少女は生まれ変わる
数十秒間、水面の少女と睨み合った。変顔対決。続けて、プリティースマイルで悩殺。いくら表情筋を動かしても、少女は一秒も遅れることなく合わせてくる。
本当に……わたしが彼女で、彼女がわたし?
「ええええええっ!?」
わたしは、生粋の日本人だ。
全国で二番目に多い苗字の家庭に生まれた、ごくふつうのJK。どこにでもいる黒目黒髪、可もなく不可もない体型、取り柄といえば元気なところくらい。髪をボブにしたときには、友だちに「こけしに似てるね」と褒めなのかディスなのかわからないことを言われた。
良く言えば素朴、悪く言えば地味。平凡を競うコンテストがあれば、ミスジャパンを受賞していた自信がある。
それがどうしてこうなった。
どの角度から見ても、水面に映る少女は、明らかに日本人でもなければ女子高生でもない。
年齢は、五、六歳だろうか。
体のサイズが想定の半分以下しかなかったから、泳ぐスピードが遅く感じたのだ。
藍色の髪は肩口につくほどの長さで、少し癖がある。
それに、なんといっても、顔! どちゃくそかわいい!
ちっちゃな顔。マシュマロほっぺ。まん丸の瞳。
目の色は最初「おっ、同じ黒目か!?」と期待したが、惜しくもハズレ。きれいな灰色だった。
かわいいを極めすぎている。まるで天使だ。
この国宝級の美少女がわたしだって? はっはー、信じられないな。冗談はよそうぜ、ベイベー。
それとも、受験当日に召されたわたしを憐れみ、神様が天使に生まれ変わらせてくれたのかな。だとしたら、ありがとう神様。さっきまで「クソくらえ」とか暴言吐いてごめんなさい。大好き。愛してる。
「生まれ変わりか……」
テンションが上がり、うっかり妄想が膨らんでしまったけれど、可能性はなきにしもあらず。
生まれ変わり。輪廻転生。
今まで愛読してきた漫画にも、たびたび使われていた設定だ。
特に、異世界転生ものは、一時期狂ったように読み漁っていた。現状に似た場面が、何度も出てきたことを覚えている。乙女ゲーム、アニメ、パラレルワールド……現実とかけ離れた異世界で新たな人生を送るストーリーは、ラブファンタジー好きのオタク心を鷲掴みにした。
あの現象が、今まさに、起こっているとしたら。
すべての辻褄が合う。
つまり、ここは日本ではなくて、異世界で、少女は日本人ではなくて、それで……それで……。
「……くしゅんっ!」
寒さで思考が鈍る。
くしゃみと鼻水が止まらない。
まずもって、現状をどうしよう。
打ち上げられた魚のように水が滴り、青ざめている。
服が肌にぺたりと貼りついていて気持ち悪い。レースをあしらった襟元やドット柄の模様がかわいらしい、ひらひらのワンピース。どこかのお嬢様みたいな恰好にはしゃぎたいのに、服全体が濡れているせいでみるみる体温を奪われ、元気が出ない。
右手首に付いている華奢なブレスレットは、チャームの輝きがいかにもブランドものっぽくて惚れ惚れするけれど、この状況においては邪魔でしかない。
このままじゃ凍死確定だ。
わたしの背後に死神でも憑いてるのか? さっきから死亡フラグが立ちまくりなんですけど。
空は憎らしいくらい清々しい青色。薄い雲が気持ちよさそうに流れている。
今、何時なんだろう。まだ明るいし、昼頃だろうか。
暗くなる前に服を干して、体をあたためて、できれば生活していける策を練らなくちゃ。生きるって大変だ。サバイバル番組をもっと観ておくべきだった。
「やっぱり火は要るよね……」
だが、ここでひとつ問題が。
平凡な女子高生が、マッチやライターに頼らない、原始的な火のつけ方を知るわけがない。
町に行って助けを求める?
そもそも、ここが森だとして、森を抜けたら町は存在するのだろうか。
探しに行ってもなかったら? 残りわずかな体力を無駄にするのはできるだけ避けたい。今のわたしは、幼女。体力も、歩く速度も、女子高生だったころとは比べものにならない。
「さて、どうしようか」
困った。
振り出しに戻ってしまった。
早く、早く、何とかしなきゃ。
そう自分を急かす反面、未知なる世界の恐怖が行動を制限させる。
何もできない。怖い。でもやらなきゃ。怖い。生きたい。怖い……!
頭が真っ白になる。身体がすくむ。心臓が苦しい。
あのときと同じだ。凍てつくような銀世界。暴走車の下敷きになった、わたしの、最期の……。
――ガサッ。
フラッシュバックしかけた瞬間、背後の草木が揺れた。
びくりと身体がこわばる。おそるおそる振り返ると……
「えっ、子ども?」
ひとりの女性が、現れた。
二十代前半くらいだろうか。ハイネックのトップスに、ミモレ丈のロングスカート。その上には薄汚れたエプロンを付けている。
うしろで束ねられた赤茶の髪は、肩甲骨を過ぎるほどに長い。
大きなかごを背負っており、かごの中には森で採ったと思しき、きのこや果実がたくさん入っていた。
顔立ちは凛々しく引き締まっていて、中世的な雰囲気がある。
藍色の髪の少女を見たあとではどうしても霞んでしまうが、「かわいい」や「かっこいい」よりも「美人」のカテゴリーに含まれると思う。
「どうしてこんなところに子どもが……?」
見知らぬ女性は、深緑色の目を大きく見開いた。
だよね! そう思うよね!? わたしもふしぎなんです!
激しい共感を覚えながらも、彼女の言葉を完璧に理解できている自分に驚いた。
聞こえてくる言語は日本語ではないにもかかわらず、自然と意味を咀嚼できる。
異世界転生の効果で翻訳機能でも身につけたのだろうか。それとも、元々の言語能力のおかげか。おそらく後者、藍色の髪の少女に備わった知識に助けられているのだろう。
「君、こんなところで何してるんだい?」
見知らぬ女性は同じ目線になるようしゃがみこみ、首をかしげる。
うん、やっぱり聞き取れる。よかったよかった。言葉がわからなかったら、問題がまた増えてしまうところだった。言葉がわかるっていいね! わたしの言葉も通じるのかな。
「おーい、聞こえてるー?」
「っ!」
しまった! 自分の世界に入りこんでた!
こくこくと頷けば、彼女はほっと胸を撫で下ろした。
「こんなところで何してるんだい?」
うーん。いい人そうだけど、本当にいい人?
善人を装って、かわいくてたまらないわたしを誘拐しようとしているおそれもある。
警戒するに越したことはない。
見知らぬ土地で信じられるのは自分だけ。
用心深く窺っていると、彼女は心配そうにわたしを見つめた。ポケットからハンカチを取り出し、わたしの濡れた顔をやさしく拭いてくれる。
「びしょ濡れじゃないか。風邪引いちまうよ?」
それな。だから今、解決策を練っていたんですよ。八方塞がりだけれど。
「水遊びでもしてたのかい?」
いいえ。溺れかけてました。
「お母さんやお父さんは?」
少女のですか? 知りません。
「もしかして、はぐれちゃった? それとも……孤児?」
さあ?
と、心の中で返答しても、もちろん相手には聞こえない。
仕方ないじゃないか。わたしにもよくわからないのだ。答えようがない。
「何にしろ、子どもがひとりでここにいたら危ないよ。うちに来な。服を乾かしてあげる」
あ、この人、いい人かも。
警戒センサーがぴたりと止んだと同時に、女性のハンカチを持つ手も止まった。
されるがまま目を閉じていたわたしは、拭き終わったのかと勘違いし、おもむろに瞼を上げていく。
彼女と目が合うことはなかった。彼女の視線は、下のほう、わたしの服を捉えている。
「……どっかのお嬢様だったんだね」
え、そうなの?
きょとんとすれば、「ちがうのかい?」と問いかけられた。
沈黙。わたしに聞かれても困ります。
「素人目にもいいやつだってわかるよ」
ほへー、そうなんだ。お嬢様っぽいデザインだとは思っていたけれど、本当に高級品だったということか。もしかして大事なものだったりしない? びしょ濡れになっちゃったよ。大丈夫かな? だ、大丈夫だよね! 濡れたのはわたしのせいじゃないし!
「貴族様じゃないんなら何者なんだい?」
わたしが一番知りたいです!




