実に父親であるメルクリウス辺境伯の筆跡は知っているだろう。
送られてきたメルクリウス辺境伯からの手紙というものを見せれば、その真贋ははっきりとさせられるのだが、しかし。
「(これがもし本物のメルクリウス辺境伯からの手紙であるなら、こんな方法で送ってきたと言う事は、彼は自分がベリル・カーティスと接触した事を他の誰にも悟られたくないと考えているはず)」
あの偏屈老人と同じく、随分と自分の事を買ってくれているのだなと思いつつも、しかし何故わざわざ自分なのだと言う疑問符が浮かぶ。
今回の任務に参加している騎士はその全員が非常に優れた能力を持っていると言っていい。それこそ最初から奇妙に思っていた事だが、奇形魚の調査の護衛にと用意するにはあまりにも過剰なほどに。
ハイドーラによる1度目の侵攻を阻止したバラム帝国最強の英雄と名高いリチャード・ゴドウィンをはじめとして、人食い竜の討伐やハイドーラによる2度目の侵略戦争で名を揚げた英傑達が揃っている。
これほどまでに頼りになる騎士は他にほとんど居ないだろうという面々だが、メルクリウス伯はまさか自分以外の騎士は信用出来ないとでも考えているのだろうか。
それとも、まさか――
「ベリルさん……?」
「いえ、なんでもありませんよ。エーギル君からの手紙で貴族の子息が3人も揃って1人の少女に手玉に取られていると聞いて、バラム帝国の未来はこんな阿呆共にかかっているのかと軽く絶望させられていました」
「あちゃあ、それは……」
困りましたねえと言いながら苦笑いする彼女を見て、上手くごまかせたことを確認する。
今はまだ、様子見に徹する。
行動を起こすのは、もう少し物事の構図が見えてきてからでも遅くは無いはずだ。
「まあ愉快な話も良いですけど、今日も調査頑張りましょう! 行きますよベリルさん」
「ええ」
ざわついた心のままに、1日が始まる。
彼女の予定では今日も漁港へ行き、漁師に調査の協力を頼むのだと言う。一応この海域に生息している生物については文献を通して彼女もおおまかには把握しているそうだが、何らかの変化が起きたことで生態系に変化が起きている可能性があると考えているらしい。
漁師達からの協力を得て再度コーレル村周辺海域の生態系について把握した上で、あの奇形魚がどこから来たものなのか、いったい正体が何であるのか探っていきたいと彼女は考えている。
そうして2人で早朝の漁港を訪れたが、今日はどうにも普段とは様子が違っているようだった。
「なんか騒がしいですね」
「どうも漁に出ている船も見当たりませんし、妙です。キリエ博士、絶対に側を離れないように」
「わかってますよ。ベリルさんこそ、ちゃんと私のこと守ってくださいね」
まだ薄暗い港には、早朝とは思えないほどの人だかりが出来ていた。
主に集まっているのはやはり村の漁師たちであり、彼らの注目は船着場のある1点に集中している。
ずらりと係留されている漁船の中に、ぽっかりと歯の抜けた部分のように空いている場所がある。
漁師達はその場所を指差しながら、眉間にシワを寄せて口々になにか会話を交わしていた。
「ああっ! 騎士の旦那とお嬢ちゃんも来てたのか!」
ふと、聞き覚えのある声がしたかと思うと、漁師達の集まりから1人の男が出てきて、慌てた様子で駆け寄ってくる。
見れば、初日に世話になった漁師のコリンだ。
「コリンさん、これは……何があったんです?」
「あ、ああ、ちょいと不味いことになっちまった。漁師仲間の1人が、突然、居なくなっちまったんだ」
しどろもどろにそう話す彼の青ざめた顔が、事の深刻さを物語っていた。




