少女は村に行く
わたしって、少女って、何者なんだろう。
まさかリアルに「ここはどこ? わたしはだあれ?」状態に陥るとは、夢にも思わなかった。
少女自身の記憶がかけらでも残っていたら、ここまで悩まずに済んだだろうに。おそらく溺死しかけたとき、もしくはわたしの意識が覚醒したときに、少女の記憶がごっそり抜けてしまったのだろう。
名札も何もないし、さすがに難易度が高すぎる。無理ゲーだ。
無意識のうちにまた考えこんでしまい、会話のキャッチボールが成立しない。
かといって見知らぬ女性が無理に聞き出すことはなく、「まあいいさ」と自ら話を切り替えた。
「あたしと一緒に来るかい?」
うん、この人は間違いなくいい人だ。下心なく、やさしく接してくれている気がする。
彼女を信頼してみよう。実はものすごい演技力で騙されていたとしても、そのときはそのときだ。返り討ちにしてやる。できるかはわからないけれど、その意気込みが大事なのだ。受験前日もそうだった。
わたしは覚悟を決めて、彼女を真っ直ぐ見つめた。
「はい、行きます!」
迷いはない。
震える顎を全力で動かし、返事をすると、彼女は若干動揺する。
「き、君……喋れたんだね」
「はい!」
わたしもびっくりだ。半信半疑だったけれど、わたしの言葉もちゃんと通じているようで安心した。これなら生活するうえであまり支障はないだろう。
「どうして今まで黙ってたんだい?」
純粋な疑問を投げかけるハスキーボイスは、こころなしかひきつっている。あらぬ方向に誤解されているかもしれない。
「答えられないものばかりでしたから」
「答えられない?」
「わたしにもまったくわからないんです」
「まったくわからない?」
意味不明だと言わんばかりのオウム返し。
そうだよね、そうなるよね。混乱させてごめんなさい。お気持ちお察しします。
転生(仮)の仮説が濃厚だからこそ、まだ落ち着いていられるけれど、わたしがわたしの姿のまま見知らぬ土地に迷いこんでいたら……。想像するだけでぞっとする。
「自分で言うのもあれですけど……わたし、すごく怪しいと思います」
きっと、彼女より、わたしがわたしを不審に思っている。
謎が謎を呼び、恐怖が消えることはない。
でも死ぬほうがもっと怖い。
自分が誰であろうと生きていきたい。
「それでも! あなたについて行ってもいいですか?」
差し伸べてくれた、救いの手。
この人のことを、信じたい。
全力ですがらせていただく……!
「もちろん」
彼女は考え直す素振りなく即答した。
太陽のような笑顔が眩しい。美人で、親切で、頼もしい人……って、神様より神様じゃん。ひょっとしてこのお方こそ本物の神様なのではないか!?
心の中で拝んでおこう。きらきらスマイルありがとうございます。ごちそうさまです。
「ついてきな」
茂みの中へ入っていく彼女に、わたしも意を決して一歩踏み入れた。
森の中は思いのほか静かだった。
時折こだまする動物の鳴き声は、足音でかき消されてしまう。
道は、狭く細く、人一人がやっと通れるほどしかない。一切整備されておらず、凸凹していて歩きづらい。いわゆるけもの道。舗装された道路がいかに安心だったか実感する。もう遅いけれど。
あ、でも、あの雪道と比べたら幾分かマシだ。あれはトラウマ。思い出したくもない。
森を抜けるにはこの道しかないらしい。一本道だから迷子になることはない。
しかし、葉が邪魔をして日光が十分に届かない。唯一の明かりは木漏れ日のみのため、日が落ちると真っ暗になる。しかも夜行性の動物が動き出し、非常に危険なのだそう。
「今は昼間だから安心だ!」
ガハハッと豪快な笑い声が森中に響く。
ち、ちょっと待てよ? もしもわたしがあのまま、誰にも会えずに夜を過ごしていたらやばかったってこと? 死神がほくそ笑んでいた?
あ、あはははは……笑えねえ。彼女を信じて来てよかった。
「くしゅんっ」
笑いの代わりにくしゃみが出た。鼻をすすりながら彼女のあとを追う。
大人と子どもでは足の長さも歩くスピードも大きな差があり、油断しているとすぐに距離ができてしまう。それに、今のわたしには体力がほとんど残されていない。ついて行くだけでもひと苦労だ。歩きにくい条件が揃っている環境下を、寒さに耐えながら駆け足で進んでいく。何の試練だこれ。
事故ってから人生ハードモードすぎ。神様って意地悪なのね。知ってた。
「あっ」
彼女がこちらの様子を見ると、あわてた様子でエプロンを脱ぎ始めた。
「気づくのが遅くなってごめん!」
「え?」
「……よっと」
「え!?」
エプロンでわたしの体をくるむと、ひょい、と軽々しく抱きかかえる。
「こうすればはぐれないし、寒さも少しはしのげるだろ?」
気遣いのプロかよ。
はじめ、いい人ぶってるだけかと疑ってごめんなさい。わたしの目は節穴でした。あなたは良心の塊です。惚れました。来世は神様確定。おめでとうございます。
「そんじゃ、君が風邪引く前に急いで森を出るから、しっかりつかまっててね!」
「は、はい!」
言われたとおり、彼女の首元にしがみつく。ふわりといい匂いがした。
何の匂いだろう。どこか食欲をそそられる、おいしそうな匂い。クラスメイトがつけていた甘ったるい香水より、こっちの匂いのほうが断然好み。なんだかお腹がすいてきた。
おいしそうな匂いに夢中になっているわたしをよそに、彼女は颯爽と走り出した。この森に慣れているのだろう。わたしとかごを抱えているのに、大自然のけもの道を陸上選手並みのスピードで駆けていく。完璧なフォームだ。体幹もぶれていない。
走り始めて五分も経たぬ間に、後方から川のせせらぎが聞こえてこなくなった。
「もうすぐだ」
彼女は風を切りながら、つぶやくように教えてくれた。
もうすぐ。もうすぐ、森を抜けられる。
興味と期待と、しみついた恐怖が、心の中でひしめき合っていた。
道の先で、光が待つ。
外の光だ。
出口だ。
わたしは、ついに、森を出た。
青々とした大空に迎えられた。直接浴びる日光が、冷えた体を照らす。
死亡フラグを折ることができ、清々しい開放感に包まれた。
自然豊かな森を抜け出した先には、ひとつの村があった。ファンタジーな世界観をそのまま表現したような、こぢんまりとした村だ。
色とりどりの野花、麦や野菜を栽培する畑、テントのような家や丸太で組み立てた家が混在している。
土壌は固く、平らにしてあるだけで、日本でよく見かけたコンクリートはどこにもない。
未開拓な世界が、目の前に広がっている。
……本当にここは、日本じゃないんだ。
本能が、告げている。わたしが生まれ育った母国は、どこにもない。ここは、わたしの知らないどこか。
あの仮説は、正しかったのだ。
森を出るとは、この世界を知ることだ。それを承知であの場を離れた。
なのに、想像以上にショックを受けている自分がいる。
覚悟を決めたはずだった。けれど実にあっけなく、脆い、偽物だった。
「……やっぱり、わたし、死んだんだ」
「ん? 何か言ったかい?」
「いえ、なんでもないです」
さっきまで何もかもに現実味がなく、生死を軽く考えてしまっていた。
受け入れよう。
ここにいるのは、わたしであってわたしじゃない。大学受験のために寝る間も惜しんでがんばっていたわたしは、もういない。
現実逃避のため「転生(仮)」と足掻くのはやめだ!
この世界は、本物だ。変えようのない、現実だ。
わたしは藍色の髪の美少女である少女に生まれ変わったのだ。
日本に愛着があった。十八年、短くも幸せな人生だった。
大切な人がたくさんいた。家族や友だち、恋人……はいなかったけれど、数えきれないくらいの思い出がある。楽しかった。大好きだった。
寂しいな。
いくら美少女に生まれ変わったからって、前世の平凡なわたしを愛してくれた人たちを簡単に忘れることはできない。
だが、クソ神よ。
わたしを見くびってもらっちゃ困る。「転生(仮)」から正式に「転生」と認めてもなお、呆然としているだけだと思うなよ。ショックは受けたけれど、せっかく前世の記憶もセットで大好物であるファンタジーの世界に転生したんだ。思う存分、二度目の人生を謳歌してやる!
「なに百面相してるんだい?」
「え? 百面相?」
「泣きそうになったかと思えば、今度は強気に笑ってるじゃないか」
クールにポーカーフェイスを保っていたつもりだったのにバレてた! 恥ずかしい!
「何かわかったのかい?」
「……はい、少しだけですが」
「そうかい。よかったね」
よかった……うん、よかった!
少女の――いや、わたし自身のことを理解できて、一歩前進!




