少女は名を授かる
『助けたいと思ったから、助けた』
人間の鑑のような言葉が、「ちょっとコンビニ行ってくる」と同等のテンションで告げられ、内心驚きを隠せない。
もしかして彼女にはヒーローだった経歴があるのでは!? と本気で疑ってしまう。変に飾ったり、かっこつけたりせず、当たり前のように答えていた。
なんてかっこいい人なんだろう。「いい人」の枠にはおさまりきらないほど人間ができすぎている。彼女と出会えたことは、わたしの一生の幸福だろう。
「実はこの家、あたしの本当の家じゃないんだ」
テンションは変わらないまま、突然のカミングアウト。
わたしの思考は停止する。
ん……!? なんて!?
今の会話の流れで、なぜ暴露を? タイミングどうした? せっかく感動してたのに台無しだよ。もうちょっと浸らしてくれよ。
いやわかってる、一番のツッコミポイントは、暴露内容だよね! 本当の家じゃない? は? どういうこと? だったらここは誰の家なの? 知らぬ間に空き巣の片棒を担がされてたの? いや彼女がそんなことするはずない……!
説明求む。早急に。
「え、えっと……この家は……?」
「あ、語弊があったな。ここはれっきとしたあたしの家だよ。だけどいつもはここで暮らしてないんだ」
「あ、ああ、なるほど……。お引越しされたんですか?」
「いんや。そもそもあたし、この村の出身じゃないんだよ」
この村出身でもなければ、住民でもない。だけど所有する家がある。つまり……別荘? 実は彼女はお金持ちなお嬢様だったってこと!?
「い、いつもはどこで生活してるんですか……?」
「王都でパン屋をやってる」
お嬢様じゃなかった。パン屋さんでした。
だから焼きたてのパンのいい匂いがしみついていたのか。なるほど、なるほど。プロの職人が作ってくれたパンだったのか。おいしいはずだ。何個でもいけちゃう。よーし、もうひとつ食べちゃおうっと!
と、手を伸ばしかけた途中で、思い返す。
……ん? 王都?
さらっと流しそうになってたけれど……王都って言った? 王都があるってことは王城もある? 王様もいるの!?
「パン屋を始めたころから、この村の近くにある教会に、定期的にパンを届けてるんだ。今回も村に来たのもそのためさ」
「教会?」
王都だけじゃなく教会もあるのか。この世界って、中世ヨーロッパとかそこらへんの時代と似ているのかな。どうしよう、歴史というか勉強が苦手でよくわかんないや。
「教会には孤児院も併設してあって、そこにいる子どもたちに無償でパンをあげるんだ」
日常的な慈善活動で、彼女のやさしさは育まれたのかもしれない。
「まあ、ただの自己満足なんだけどね」
「そんなことないです! 救われている人もいます! わたしとか、わたしとか、わたしとか!!」
「ガハハッ! ありがとう。君はいい子だなあ」
自己満足の何が悪いのか。誰かのために本気で行動できることが、どれだけすごいことなのか自覚してほしい。偽善だろうと、上辺だけだろうと、その先にある幸せもきっとある。
あなたは、わたしの命の恩人。
とてもかっこいい、神様みたいな人。
わたしは今、おいしいパンを食べられて、幸せです!
「いつだったかな……。教会に行くたびに何度かこの村に立ち寄っていたら、村長が空き家をひとつくれたんだよ。『よければこの家をもらってくれないか。そうすれば君もここに来やすくなるだろう』って」
うわお、村長さん太っ腹だなあ。
ここが彼女の別荘だって予想、ある意味正解じゃね?
「こんな立派な家をあたしなんかがもらっちゃっていいのか悩んだんだけどさ、この村に自分の家があることで孤児院に行きやすくなれば、子どもたちにもっとパンを届けられる。ほんのわずかでも、自己満足でも、子どもたちの手助けをしてやれる。そう思って、ありがたくこの家をもらい受けたんだ」
「そうだったんですね……」
「この家があたしの物になってから、パンの配達に行く頻度が上がって、子どもたちの笑顔を前よりたくさん見るようになった気がする。もっと、もっと、誰かの助けになりたいって思った。……だから、君のことも助けたいって思ったんだよ」
点と点が、線になった。
『助けたいと思ったから、助けた』
あの言葉は、彼女がここにいる意味であり、目的であり、そして行動の原点でもあった。
利益とか偽善とか、打算的なことは最初から頭になかったのだ。助けになりたい、そんな純粋なやさしさが、日頃から彼女の中に積み重なっている。
警戒していたのは、わたし。
疑っていたのも、欲があったのも。いい人を装ってすがりついたのも……全部、わたしだ。
バカだったなあ……。
彼女は出会ってから今までずっと、裏表なく、真っ直ぐだった。どうして、と投げかけた疑念は、彼女にとっては愚問でしかなかったのだ。
わたしに生きる選択を与えてくれた彼女には、感謝してもしきれない。
「ありがとうございます」
「え……?」
「わたしのことを助けてくれて……本当に、本当に、ありがとうございます!」
深々と頭を下げた。この程度では気持ちをすべて伝えきれない。ほかに方法が思い浮かばず、悔しくてたまらない。
それでもやっと、伝えられた。遅くなってしまったけれど、ずっと思っていた。
出会ってくれてありがとう。怪しまないでくれてありがとう。話してくれてありがとう。幸せをありがとう。たくさん、たくさん、ありがとう。
わたしが生きているのは、あなたのおかげです。
「礼はいらないよ。君が生きて笑ってくれてるだけで、あたしはうれしいんだからさ」
彼女は笑って、わたしの頭を撫でてくれた。目頭が熱くなる。
赤茶の髪にきらりと艶めく光が、一瞬、天使の輪っかのように見えた。……が、おそらくこのお方は、天使よりもはるかに格上の女神様だ! きっとそうだ! そうにちがいない!
わたしの中で、またひとつ、彼女の尊称が増えていく。神様仏様、ヒーロー様、女神様! かっこいい! 憧れる! 今なら誠心誠意持って「神に感謝を」と拝めそう。
「今度はあたしが質問してもいいかい?」
「はい、もちろん!」
「自分の名前はわかる?」
「……」
うつむきがちに頭を振った。
どれだけ思い返しても、掘り起こされるのは前世の記憶だけ。この美少女についてはさっぱり。
「まさか名前もなんて……。自分のことは何ひとつ憶えてないの?」
「はい。自分のことどころか、この国のこともまったく」
名前がわからないのは不便だよね。わたしを捜してる人がいたとしても、何も応えられない。
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいさ。わからないことがわかったんだから!」
彼女の声色がこころなしか明るくなった。落ちこむわたしを気遣って、なぐさめようとしてくれているんだろう。本当に助けられてばかりだ。
「記憶障害かねえ……?」
「たぶん……」
体は傷だらけだった。何かの拍子で記憶を失っていてもおかしくない。もしも何かのショックで記憶が封じこめられているだけだったとしたら、思い出すチャンスがある。
しかし、前世の記憶と入れ替わりで消えてしまったとしたら……それはもうどうしようもねえな。ときには、あきらめも肝心。切り替えてこ。
どちらにせよ、この世界のことを知っていく必要がある。
知識をつけねば! 勉強はきらいだけど、そうも言っていられない!
ここにずっといるわけにもいかないし、世界を冒険しながら少しずつレベルを上げて……。
「よし、わかった!」
ひそかに計画を立てていると、突然ドンッとテーブルが揺れた。反射的に顔を上げれば、彼女が前のめりに立ち上がっていた。
「一緒に暮らさないか!」
「えっ!?」
わたしにとっては願ってもない提案だ。でも、今以上に迷惑をかけてしまう。
「い、いいんですか……?」
「誘ってるのはあたしのほうだよ? これも何かの縁だろう。一緒に暮らしながら思い出していけばいいさ」
まだここに一緒にいてもいいの……?
目尻にじわりと涙が浮かぶ。流れ落ちてしまう前に手の甲で拭い取り、ふたたび頭を下げた。ごつんっとテーブルに額がぶつかる。それでもかまわず感謝を告げた。
「ありがとうございます! よろしくお願いします!」
「そんなかしこまらなくていいよ。これからは家族になるんだから」
「かぞく……」
もう縁がないかと思っていた言葉。じんと胸が震える。
家族。そばにいるだけで安心できる存在。
この世界ではじめての、わたしの、特別な人。
「あたしの名前は、ガルレット。よろしくな!」
「ガルレット、さん……」
「気軽にガルでいいよ」
「ガルさん!」
「うーん……君にも名前があったほうがいいよね……」
名前をつけてくれるのだろうか。真剣に悩み出したガルさんに、なんだかそわそわしてしまう。
この世界での、わたしの名前。物語の始まりのようでちょっと緊張する。わくわく。どきどき。
「あ……ルリ」
「!」
「ルリってのはどう?」
ゆっくり口に出してみる。ルリ、ルリ……。日本でもそう珍しくない名前だ。
だからだろうか。妙にしっくりくる。
もう一度確認するようにルリとつぶやく。
胸が熱くなったのを感じた。少女自身の心が喜んでいるのかもしれない。
自然と口角が上がった。
「気に入ってくれたみたいだね」
「はい! とっても!」
「ならよかった。わからないことがあったら……いや、なくてもどんどん頼ってくれよ、ルリ」
「ありがとうございます、ガルさん! これからお世話になります!」
大切にしよう。
与えてくれた幸せも、授けてくれた名前も。
ガルさんのそばで愛していこう。




