少女はおつかいに行く
パン屋『ガブリ』が営業再開してから1週間。いまだに人気は衰えず、今日も今日とてシンデレラ様の忘れ形見を求めて三千里。長蛇の列ができている。
デニッシュの人気にあやかって、ほかのパンの売上も上昇している。
パンは午前、正午、夕方の三回に分けて焼き上げていて、今日の午前と正午の分はすでにほとんどのパンが売り切れている。
今最も熱いパン屋といっても過言ではない! この世界にテレビがあったなら、お昼のバラエティ番組で紹介されていたであろう!
正午の山場を越え、現在、午後二時。
だいたいこの時間になると……
「あっ、いらっしゃい! ルシファー!」
「こんにちは、る、ルリさん」
すっかり常連さんになったルシファーがやってくる。
ガルさんのパンを気に入ってくれたらしい。でも最近はパンが売り切れるのが早くなったから、ルシファーの選択肢がほぼなく、デニッシュをひとつとっておく約束はいまだに叶えられていない。
焼きたての時間には来ないのかと聞いたことがあったが、お店でゆっくりしたいので、と言っていた。パンだけでなくパン屋自体を好きになってくれたみたい。うれしくてついバカみたいな笑い方をしてしまった。嫌いにならないで、お願い。
「あああっ!!!」
すると突然、厨房から叫び声が響き渡った。
ガルさんが夕方の分の準備に取りかかっているはずだが……。
すぐさま駆けつけると、ガルさんはかまどを背にうなだれていた。どんより沈んだ姿は、かつて模擬試験でE判定をとったわたしにそっくりだった。
「が、ガルさん……?」
「やらかした……」
「え?」
「デニッシュの最後の仕上げが……足りない!」
作業台の上に置かれたボウルには、大人気のデニッシュに使用するベリーが入っている。
……たったふたつだけ。
「そ、倉庫にもないんですか?」
「ない……。全部使っちまった……」
想定以上の客数と売上に加え、情緒の安定しない日々が続き、食材の管理が頭から抜けていたのだろう。わたしも確認できていなかったから同罪だ。
ほかのパンで代用することもできるが……ガルさんは妥協しない。十分な休養も取らずに営業を再開させたのは、お客さんの気持ちに応えたいからだ。一番人気のデニッシュをなしにはできない。
「市場に買いに……でも、店が……」
「わたしが行きます!!!」
わたしはぴんと右腕を挙げた。
ガルさん、ひとりじゃないよ。
わたしがいるよ。
こういうときこそ頼ってください!
「わたしがいっぱいベリー買ってきますよ!」
「だ、だけど……ルリはまだ町のことをよく知らないだろう? ひとりじゃ危ないよ」
「市場に行って帰ってくるだけでしょ? 余裕ですよ!」
といっても、五歳児(記憶喪失)じゃ信用してもらえないか……?
「でしたら俺が付き添いましょうか?」
助け舟を出してくれたのは、ルシファーだった。
ひょこっと厨房の入口から顔を出し、腰を低くして提案する。
わたしはここぞとばかりにナイスアイデア! と持ち上げた。もう一度ガルさんに意思表明すると、うなりながらもうなずいてくれた。
「そこまで言うなら……お願いしようかな。てかもうそれしかないよな、うん……」
「うんっ! 任せてガルさん!」
「ありがとな、ルリ。ルシファーくんも」
「いえ、お力になれてうれしいです」
ガルさんは拭いきれない不安を飲みこみ、簡略化した地図を書いてくれた。
お財布も受け取り、準備は万端。わたしは買うべき材料をあらためて確認したあと、ルシファーとともに買い出しに出かけた。
はじめてのおつかい。ドレミの音が脳裏をめぐる。
わたしたちと入れちがいざまに、パン屋『ガブリ』に新たな客が訪れる。
下町の道を占めるほどに大きな馬車が、店前に停まった。
馬車から降りてきたのは、見るからに高貴な装いの少年だった。年齢はおよそ十歳。青く透けた天使の輪をきらめかせた直毛の髪に、彫刻に命が宿ったかのような凛とした顔立ちをしている。
お供の近衛騎士を馬車近くに待機させ、店内に入った美少年に、ガルさんはいつもの挨拶を忘れ、震え上がった。
「し、し……シャルル王子……!?!?」
何を隠そう、その美少年こそ、この国の未来を背負う王位継承権第一位。冷静沈着で頭脳明晰と知られる第一王子、シャルル・フェアリーンだった。
あわててひれ伏したガルさんに、シャルル様は抑揚なく告げる。
「おもてを上げよ。今回はお忍びで来ている」
「え、あ……ど、どうしてうちに……」
「エラ姉様が好きだったという、デニッシュがあると聞いた。それはどれだ?」
「あ……で、デニッシュ……ですか」
喜びもつかの間、空っぽになったベリーを思い出したガルさんは、たちまち顔面蒼白になる。目にも止まらぬ勢いでふたたび頭を下げた。
「も、申し訳ございません!!」
「な、なぜ謝る……!?」
「ただいまデニッシュは売り切れておりまして」
「う、売り切れ……? そ、そうか……。そ、それは、仕方ないな……」
口では納得しているが、顔はしゅんと落ちこんでいる。
十歳の子どもらしい素直な表情が、よりいっそうガルさんの心を締めつけた。
「あ、あの……実は、今、あたしの娘が買い出しに行っていまして」
「それがどうした」
「材料を調達してくれば、すぐに提供できるかと」
「なんだと!?」
厨房ではデニッシュの生地を焼いている真最中だ。買い出しから戻ってくるころには、ちょうど焼き上がり、新鮮なベリーを盛り付けることができる。
「ただ、時間を少々いただいてしまいますが……」
「かまわぬ! 待つ! いくらでも待つぞ!」
とたんに元気になったシャルル様に、ガルさんはほっとして汗を拭う。
様々な思いを胸に、おつかいの成功を今か今かと待ちわびた。
そうとも知らずに、わたしは王都でのはじめての買い物にわくわくしていた。とはいっても、観光に割く時間はない。
ガルさんが帰りを待っている! それに、デニッシュ目的で来るお客さんを、がっかりさせたくない。ルシファーにも食べてもらいたい。
そのためにも、ぱっと行って、ぱっと買って、ぱっと戻らないと!
「ルリさん」
「ん?」
「はいこれ、どうぞ」
「へっ?」
やる気に満ちたわたしの頭に、ふわりと何かが落ちてきた。
ん? なんだ?
「こ、これは……帽子?」
網目のきれいな麦わら帽子だ。つばが広くて、顔まわりの光が完全に遮断される。
いったいどこに隠し持ってたの? なぜわたしにこれを?
ぽかんとするわたしに、ルシファーは絵文字に負けず劣らずの模範的な笑顔を浮かべた。
「紫外線対策にいかがかと思いまして」
「し、紫外線……!」
まさかの美容男子!?
あの不気味な黒ずくめの恰好も、紫外線対策だったのかな。あっ、だからそんな美肌なの!? よし、わたしも見習おう。目指せ、美白。
ありがたく帽子をいただき、わたしのやる気レベルがアップする。
手書きの地図をたよりに、わたしたちは日向を避けて進んでいった。
だんだんと人通りが多くなってきた。
道を二回曲がると、大きな広場があった。色とりどりのテント屋根が立ち並び、多くの人でにぎわっている。
出店で売っているのは新鮮な食材だけでなく、お惣菜やスイーツ、草花やアクセサリーなどもあり、見て回るだけでも楽しそうだった。
「ルリさん、目当てのものはあちらにありそうです」
先陣を切って人混みを分けていくルシファーについていき、広場の中心部まで移動する。
クリスマスカラーの屋根が特徴の出店に通りかかった。見たこともない果実や野菜がもりもりに積まれてある。つい気を取られていると、店主らしきふくよかな女性に声をかけられた。
「あら、君、ガルさんとこの子じゃない!」
「え?」
麦わら帽子を少し上げて見てみれば、よく『ガブリ』に来てくれる常連さんだった。
ルシファーが年齢当ての特技を披露したときも、お店に来ていた彼女は、ルシファーのこともちゃんと覚えていた。
「お世話になってます!」
「ガルさんは? 迷子?」
「いえ、わたしたちだけです。おつかいに来ました!」
「あらま、ふたりだけで? すごいわね」
わたしはふふん、と胸を張る。
「何を買いに来たの?」
「えっと……ラズベリー! 国産の! とびきり甘いやつがほしいです!」
「ピンクフェアリーという品種名、でしたよね?」
「そうそう! それです!」
「それならうちにあるわよ。これでしょう?」
ルシファーのアシストのおかげで見事ゴール。
店主が指差した、丸くカットされた宝石のような薔薇色の果実は、間違いなくボウルに余っていたベリーと同じものだ。
艶めく粒がいくつもくっつき、苺ほどの大きさになった実は、口に入れるとぷちぷちと弾け、甘美な果汁があふれだす。その果汁はデニッシュと相性抜群。バターを折りたたんだデニッシュの生地に、果汁のさっぱりした糖分が絶妙に溶け合い、飽きることのない風味が続いていくのだ。
シンデレラ様が気に入るほどの人気商品。あのおいしさは、ラズベリーがないと完成しない。
わたしたちが持てるだけくださいと伝えたら、袋をふたつ分、どちらもぱんぱんに詰めてくれた。
「お代はちょっとおまけしてあげる」
「ありがとうございます!」
「デニッシュおいしかったわ。また行くわね」
袋を受け取ると、重さで体がよろめいた。難なく支えたルシファーは、ついでに袋をふたつとも抱えた。わたしがいくら持とうとしてもゆずらない。折衷案で、袋の持ち手の片方だけを、わたしに渡してくれた。
甘くて爽やかな香りを町にまきながら、来た道を順調に戻っていく。
食パンの形をした看板が見え、無意識に足が速まる。
「あとちょっとだよ、ルシファー!」
「走ると危な……あっ! お待ちください!」
突然、ルシファーは声を荒げた。
袋も緊急停止し、持ち手の片方を握っているだけのわたしは、重量に敵わず、あっさり体を引っ張られる。
「る、ルシファー? どうしたの?」
「姫様、正面から行っては危険です。一度身を隠しましょう」
「……姫様?」
「あ……えっと、る、ルリさん。ひとまずこちらへ」
「で、でも、ガルさんが待って……」
「こちらへ」
「は、はい」
有無を言わさない気迫に負け、お店のすぐ横の路地に連れていかれてしまう。
ルシファーは壁に張りつき、辺りを警戒する。
そういう遊びにしては真剣すぎて、いやに緊張してきた。
説明プリーズ!
「ね、ねえ……き、危険って何が……」
「……あの馬車です」
「馬車?」
たしかにお店の前には、光沢のある馬車が停まっている。
下町の雰囲気にはそぐわない、高級感のあるおごそかな造り。おそらくどこかの貴族の所有物だろう。
「あれがどうしたの?」
「悪いやつが乗っているかもしれません」
「えええ!?」
思わず大きな声が出てしまい、とっさに口を手で覆った。ごめんなさい。
声量を落とし、おそるおそる問いかける。
「な、なんでそんなことわかるの?」
「経験値でしょうか」
「な、なるほど……?」
下町暮らしが長いと、そういうのもわかっちゃうのかな。
悪いやつって、どんなやつなんだろう。
真っ先に思い浮かぶのは、山でわたしを追いかけまわした、あの近衛騎士の男。
思い出しただけでぞっと鳥肌が立つ。
もしかして、今回も? でもあれは人違いだったはずじゃ……。
「命の危険は……ない、よね?」
「……」
ここで黙らないでルシファー!
「俺が必ずお守りします」
返事の代わりにそう言って、自分の影にわたしを隠した。
帽子がいらないほど陰った視界に映るのは、ただひとつ、黒い背中だけ。
わたしよりちょっと大きいだけの、まだまだ幼い背に、わたしは手を伸ばした。
「わ、わたしも!」
「……え?」
「わたしもルシファーを守るよ!」
「……」
ルシファーの服をぎゅっと握る。
振り返ったつぶらな瞳が、きらり、光った。
ひとりよりふたりのほうがいい。命の危険があるならなおさら。
怖くてたまらないけど、フラグとの付き合いは長いほうだからね。無視はできない。
背中は任せたよ、ルシファー。一緒にやってやろう!
「あなたは、本当に……」
何か言いかけたルシファーに気づかずに、わたしはおろおろしながら状況を整理した。
「本当にあの馬車に悪いやつがいるなら……今一番危ないのは、ガルさんだよね? 大丈夫かな!?」
「ちょっと店内の様子を見てきます。ルリさんはここで食料を守っていてください」
ベリーの入った袋を足元に置き、店前に人がいないことを確認したあと、ルシファーは建物に沿って店前の窓付近まで移動した。物音ひとつ立てずに窓の下で身を屈める。
わたしは路地から右目だけをちらつかせ、反応をうかがう。
正方形の窓ガラスをそうっと覗き見たルシファーは、殺していた息をはっと漏らした。引き締められていた横顔が、驚きの色に染まっていく。
あれはどっち!? ガルさんは無事なの!? ねえ!
コツン、と爪先に石ころが当たった。無意識のうちに一歩踏み出していたらしい。急いで路地に体を引っこめた。
密度の濃い香りが辺りに充満している。肺いっぱいに吸いこみ、体内にもしみこませる。親しみ深い甘みが、毒気のある不安を清めてくれた。
よし、もう一回見てみよう。何かサインをくれるかもしれない。
せーのっ!
あらためてルシファーの様子を見直すと、十秒前の隠密行動をやめていた。丸くしていた背は正され、堂々と店内を眺めている。
えーっと……悪いやつはいなかったってことでOK?




