少女は再会する
告別式の翌日、営業再開したパン屋はおかげさまで大盛況!
……と言うと語弊がある。なぜならまったく盛り上がっていないのだから。
多くの客がシンデレラ様の好物だったというデニッシュを求めに、半泣き状態で来店している。線香をあげるようにパンを取り、会計しながらシンデレラ様への愛を語り、誰かが泣き始め、狭小な店内はカオスと化す。人気のデニッシュが売り切れるまで、客足が途絶えることはなかった。
忙しいのは、パン屋『ガブリ』だけではない。ほかにシンデレラ様にゆかりのあるお店にも長蛇の列ができているし、供物を送るため花屋に立ち寄る人も多い。
早くも『シンデレラ伝説』の前身ともいえる童話調の思い出話も広まり始めている。
当分は、悲しみに暮れた日々が、めまぐるしく過ぎていくのだろう。
昼に焼きあがったばかりのデニッシュが、ものの一時間で完売すると、ようやく客足が落ち着いてきた。
カウンターでひと息つくわたしに、厨房であくせくパンを焼いていたガルさんが、わざわざいちごミルクを渡しに来てくれた。疲れた体にしみるぜ!
「ルリ、疲れたか?」
「うん、ちょっと……。ガルさんは?」
「あたしは全然。ルリが会計してくれたからすごく助かったよ」
ルリはすごいな! 天才だな! と鼻高々に持ち上げてくれる。
だけどわたしはただ、小学生レベルの足し算引き算をこなしているだけに過ぎない。計算が特別早いわけでもないから、列の終わりが永遠に見えず、もはや恐怖だった。
わたしはまだまだひよっこ。ベテランへの道は険しい。
「お客さんは、何か言ってなかったかい?」
「なにかって?」
「あー……その……洗礼式のこと、とか……」
ガルさんは声量を落としながら言い淀む。
洗礼式というワードだけなら、店内にいる数人のお客さんに聞こえても、わたしのことかと勘違いしてくれるかもしれない。
けれど実際は、わたしではなく、シンデレラ様の娘にまつわることだ。
五歳になるまで公に出さない風習を律儀に貫いていたのが仇となり、第一王女の存在は今もなお秘匿されたままだ。知っているのは、王宮にいる関係者を除けば、ガルさんだけだろう。
王女様、待望の五歳。洗礼式に伴い、記念すべきお披露目パーティーを催す――その知らせを、ガルさんは今か今かと待っていた。時期的にはすでに発表されていてもおかしくない。それでガルさんは、王都に着いたあたりから人々の噂や世間話に敏感になっているのだ。
シンデレラ様亡き今、たったひとり残された幼子が気がかりなのだろう。
だけど、ねえ、ガルさん。
心のどこかでは、もう気づいているんでしょう?
「……何も、言ってなかったよ」
「……そ、そうか……」
「うん……。ごめんね」
「どうしてルリが謝るのさ。おかしな子だね」
ガルさんは豪快に笑い飛ばすけれど、それが作り笑いであることはすぐに見抜けた。
王女様について音沙汰がないとは、つまりそういうことだ。
すべて漫画のとおり。
わたしの読んだ第一話が、進行している。
ガルさんの目尻に涙が浮かんでいた。笑いすぎちまったよ、とへたな言い訳をしながら、汚れたエプロンで顔をこすった。
わたしはいちごミルクをひと口おすそ分けした。やさしい味の糖分も、おいしいおいしいと褒め合う時間も、穴のあいた心を癒すには少々力不足だった。
今はまだ心から幸せを感じるのは難しいかもしれない。だけどわたし、がんばるよ。何をどうすればいいのか、明確にはわからないけど、とにかくがんばってみる。ガルさんと一緒に幸せな人生を送るために。
今はまず、お店の切り盛り。接客販売のプロになってみせる!
メラメラとやる気に満ちていると、からんころん、と扉についた鈴が揺れた。新しいお客さんだ!
「っらっしゃぃせーー!!!」
やる気をそのまま声量に変えた結果、居酒屋テンションになってしまったわたしは、「せ」の口のままフリーズした。
入店したのは、見覚えのある人物だった。
「おひさしぶりです!」
「はじめまして」
わたしとお客さんの挨拶はほぼ同時だった。お互い、いろんな意味でびっくりしている。
……はじめまして?
わたしは首を傾げた。
お店にやってきたお客さん――わたしよりほんの少し発達した程度の小柄な少年は、襟足の長い黒髪に色白な塩顔、ラフな服装は黒で揃えている。それになんといっても、その研ぎ澄まされた漆黒の瞳。やはり間違いない。
「以前、山で助けてくれた人ですよね……!」
名探偵さながらに断言すると、少年は図星をつかれたように目を白黒させた。若干引かれているような気もしなくもないが、思い込みだと信じておくことにする。
「……よ、よく、わかりましたね」
「どうして初対面のふりなんかしたんですか?」
「さ、さすがに気づかないかなと思いまして……」
「気づきますよー! わたしの目はごまかせません!」
とは言っても、気づかないだろうと思う気持ちもわかる。
以前会ったときは全身黒ずくめで、顔も性別もまともにわからなかった。だからこそ、唯一あらわになっていた瞳がとても印象的で、記憶に残っていた。
服の雰囲気もよく似ているから、すぐにぴんときた。今日は下町によくいる男の子の軽装だけれど、シンプルな黒のワントーンコーデはあの日の怪しい雰囲気を連想させる。
……ていうか、男の子だったのね!
顔もはじめてちゃんと見たけど、なかなかの美形! この先、かわいい系にも、かっこいい系にも進化できる可能性を秘めている!
漫画のレギュラー入りなるか!? 将来に期待大!
「ルリ、この子は?」
得意の妄想タイムに入るわたしを見かね、ガルさんがひと声かけた。興味深そうに黒髪の少年を見つめている。
「あ、ガルさん! 彼です! 前に話した、山での救世主!」
「救世主って大袈裟な……」
「ああそうかい、君が……!」
少年の謙遜を打ち消す、ガルさんの歓喜の声。
ガルさんは少年の手を取り、神に祈るように額を手に近づけた。
「あたしの娘が世話になったね。ありがとう」
「……む、すめ……?」
彼は困惑気味にわたしとガルさんを見比べる。
なんとなく言わんとすることがわかり、わたしはガルさんの腕を引き寄せ、誇らしげに破顔した。
「こちら、ガルさん。このパン屋の店主で、わたしの親代わりになって育ててくれてるんです。わたしの大切な家族!」
「んで、この子はルリ。今日から『ガブリ』の看板娘としてデビューした、あたしのかわいい娘さ」
「んふふ〜。ガルさんもかわいいけど、どちらかというときれい系だよね!」
「お。あたしゃきれいかい?」
「うん! きれい! 美人! わたしたち顔面偏差値高すぎ!」
「ガハハッ! やっぱりルリはおもしろいなあ」
わたしはとても恵まれている。血のつながりはなくとも、短い間でたしかな絆が育まれた。それもこれもすべてガルさんのおかげ。
ガルさんの魅力は、もちろん美人なところだけじゃない。が、語りだしたらきりがない。形容でもなんでもなく三日三晩続いちゃう。自重。
彼についても知りたいのに、時間が足りなくなったら元も子もない。
「あなたは?」
「え?」
「あなたの名前も、教えて?」
カウンターから身を乗り出してせがめば、彼はどぎまぎした様子でつぶやいた。
「……る、ルシファー、です」
「ルシファーさん!」
「あ、敬称とか、結構ですので……」
「じゃあルシファー! この間はありがとうございました」
いきなり丁寧に礼をとったわたしに、ルシファーはぎょっとした。
「山を無事に下りることができたのは、あなたのおかげです」
「お、俺は……ほんとに、お礼を言われるような人間じゃ……」
「だめ、受け取って! また会えたら絶対伝えるって決めてたんです。本当の本当にありがとう!」
こんなに早く再会できるなんて思っていなかったから何の準備もできておらず、即席の言葉だけになってしまったけれど、本当ならもっと気持ちが伝わるよう形にしてお返ししたかった。それこそ採取した果実で染色したハンカチをあげたり、ガルに習ってパンをつくったり。
それくらいあのときの出来事は、わたしにとって鮮烈なものだった。
しつこい死神を追い返すことがどれだけすごいことなのか、彼はまったくわかっていない。自己評価が低すぎる。
あなたは感謝されるべき人間だし、わたしにめいっぱい感謝されなさい!
今さら物を用意できない以上、わたしは言葉の力を最大限に駆使して伝え続けた。
はじめは謙遜していたルシファーだが、わたしの力説に圧倒され、みるみる顔を赤らめていく。萎縮する姿から今にも煙が吹き出そう。
ガルさんも笑って、わたしの言葉に賛同した。
「君はすごく勇敢なんだね。今、いくつだい?」
「は、八歳、です」
「ずいぶんと大人びているね」
「いえ……それを言うなら、姫さ――じゃなくて、る、ルリ様のほうが……」
「ルリ、様?」
「あっ……る、ルリさんのほうが人として大きく感じます。俺とみっつしか変わらないのに、傷つくのをおそれず、逆境をばねに突き進んでいてとても尊敬しています。……お、俺も、あなたのように生きられたらと、考えてしまうほどに」
いつの間にか形勢逆転、わたしが褒められるターンになっている。
どうして自分の評価は低いのに、わたしのことは過大評価するのか。山での行動は生きるのに必死だったからなのだけれど。
逃げ回る以外でわたし何かしたかな。そこまで称えられるほどの何か……。
わたしのことをよく知る言い方に、ふと違和感を覚えた。
「ルシファーって、わたしのこと知ってるんですか?」
あぁ、そうだった、わたしはそれが聞きたかった。
「っ、え……? し、しし、知ってるといいますと……?」
「わたしと年齢がみっつ差とか、人として大きいとか、山でのことじゃなくてわたし自身について知ってそうな口ぶりだったから」
「あっ……い、いや、それは、えっと……お、俺、じ、実は見ただけで年齢を見抜ける特技を持ってまして!」
「ええ!? そうなの!? すごい!」
何かはぐらかされた気がしたけど……それはさておきすごい特技だ!
試しにガルさんの年齢を聞いてみれば、二十三とずばり言い当ててみせた。ほかのお客さんについても無礼を承知で聞き回り、見事全問正解。特技のレベルを超越している。
「というと……本当にわたしと三歳差? わたしは……五歳?」
「はい、そうですよ」
個人的な見立てではありますが、とすかさず付け足されたが、わたしにはさして重要なことではない。
仮でもいい。自分のプロフィールが埋まったことが、うれしくてたまらないのだ。
一緒に喜んでくれたガルさんは、つと何か思いつき、声音を弾ませる。
「そうだ、ルシファーくん! よければうちのパン、いくつかもらってってくれよ!」
「え!? わ、悪いですよ! 俺ちゃんと買います! そのために来たんですから!」
「いいんだ、いいんだ! ちょっと形が悪くて売り物にならなかったやつだから。お礼も兼ねて受け取ってくれ」
「で、ですが……」
「おいしいですよ、ガルさんのパン」
わたしのひと言で、ルシファーは折れた。
ガルさんは早速、裏の厨房で土産の準備をしに行く。
待っている間、わたしはレジの傍ら、ルシファーと話を続けた。
「ルシファーもデニッシュ買いに来たんですか?」
「いえ、昼食のため立ち寄っただけですが、ここのデニッシュは有名ですよね。俺も噂は聞いています」
「シンデレラ様が好きだったんですって。だからすごい人気で、お昼の分は秒で売り切れちゃいました。今度来るときはひとつとっておいてあげますね」
「いいんですか?」
「ルシファーにだけ特別!」
「あ……ありがとう、ございます」
「……いつまでもかしこまった話し方じゃなくてもいいですよ? わたし年下なのに」
「俺はこれに慣れてしまっているので。どうぞお気になさらず」
ルリさんもぜひ話しやすい言い方で、とお願いされ、わたしは渋々砕けた言葉遣いで話すことにした。
でもやっぱり、年上の子から敬語を使われる状況が奇妙に感じて、なんだかそわそわしてしまう。
敬語に慣れているって、職業病の一種なのかな。
あれ? でも彼は八歳。この国では職に就くのは、十五歳からだ。仕事でないなら、家族や学校の教育方針かな。わたしみたいに家のお手伝いをするなかでしみついたのかも。
前回、山で会ったのも、騎士である親の付き添いだった説に、一票! 果たして正解は!?
ルシファーに率直に訊ねてみると、
「あー、まあ、そのようなものですね」
なんとも曖昧な答えが返ってきた。
大正解とまではいかないが、当たらずも遠からずか。わたしの推理は、ルシファーのような年齢当て特技には遠く及ばないようだ。精進します。
「あの……腕はもう大丈夫ですか?」
ルシファーからも質問が来た。はじめ意図を汲み取れず、きょとんとしてしまう。
腕……?
あっ、右手首のこと!? 怪我してたこと覚えてたんだ!?
腫れが引いてきて、わたしでさえ忘れかけていたのに。それとも山での話題になって思い出させちゃったかな。
「このとおりほとんど治ってます!」
右手を突き出し、グーパーを繰り返しながら問題のないことを証明してみせる。肌は赤くも青くもなく、痕もなく、痛がる素振りもない。彼は愁眉を開いた。
しゃらん、と軽やかな音が降る。彼の視線は音のしたほうへ誘われた。そこには、ワルツを踊るように揺れる、パンプス風チャームのついたブレスレットが輝いている。
「そのブレスレット……」
「これ? かわいいよね!」
「……もらい物ですか?」
「たぶん……? わたしもね、なんで付けてるのかわからないんだ」
「わからない?」
「わたし、過去の記憶がないの。だからなーんにもわかんない!」
開き直るしかあるまい。
わからないものは、わからないのだ。
わたしもたぶん、これはプレゼントだとは思うけれど……。
五歳の子どもがこれほどしっかりした金品をお小遣いで買うとは考えにくい。
もらい物ならいったい誰から? どうして?
またわからないことが増えていく。
「ルシファーだったら、年齢以外にも何か見抜けたりするのかな?」
「えっと……」
「なーんてね! 冗談!」
無理を言って困らせてごめんね。
わたしのこと知っているわけじゃないんだもんね。
自分のことは自分で向き合っていかないと。今はまだ未解決な謎だらけだけれど、理解していきたい。
でも、ブレスレットを気に入っている気持ちは、本物だよ。
わたしの意識が目覚める前から身につけていた貴重な物。そういう意味では、わたしの宝物といっても過言ではない。
大事にしていきたい。これからも、ずっと。
「お待たせ、ルシファーくん! はい、これ! 持ってってくれ」
戻ってきたガルさんの手には、紙袋にパンパンに詰めこまれたパンの山があった。有無を言わさず手渡し、中に入っているパンの説明を端的にしていく。わたしも合いの手のようにこまめに感想を挟み入れた。
「ガルさんのパン、好きになったらまた来てね」
「いつでも待ってるよ!」
わたしたちが笑顔を向けると、つられてルシファーの表情もほころんでいった。
パンを食べたら、きっともっとやさしい顔になるだろうと想像したら、胸がいっぱいになった。




