第15話 相棒
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「さっきは……ごめんなさい」
すぐ隣のカウンター席に座ったキリエ博士の最初のひと言がそれだった。
叱られた仔犬のようにしゅんと縮こまって、言葉の一つ一つに詰まりながらも彼女は続ける。
「子供みたいにいじけるのは、責任ある大人のする態度ではありません、でした」
申し訳なさそうにそう語る彼女だが、あの老人に突き放されるような態度を取られて傷付いた心は正直こちらも理解出来るところはある。
何も自分だってキリエ博士を責めたくて色々と話した訳では無い。
「それでっ……その……」
彼女の視線がちらりとこちらに向く。
そして、一瞬でスッと戻される。
今日の出来事をゴドウィン隊長とボーウェン博士の2人は知らないから、ただキリエ博士の事を微笑ましげに眺めているのだが、それで彼女が緊張してしまうからやめて欲しいのだが。
どうしたものかと思案して――
「キリエ博士?」
「は、ひゃいっ!」
なんだその反応は。
「今日は私が全て持ちますよ。貴女もお腹が空いたでしょう、夜はまだ何も食べていませんからね」
「え……? あ、ありがとう……ございます?」
「さ、好きなものをどうぞ。美味しいものを食べて、嫌な事はぱーっと忘れましょう」
そう言って先程もらったメニュー表を彼女に差し出した。空腹だとどうにも神経がぴりぴりとして来てしまうものだ。彼女も色々と1人で考えることもあったのだろうが、お腹が空いたからこうして降りてきたのだろう。
しかし当のキリエ博士といえば、きょとんとした表情になって不思議そうにこちらを眺めている。
「えっ……と、もしかして気を遣ってくれてます?」
他に何だというのか。
というか、気を遣っているのかと聞かれて「はいそうです」などと馬鹿正直に返すほど無神経じゃない。
「貴女に元気になって欲しい、それだけですよ。私と貴女は相棒ですから」
「あぅ……へへへ……」
自然と出てしまったニヤニヤ笑いを隠したかったのか、彼女は受け取ったばかりのメニュー表を使って顔を隠す。
「おや? 私たちの分もおごってもらえるのかな?」
「クックックッ、それジャあご相伴に預かルとするかナ」
「ちょっ……二人とも。……はあ、今日だけですよ」
便乗してきた父さんとボーウェン博士の二人組に呆れつつ、暫く財布が寂しいことになりそうだなと考えて思わずため息がこぼれる。
しかし、どうせ自分の為にお金を使う機会もほとんど無いのだから、たまの散財くらいしても良いかと口元は自然と笑っていた。
「私、お酒とかよくわからないんですよね……」
「奇遇ですね、私もです。私と同じものはどうです? 私も普段は飲まないのですが、これは中々いけましたよ」
「へぇ……じゃあ、それで」
既に、壁に掛けられている時計の短針は10の数字を回っている。ずいぶん遅い時間の夕食にはなってしまったが、まあ原因を作ったのも自分達だから仕方あるまい。
キリエ博士も加えて4人での食事となった夕食の席。今は任務の事など忘れ、他愛のない会話と料理を楽しむだけの時間。
表情の硬かったキリエ博士も、時間が経つにつれてだんだんと表情に柔らかさが出てきた。
そんな中で、ふと思い出したように彼女はこちらを向いて口を開いた。
「そういえば、さっきベリルさんがゴドウィン隊長の事を“父さん”って呼んでましたけど……どういう関係なんですか? 苗字も全然違うのに」
「ああそれはですね、ゴドウィン隊長は私の育ての親なんです」
「私にとっては、実の息子も同然だがね!」
急に横からガバっと覆いかぶさるように肩を組んできて、食べている途中だったピッツァをあやうく落としかけた。
昔から変わらない、直接ぶつけて来るような愛情表現は嬉しくはあるが、人前でやられると少しこそばゆい。
キリエ博士はといえば、急に距離を詰められた上に「私の息子は迷惑をかけていないか」だの「勉学も武芸も1級品の自慢の息子だが女性の扱いだけは三流以下」だの「小さい頃は何を与えても無反応で不安で仕方なかった」だのとまくし立てられて苦笑いしていた。
「は、ははは……愛されてるんですね、ベリルさん」
「まあ、はい。愉快な父でしょう」
「少し羨ましいですね。あんまり……お父様には構ってもらえなかったので」
「おや、御父上とは不仲かね? まあ貴族として厳格な御仁だから、私もあまり仲良くはなれなかったがねえ。信用のおける方だとは常々思っているが」
父さんの言葉を聞いて、彼女は半ば諦め気味な様子で「そうなるでしょうね」なんてこぼしながらため息をついている。
ふと、その時にボーウェン博士も思うところがあったのか、グラスの中のワインをぐっと飲み干して口を開いた。
「ワタシも、父親とは随分と仲ガ悪かっタ」
「ボーウェンさん……?」
「ベリル君、キミにもワタシが故郷に居タ頃の話は、あマりした事が無かったネ」
彼が自分の過去について語ろうとするなんて、珍しい事だと内心おどろいた。
故郷で過ごしていた頃の思い出は恥だと思っているような節があったから、まさか自分からそれを話そうとなるとは。
なぜこのタイミングでそんな気分になったのか気になったが、彼の出鼻をくじくのは憚られたから黙っておく。
「ワタシの家ハ、代々医療に従事してイる家系だっタ。厳格な父の元で、当然ワタシも倣うように薬師にナった訳ダが、当時の雁の伝統や迷信に縛らレた閉ジた医学にハ間違いも多くアったのは否メない。それが原因デ、病状を悪化さセたり場合にヨっては患者が命を落とす事モあったヨ」
何かまた思い出したのか、表情は変わらぬままに苛ついたように指先で自分の額をトントンと叩いている。
「自分の間違イに気が付いタのは、禁書とされテいたバラムの医学書を知り合いの行商かラ譲り受ケた時だ。全力を尽クしていルはずなのに上手く行かナい自分に嫌気が差しテ来ていた頃ダッた。宗教的ナ理由から禁忌とさレていた人体の解剖についテも触れらレてイたそれを読ムのには多少抵抗もアったが、読み終わってみれば世界が変わったように思えた」
それで、彼の身に何が起きたのか。
それまでの全てを捨てて新しい知識にのめり込んでいくボーウェン青年を、彼の父親は許さなかった。家の恥として座敷牢に幽閉し、隠れて集めていたバラムの医学書も全て燃やし、薬師としての活動も当然出来ないようにした。
「ある日、ワタシを哀れんだ兄が父に黙っテ外へと逃がしテくれた。そノまま国に居てモ仕方がなイから、商人の旅団に加えテ貰ってバラム帝国マで流れて来た訳だ」
「ボーウェン博士にも、そんな時代があったんですね」
「誰しも若イ時代はあり、そシて老いていクものだヨ、キリエ博士。だガ……今になって思う事がアる。父は、あれでワタシの身を案じテくれていたノでは、とね」
「…………は?」
唐突にボーウェン博士がそんな事を言ったから、キリエ博士も思わず素っ頓狂な声を漏らしてしまう。
私も、急に奇妙な事を言い始めるなと感じた。
いくら禁忌の知識に触れたとて、座敷牢に閉じ込めるのはやり過ぎだろうに。
そもそも、知識が間違っていたのならそれを素直に認めて正していくのが当然、あるべき姿だろう。自分は内心でそんな事を考えていたが――
「雁の諜報ハ優秀だ。親にすラ見つカったのだかラ、ワタシがいくら完璧に隠しタと思っていテも、いずれ禁忌に触レた事はばれル。そうなレば、命はもウ無かっただろう。家族への愛ト、規律への厳格サとで板挟みにナった結果、不器用な父はアの決断を下したノだろウと今になっテ理解出来た。まア、ワタシが国を捨てル決断をした事モ、間違っテいないと確信してイるが」
いつの間にか、どこか優しげな表情を浮かべていたボーウェン博士は、じっとキリエ博士の目をみつめていた。
「アまり御父上を嫌っテやらない事だヨ、キリエ博士」
「……は、はあ」
「……すまないネ、少し飲み過ギたかもしれン。ワタシは一足先に部屋に戻ルとするヨ」
「ボーウェンくんが戻るなら私も戻るとしようかな。ではお休みベリル、いい夜を」
そう言って席を立ったボーウェン博士に続いて、ゴドウィン隊長もまた席を立って部屋へと戻っていく。
楽しかった夕食の席が一転、なんとも言えない雰囲気になってしまう。
「はぁ……急に何だったんですかね。あのお爺さんと言い、お年寄りって急にスイッチ入ったりするんですか?」
先にため息をついたのは、キリエ博士だった。
「何というか、ボーウェン博士のああいう姿、意外でした。あんまり人の事に深入りしないって言うか、彼は彼だけの世界に居て飄々とした雰囲気を崩さないってイメージが強かったので」
「それだけ、キリエ博士に思うところがあったのかもしれませんよ」
「私に? いやいや、そんな。お父様との関係だってそんなに似てな……いや、ちょーっと似てたりはするかもですけど? 流石に座敷牢は、やらないですよ」
まあそれが普通だろうなと自分も頷く。
ただ、ベリル帝国での当たり前と、雁での当たり前には随分と差があるのだなと感じる話ではあった。
ボーウェン博士が故郷での話をなぜ今までしてこなかったのか、理由もなんとなく察することが出来たし。
しかし――
「すみません、グリルもう一皿下さい」
「え゛っ、まだ食べるんですかベリルさん」
「辛気臭い話を聞いたせいで、またお腹が空いてきたんですよ。キリエ博士も一緒に食べます?」
「ううっ……まあ食べます、けど。私もお腹空きましたし……」
正直で何より。
「でも、何だかベリルさんの事はわかってきた感じがします」
「いきなり、私ですか?」
「いや〜、結構人間味あるっていうか、お父さんと仲よさげにしてるのもなんか微笑ましかったというか。少し羨ましくもありました」
それはどういう感想なのか、プラスと取って良いのかマイナスと取るべきなのかわからないのだが。
しかし、どこか楽しそうな彼女の表情から察するに、彼女から見た自分の様子はきっと悪いものではなかったのだろう。
「最初は結構緊張してたんですよ。私、箱入り?ですし? お年頃の男性と二人っきりとか本当はめちゃくちゃ緊張してました」
「そりゃまた随分色ボケな」
「色ボケとは何ですか色ボケとは。まあ、今日のところは許してあげますけど」
2人が居なくなってから一気にあれこれと吐き出し始めた彼女に、こちらも少し驚いている。
あれでもまだ猫を被っていたのだなというのもだが、貴族や学者というよりも等身大の彼女を見ているといった感じがある。
そういう意味では、今日やっと自分とキリエ博士はお互いをちゃんと認識出来たのかもしれないと思った。
「でも、そうですね……私、今回の調査が一段落したら、久し振りにお父様に会いに行こうかと思います。ちゃんと学者としてやれてる自分を見たら、お父様も考えが変わるかもしれないですし」
「それは良い考えですね」
「それで……なんですけど。もし良ければ、その時は一緒に故郷まで来てくれませんか?」
「そりゃまた、構いませんけれど、何故?」
急な話におどろいて、思わず彼女の方へと振り向いてじっと見つめてしまう。
少し酔っているのか頬が紅潮し、目がとろけたようになっている彼女に今さら気が付いて、ほんの少し胸のあたりがチクリと疼いた。
蓄音機から流れる音楽も耳に届かない。
数秒間の、静寂。
「だって……威圧感とか、欲しくないです?」
「威圧感とは何ですか威圧感とは」
「ぷぷっ、くっ、あははっ! やっぱり私の相棒がベリルさんで良かったです!」
大笑いする彼女を尻目に、深くため息をつく。
ついさっきの、ガラにもなく揺れ動いてしまったあの感情を返してくれと、心底思った。




