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少女は届ける



ふとルシファーと目が合った。

大丈夫? と口パクで尋ねてみる。ルシファーはしっ、と口に人差し指を寄せた。

え? 大丈夫じゃないの? どっち!?


漆黒の瞳が静かに反対方向へと移された。

馬車の裏手から人影が近づいてくる。



「君、そこで何をしている」



見覚えのある、青と白の制服をまとった男だった。

あの恰好をしているということは、近衛騎士だろう。孤児院の裏山では遭遇していない顔だ。

訝しげにルシファーを見つめている。


彼が悪いやつ? それともいい人?

近衛騎士に関しては、元々の評価が低すぎて、どうしても悪いほうに考えてしまう。世間一般的には、国家を護る正義の味方なのだろうけれど。

どうしよう。助けに行ったほうがいい!?



「パン屋に用か?」


「あ、はい。ですが……少し入りづらくて」



混乱しているわたしとは対照的に、ルシファーは平然と受け答えしていた。さりげなく男の容姿を満遍なく見定め、人当たりのよい笑顔をつくる余裕もある。

まんまと警戒心を解いた近衛騎士の男は、あははっと軽快に笑い出した。



「そりゃそうなるよな。君のほかにも数人、ここで挙動不審になってたよ」


「ということは中にいるのってやっぱり……」


「ああ、君が想像しているとおりだよ。今日は公務じゃなく私用なんだが、ちゃんと変装してないから気づいちゃうよな。このことは内密にしてくれると助かるよ」


「はい、もちろんです」



快く了承すると、男は簡単に礼を告げた。白い歯を覗かせ、ぱちんと片目を閉ざす。ベリーほどの甘みはないものの爽やかな風を感じる。

近所のお兄さんのような親しみやすさがある。山でわたしを追いかけまわした野蛮人とは大違いだ。近衛騎士の真の姿を見た気がする。



「もしかして、噂のデニッシュを買いに来られたんですか?」


「ああ、そうだ。だが、どうやら売り切れていたらしくてね」


「デニッシュ人気ですもんね」


「シンデレラ様効果がここまでとは思わなかったよ。あのお方は次の焼き上がりまで待ち続けるつもりのようだ」



目的がデニッシュとわかったとたん、肩の力が抜けた。

あの言い方だと、ガルさんやお店に危害はないだろう。杞憂で終わってほっとした。



「君もデニッシュを?」


「あー……そう、ですね」


「それなら君も店で待つといい。きっともう少ししたら焼き上がるさ」


「いえ、店内で一緒に待つなんて恐れ多いです。また出直してきます」



ルシファーは目礼し、踵を返す。

と同時に、ギィ、とお店の扉が押し開かれた。



「何の騒ぎだ」



店内から出てきたのは、ガルさん……じゃない。フォーマルな装いの少年だ。

ルシファーと遜色ない体格でありながら、どっしりと重みのある貫禄があった。鼻筋の通った顔には、神々しくも冷ややかなオーラが醸し出されている。

ただの貴族ではないであろうことは見てとれた。

どこかで見たことがあるような、激しい既視感に見舞われる。


貴族らしき少年は辺りを見渡したあと、ひとり残された近衛騎士の男に厳しい目を向けた。



「店の前だぞ。迷惑をかけるな」


「失礼いたしました」


「何があった。買い出しに行った娘が戻ってきたか?」


「いえ、ただの子どもでした。はじめ怪しい行動をしていたので声をかけましたが、中に殿下がいることに気づいて入店をためらわれていたようで」



敬礼をして報告する近衛騎士の男は、気まずそうにルシファーの背中を見やる。あとに続いて少年も視線を送った。

ルシファーは気づかないふりをして、足を速めた。わたしのいる路地を通り過ぎ、ひとつ奥の角で曲がった。



「その子どもというのが、あの少年だったのか」


「はい、そのとおりです」


「少女は? 店主の娘という子どもはいなかったか」


「まだ見ておりません」


「そうか……」



こころなしかしょんぼりしながら少年は店内に戻っていった。

ルシファーもぐるりと遠回りしてわたしの元に戻ってきた。



「お待たせしました」


「おかえり! なんか大丈夫そうだね?」


「はい、俺の考えすぎだったようです。すみません」


「謝ることないよ。万が一があったら困るもん。ありがとうね、ルシファー」



ぴょんと背伸びをして黒髪を撫でると、ルシファーの体がびくりとのけぞった。涼しげな白い顔に、ほんのりと赤みが差す。



「……ま、またそうやって……軽々しく感謝しちゃだめですよ」


「どうして? ルシファーこそもっと軽く受け取っていいんだよ?」



杞憂だったとはいえ、結局わたしはここにいただけ。わたしも守るよ! なんて大口叩いた手前、ちょっと恥ずかしい。

ルシファーもまだ子どもなのに、危険を承知でがんばってくれた。称賛こそすれ、軽んじるなんてありえない。

相変わらず過小評価しているルシファーに、もう一度感謝を伝えると、黙りこんでしまった。ゆらゆら揺れる黒い瞳に、わたしは仕方なくほほえんだ。拒まれなかっただけよしとしよう。



「じゃあお店に帰ろうか!」


「そ、そうですね。正面からではなく、裏口から行きましょう」


「え? なんで? 正面のほうが近いよ?」


「店内にはお客様がいらっしゃいますから。それに、裏口から入ったほうがスムーズに作業できるかと」



なるほど。たしかに。そう納得している間に、ルシファーがベリーの入った袋をふたつとも持ち抱えていた。



「……万が一があったら困りますし、ね」



ひとりごちるようにつぶやかれたのは、さっきのわたしの言葉。薄暗い路地のせいだろうか、やけに意味深に聞こえ、胸がざわついた。


むらのない黄味に彩られた建物の裏手に回ると、寂れた扉がある。ガチャリと開けた先は、厨房に直接つながっている。

ふわっと香ばしい匂いが広がった。

かまどの前では、ガルさんが腕を組みながら焼き具合をチェックしている。腕で汗をぬぐった拍子に、わたしたちに気づいた。



「おお、ふたりとも! 裏口から来たんだね。おかえり。待ってたよ」


「ガルさんただいま!」



わたしは飛びつく勢いで駆け寄った。家に帰ってきた安心感に包まれる。



「ああ無事でよかったあ」


「それはこっちのセリフだよ。無事に帰ってきて安心した。大変じゃなかったかい?」


「全っ然! ルシファーがいっぱい助けてくれたの!」


「そうかいそうかい、よくがんばったね。ルシファーも、ありがとうね」



ルシファーは首を横に振りかけたが、わたしがじっと睨むと、ぎこちなく首を小さく縦に動かした。



「ラズベリーもいっぱい買ってきたよ!」


「えらいぞ、ルリ! ところで、その帽子はどうしたんだい?」


「ルシファーにもらったの。おでかけのときはこれつけたほうがいいんだって」


「買い出しの手伝いだけじゃなく、帽子まで? こんなに世話してもらっちゃって、悪いねルシファー」


「いいえ、俺がしたくてしていることですから」



こちらが頼まれていたものです、と袋を作業台に置いた。

ガルさんは早速、ひと粒手に取った。色や香りを観察し、ほくほくと首肯する。



「いい実だ。これだけあれば大丈夫だろう」



ベリーを映した深緑色の瞳が、赤々と燃える。



「帰ってきて早々申し訳ないが、ふたりともデニッシュの仕上げを手伝ってくれないかい」


「もっちろん! 最初からそのつもり!」


「あの方が待っているとなると、急いで準備したほうがよさそうですね」


「店にいるのが誰か、もう知っているんだね……。あたしもびっくりだよ。まさかシャルル王子がデニッシュを買いにいらっしゃるなんて」


「えええっ、王子……!?」



わたしは思わず驚きの声を上げた。



「あれ、ルリは気づいてなかったのかい?」


「うん……すごい貴族なんだろうなくらいにしか思わなかった……」



王子様だったんだ……。


既視感があったのは、告別式のときに見かけたからだろう。

よくよく考えてみれば、近衛騎士は王家のために在る職業。そばに仕えているのは王家の人間に決まっている。なぜ気づかなかった、わたし……!


シャルル様というと、この国の第一王子。本来なら望んでも同じ空間にいられない、雲の上の存在。そんな人が下町のパン屋にいる。夢でもなかなか見ないような状況だ。

これもまた、シンデレラ様がつないでくれた、ふしぎな縁だろうか。


シャルル様はデニッシュのためだけに、かれこれ一時間近く待っている。店の傍らに椅子を出し、お茶と菓子パンを提供して間を持たせているが、すでにお茶を五杯もおかわりされたらしい。

ガルさんの表情には、やや気疲れが見えた。



「わ、わたし、がんばる!」



もう一分一秒、無駄にできない。

急いで手を洗い、村長からプレゼントされたエプロンを身に着けた。

あ、あと帽子も外さなきゃ。つばに手をかけると、なぜかルシファーに止められた。



「る、ルリさん! も、もうしばらく帽子をかぶっていてはいかがでしょう」


「へ? でも……」


「と、とてもお似合いですし!」


「ガハハッ。そうだね、あたしもまだちゃんと見ていないよ。帽子をかぶったかわいい姿を見せておくれ」



そこまで言われたらしょうがない。もうちょっとつけていてあげよう。

麦わら帽子をかぶった美少女の絵面は、きっと目の保養になる。これで疲れが癒えることを願う。


かまどでぱちぱちと火が弾けた。

ガルさんはデニッシュを並べた板をかまどの中から取り出す。生地の粗熱をとっているうちに、わたしがさっと洗ったベリーを、ルシファーが蜜でコーティングした。

湯気が落ち着いてきたら、三人で二十個ほどのデニッシュを手分けし、最後の飾りつけに取りかかる。

ひし形に層を重ねた生地にできた浅い窪みに、ベリーをこれでもかというほど敷き詰める。粉糖をはらはらとふりかけ、生地の焼き色とベリーの瑞々しさを引き立てる。

これでデニッシュの完成!


最初にできあがった五個分を紙袋に入れ、ガルさんは駆け足で売り場に持っていった。



「大っっ変お待たせいたしました! こちらがデニッシュでございます」


「おお、本当か……!」



五杯目のお茶も飲み干し、ひとりしかいなくなった売り場を右往左往していたシャルル様は、待ち焦がれたお宝を前に、ぱあっと表情をほころばせた。

うれしそうにはしゃぐ声が厨房まで聞こえてきて、わたしは胸を高鳴らせた。

告別式のときは悲しみに暮れていた、あの紫がかった青い瞳が、今はきらきらと輝いていることだろう。

残りのデニッシュを仕上げる手が、リズムを取るように軽やかに動いた。



「買い出しに行ったという娘は、いつの間に戻ってきていたのだ」


「つい先ほど、裏口から戻ってまいりました」


「なるほど裏口か……」



紙袋を受け取ったシャルル様は、気になって中身をチラ見した。できたてほやほやのやさしい熱のなか、鮮やかな薔薇色が咲きほこっている。やわらかな笑みがこぼれた。



「わたしのために急いでくれたのだろう? 面倒をかけたな」


「いえいえそんな! 貴重な時間を割いていただき誠に光栄でございますです!」



緊張のあまり言葉遣いがへたになってしまう。

カウンターに置かれた硬貨の色に、ガルさんはさらに取り乱した。



「えっ、え……き、金貨……!? しかも三枚も!?」



フェアリーン王国の貨幣は、すべて硬貨だ。銅貨、銀貨、金貨の三種類。日本円でたとえると、銅貨は百円、銀貨は千円、金貨は一万円に相当する。

金貨が三枚ということは、三万円。

デニッシュの正規の値段は、ひとつ三百円。五個分だとしても、金貨三枚は多すぎる。



「こ、こんなにいただけません!」


「気持ちだ。受け取ってくれ」



断るわけにもいかず、ガルさんは金貨の重みを嚙みしめながら深々と一礼した。



「また来る」


「あ、ありがとうございます! お待ちしております!!」



わずかに震えた挨拶が、店全体に響き渡った。

厨房で作業しながら、わたしとルシファーは顔を見合わせる。



「王子様、帰るみたいだね」


「そうですね」


「わたしも挨拶してこようかな!」


「え……!? い、いけません! まだ……」


「いつもの挨拶をするだけだよ。すぐデニッシュの盛り付けに戻ってくるから」


「あ、ちょ……っ」



ルシファーの声をスルーし、厨房から売り場の入り口へと移動する。カウンター側に続く入り口から顔を覗かせる。

ちょうど近衛騎士の男が扉を開け、シャルル様が出ていくところだった。



「ありがとうございましたー!!」



今しかないと思い、腹の底から声を出した。

わたしを見ていなくとも、帽子を軽く上げ、頭を下げる。気持ちが届いていたらいいな。


瞬間、シャルル様の足がぴたりと止まった。



「……」


「いかがいたしましたか」



近衛騎士の男が外から扉を支えながら、首をかしげる。

振り返ったシャルル様の視界には、ガルさんのほかに、麦わら帽子をかぶり直し、満足気に厨房に戻っていくわたしの背中が映った。

見えなくなったあとも数秒ほど硬直状態のシャルル様に、ガルさんはふしぎそうに眉を寄せていた。


やがてシャルル様は胸元にきらめく白銀のリボンをはためかせながら前を向き直した。何も言わず、デニッシュを抱いて馬車に乗りこむ。

視線はまた無意識のうちにパン屋へと向いていた。どれだけ目を凝らしても、外壁の奥まで透過できない。

馬車の中でひとり、ため息をついた。



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