099 護衛依頼60
何者かがスピード感のある速度で、草ムラをかき分けてくる音がする。それは待ち受ける者たちが想像する速度をはるかに超えて、近づいて来ている。
そして、
草ムラから飛び出す巨大な影。
あの猛獣だ。
猛獣は飛び出して兵士たちを認めると、その場で立ち止まる。
その体は相変わらずの発達した筋肉がおおってはいるものの、全体的にホコリや草葉、または血で汚れていて、特に左前脚付け根の辺りに深そうなキズが目立つ。
ただ体はキズついていても恨みのこもった眼光は健在で、目の前で待ち構える者たちの心を強く圧迫する。
口には1本は半ばから折られてはいるが、1カミで2~3人は貫きそうな殺意を持ったキバを口からはみ出させ、その気はなくても威圧感を誇示している。
前に並ぶ者たちはそれだけで逃げ出したくなるが、後に並んだ武器を持った兵士たちの存在がそれを許さない。
そして突然……
GRROOOOOOOOOOOAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!(グルオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!)
猛獣はウナリ声をあげる。
それはヒューマロイたちが、そしてギハスロイたちが聞いてきた中で、1番大きなウナリ声だ。
そして今まで聞いてきた中で1番長く、長い咆哮だ。
大きな体を最大限に反らし、首を天空へと向け、口を反り返るほどに開き、目を見開いて、あらん限りの怒りを咆哮として解き放つ。
大地が揺らぎ、空が振動する、そんな気さえしてくる咆哮だ。
もしかするとその咆哮は、声の届きにくい誰かに届けるための咆哮だったのかもしれない。
咆哮を出し切った猛獣が、顔を正面に降ろす。高い位置にある猛獣の視界には、目の前にはデカいヘビを載せた荷車に沿って、有象無象の小さき生き物たちが並ぶ。
ギハスロイの女マリピスは尻もちをつき、その背中に手をそえていた形で男のメレプスはかがむ。
その左には神殿教の新信徒ガナリが神に祈ることさえ忘れ、立ちつくす。そのカタワラに立つ神官ヴェイザは祈りの手を強く握り締めて空を仰ぎ、唇を小さく動かして何かをつぶやいている。
後ろにいるハダリー隊のメンバーはボゴタ、マレ、ブーバー、ベーヤだ。左端のボゴタは驚いてオノの後ろで身をすくめ、隣のマレは手にした剣を強く握り締め、その後ろにブーバーが体を隠し、右端のベーヤは右足を下げて半身になる。
猛獣がまず目をつけたのは、ギハスロイの女――尻もちをついているマリピス――とそれに寄りそう男のギハスロイ――メレプス――だ。
猛獣は琥珀の目で見下ろすように彼らに固定して、距離をはかるように横に移動する。
対するギハスロイの2人は、武器も盾もない。それでもメレプスはマリピスをかばうように、彼女の前に出る。
「私のこと……カマわないで!」
「……黙ってろ」
ギハスロイたちと猛獣の距離は、猛獣にとっては1飛びに過ぎない。今にも猛獣が、その距離を飛び越えて来そうだ。
そんな時……
「ぅおおおぉ!」
サンゴ色の髪の少女が間に入って来る。
アイネだ。
彼女は荷車の上から飛び降りながらハダリー隊を抜け、奴隷や盗賊たちの前へと向かおうとしたものの、猛獣の咆哮で一瞬ひるみ、たった今回復して到着したのだ。
彼女はサケびながら猛獣とギハスロイたちの間に入り、猛獣へと剣を向けながら向き直る。それは他の兵士たちが持つ剣より長く、そして幅広の両手剣だ。本来なら重く扱いづらいその両手剣を、彼女はホウキでも扱うかのように軽い感じでその両手剣を扱う。
そして彼女が、弾んだ呼吸を整えながら言う。
「……間に合った……」
猛獣は注目の対象を、ギハスロイからこのヒューマロイに変えたようだ。琥珀に浮かぶ穴が、彼女をとらえる。
【カンパ】
猛獣の襲撃に間に合わず、それでも母親に子供を合わせてやりたくて、どうしようもなくて、泣きたくなるような気持ちになったときにたどり着いた感触。
肉を押し分けて、手を差し込んだ先。そこにあったのは、今まで切り開いてきた筋繊維とは違う感触のモノ。
……これは……
それは薄くツルツルとしていて、弾力があり、膜のようなモノ。
……この中に……いるのか?
血にまみれた手で膜を押してみると、向こう側に物体を感じる。戦いと襲撃に明け暮れた末に、訪れた夜明け。そんな感触だ。
「……いたっ……」
オレは思わず、声に出していた。
「いたっ!」
オレは思わずもう1度、声に出していた。ハダリー隊長が聞いてくる。
「……いた……のか? ……本当に?」
おとぎ話に出てくる宝を見つけた、と聞いたときのようなリアクションだ。
しかし冷静になって考えてみれば、ここで手放しでヨロコンでいいのか? だって、これ、生きてるとは限らないだろ?
死んでいたら……どうすんだ?
……どんな……
……どんな顔をして渡せばいいんだ?
そんなことを考えながらも、手で膜をつまみ、ナイフで切れ目を入れる。膜の切れ目に両手を突っ込んで右に左に開き、裂け目を広げる。
母親は……どうなんだ?
そんな子供の姿、みたいのか?
そんなこと……
ほとんど母上がいなかったオレに…………
わかるわけねーだろっ!
ドンドンと怒りがこみ上げてくるが、猛獣の子供の取り出し作業を続ける。デカヘビの横っ腹にくり抜いた穴の中は狭く暗く、そこにどれほど愛くるしい子供が隠れているのかわからない。なので手を突っ込んで、探る。
同時に、思考は巡る。
それなら……
それなら……オレの母上なら……
……
幼かったオレが死んだとして……その死体を母上が見たとしたら……
……
……この上ない優しい眼差しの顔が……
悲痛と苦痛にゆがんでいき……
ダメだ……
そんなのヒドすぎて……考えられない……
……それなのに
……オレはこれから、何をしようとしてるんだ?




