開かれた手帳と、時を越えた真実
アルフレッド殿下が執務で部屋を空けていた、ある午後のことだった。
私の元へ、一通の小さな手紙が届けられた。
城の侍女を巧みにすり抜け、私の手元に渡されたその紙片には、懐かしくも胸を抉る文字が躍っていた。
『亡き母の遺品と、隠された最期の真実を渡す。今夜、単身で伯爵邸の裏門へ来なさい。来なければ、すべて燃やして処分する』
差出人の名はない。だが、それが義母やジュリアンたちの手による罠であることくらい、前世の記憶を持つ私には容易に想像がついた。
(行けば、殺される……)
頭ではわかっている。
けれど、幼い頃に私を遺して亡くなった実母の面影が、胸の奥を強く締め付けた。
母が私に遺そうとしてくれたもの。それを燃やされると思うと、手紙を握りしめる指先が震えた。
いっそ、このまま罠に飛び込んでしまおうか。
殿下に内緒で城を抜け出し、殺されるならそれもいい。
どうせ二度目の人生なのだ。
静かに消えたいと願っていた私にとって、それが幕引きになるのなら——。
投げやりな暗い情念に背中を押されるように、私はふらりと部屋を出た。
殿下に一言、別れの挨拶くらい残しておくべきだろうか。
そう思い立ち、普段は立ち入ることのない殿下の執務室のドアを静かに押し開けた。
静寂に包まれた部屋。
上質な木とインクの香りが漂う執務机の上に、ポツンと一冊の古びた革張りの手帳が残されていた。
普段なら他人の私物に触れることなどしない。
けれど、その手帳の表紙に刻まれた金箔の紋様が、どこか見覚えのあるものだったから——私は吸い寄せられるように、それを取り上げていた。
パラリ、とページが捲れる。
そこに綴られていたのは、冷徹な王太子の筆跡とは信じがたい、切々と溢れ出る狂おしいまでの思いだった。
『○月×日
今日も遠くから彼女の姿を見た。ジュリアンと並ぶ彼女の顔は一度もほころばない。あの男は彼女を愛していない。俺が今すぐ奪い去りたい。だが、俺が動けば彼女が公爵家と義母の毒牙に晒される。耐えろ。完璧な準備が整うまで、彼女に近づいてはならない』
『○月△日
彼女の誕生日に、名もなき贈り物を出した。届いただろうか。どうか、少しでも彼女の心が温まりますように。彼女の笑顔を守れるなら、俺の命などいくらでも差し出せる』
ページを捲る指が、激しく震え始める。
『○月□日
セレスティアが死んだ。
あの悪党どもが、彼女にお茶の毒を盛った。
なぜだ。なぜ俺は彼女を守れなかった。俺の愚かな警戒が、彼女を殺したのだ。
彼女の冷たくなった身体を抱きしめた。彼女は最後まで『自分は愛されていなかった』と思い込んで絶望して息絶えたという。
違う、違うんだセレスティア……! 俺はお前を、命をかけて愛していたんだ……!』
涙で滲んだ文字。紙面には、いくつもの古い水滴の痕が残されていた。
『×月×日
禁忌の魔導具『刻の時計』を使う。
魂が引き裂かれようと構わない。この命と魔力をすべて引き換えにして、時間を戻す。
今度こそ、二度目の人生では、絶対に彼女を離さない。俺のすべてを捧げて、彼女を愛し抜く』
手帳が、私の手からハラリとこぼれ落ちた。
「あ……ぁ……」
声にならない悲鳴が、喉の奥から漏れる。
違う。間違っていたのは、私だった。
「誰からも愛されていなかった」のではない。
「愛に気づかず、彼がすべてを賭けて巻き戻してくれた時間に、私は一人で閉じこもっていた」のだ。
アルフレッド殿下が、私を抱きしめる時に見せていた、あの切なさと狂気。
涙を流しながら「二度と離さない」と叫んだ、あの絶望。
すべては……私が前世で彼に残してしまった、あまりにも酷い傷跡だった。
「……セレスティア?」
背後で、重厚なドアが開く音がした。
振り返ると、そこには息を荒らし、私と床に落ちた手帳を見つめるアルフレッド殿下が立っていた。
彼の顔から、すっと血の気が引いていく。
「それは……見られた、のか……」
震える声で呟く殿下。
私は涙で視界が歪む中、はじめて自分自身の意志で、彼に向かって足を踏み出した。




