毒を食む鼠たちと、歪んだ窮鼠の罠
王城の離宮で過ごす毎日は、恐ろしいほどに穏やかだった。
ふかふかのベッド、極上の絹で立て立てられたドレス、私の好みをなぜか熟知している専属の侍女たち。そして、公務の合間を縫っては必ず姿を見せ、痛いほどの愛おしさを込めた瞳で私を見つめるアルフレッド殿下。
だが、甘やかな環境に身を置けば置くほど、私の心はどこか現実味を失っていく。
(どうして、こんなにも優しくしてくださるの……?)
窓辺に腰掛け、手元のお茶を見つめる。
前世で私を殺した毒も、こんな風に綺麗で、ほのかに甘い香りがしていた。
きっとこの幸福も、いつか呆気なく弾けて消える泡沫なのだ。
殿下が私に飽き、冷めた視線を向けるその時が来たら……私は静かに、この城から消えよう。
そう心に決めていた。
——しかし、私の外側で動く現実世界は、私の「静かに消えたい」という願いをあざ笑うかのように、醜く歪み始めていた。
◇
「……くそっ! なぜだ、なぜあの女に会うことすら叶わない!!」
伯爵邸の暗い一室で、ジュリアンは怒りに任せて壁を殴りつけた。
王太子アルフレッドの庇護下に入ってから二週間。
ジュリアンや義母がどれほど「婚約者として面会を求める」という文面を送ろうと、王城からは「セレスティア令嬢は療養中につき、何者との面会も認めない。異論がある場合は王太子が直接相手になろう」という、冷徹な一蹴が返ってくるだけだった。
「ジュリアン様、落ち着いて……っ。お顔が怖いわ」
異母妹のミレーヌが怯えたように寄り添うが、今のジュリアンにはそれを愛でる余裕すらない。
彼らの目論見は完全に狂っていた。
セレスティアを「病死」に見せかけて処分し、伯爵家の膨大な遺産と継承権を手に入れるはずだった計画。
だが、その肝心のセレスティアが王太子の手中にある以上、手出しができない。
それどころか、彼女の不在によって、義母が実母の遺留分を不正に横領していた口座の監査が入り始めていた。
「このままでは、伯爵家を乗っ取るどころか、俺の公爵家資金の横領まで明るみに出る……! あの女が『王太子の寵愛を受けた』などと社交界で噂になれば、俺たちの立場は終わりだ!」
ジュリアンが血走った目で叫ぶと、影から静かに歩み出してきた義母が、不敵で凶悪な笑みを浮かべた。
「焦ることはありませんわ、ジュリアン様。王太子殿下がどれほどあの娘を囲い込もうと……『令嬢本人が望んで戻ってきた』となれば、殿下とて引き留める大義名分を失います」
「本人が戻ってくる……? あいつが城を出るはずがないだろう!」
「ええ、ですから『出ざるを得ない状況』を作ればよろしいのです」
義母は扇子をすっと滑らせ、卓上に一枚の古びた羊皮紙を滑らせた。そこには、死んだ実母の筆跡を模した、精巧な偽りの遺書が記されていた。
「セレスティアは、亡き母親のこととなると途端に理性を失う愚か者です。『実母が残した最後の遺品と、隠された真実を渡す。今夜、単身で伯爵邸の裏門へ来なければ、遺品をすべて焼却する』……そう手紙を送れば、あの気弱で哀れな娘は、殿下に内緒で必ず一人で城を抜け出してきますわ」
「……なるほど。おびき寄せたところで、今度こそ完全に息の根を止めるわけか」
ジュリアンの顔に、狂気じみた冷酷な笑みが戻ってきた。
「事故死ではぬるい。王太子を騙し、王城を抜け出して男と密会しようとした淫乱な罪で、殺した後に死体を晒してやればいい。そうすれば、殿下もあの女に裏切られたと知り、手を引くはずだ」
「ふふ、素敵ですわジュリアン様。お姉様には、お似合いの惨めな最期ですこと」
ミレーヌが甘い声を上げ、ジュリアンに抱きつく。
王太子の執着と、その裏にある深い愛を何一つ知らない鼠たちは、自らが地獄の罠へ踏み込んでいることすら気づかずに、最後の毒牙を研いでいた。




