008 土蜘蛛
カンパやアイネは、穏やかな日だまりの中、
「土蜘蛛だーーー!」
誰かがサケぶのを聞く。
それはフツウではない、誰かの命がかかっているようなサケびだ。
その時、黒く大きなカタマリが草むらから飛び出し、男の奴隷が連なる列にぶつかって行く。
この時の奴隷たちの状況はといえば、両手を縄で縛られ、縄の先は前にいる奴隷の股下を通って首の周りで輪となっている。つまり自分の首にある縄は自分の股下を通って、後ろの者の両手を縛っている。そして両足首同士は歩けるけれど、走れないぐらいの長さで結ばれている。
そうやって縄でつながれた奴隷たちの列に、質量のあるカタマリが突っ込むとどうなるか?
それが今まさに起こる。
草ムラから飛び出して来た巨大な蜘蛛が、奴隷の1人にカミつきながら体当たりしていく。
蜘蛛の高さは大人より高く、体の大きさは荷物を満載した荷車のより大きい。蜘蛛のアゴの下からは、ドボドボと赤黒い液体がシタタり落ちている。それはもちろん、カミつかれた奴隷の血だ。
そんな巨体の蜘蛛の体当たりによって、奴隷たちを結ぶ縄は4~5歩程、蜘蛛が現れた草ムラとは反対側の草むらへと一瞬で引っ張られていく。縄は強大な力で引っ張られたことにより、コキザミにフルえる程テンションがかかっている。
とても強い力で一瞬で引っ張られたことによって起こること。
カミつかれた奴隷より前にいる奴隷は、首を前下に引っ張られ、両手首は前にいる奴隷重さに引っ張られる。つまり蜘蛛の体当たりで股下の縄が首を急激に引っ張り、両手は前に残される。
逆にカミつかれた奴隷より後ろの奴隷は、両手を蜘蛛に引っ張られ、首を後ろの奴隷の重さに引っ張られる。
その結果、列の前後4~5人ほどは縄を引っ張られたことによって頚椎を圧迫、または損傷することによって気絶、または絶命してしまう。
そしてそれより外側の奴隷たちについては、最初の犠牲者たちによって稼がれた縄の長さの有余によって、軽症ですんだようだ。が、それでもまだ首を大なり小なり絞められ続けている。
蜘蛛はまだ止まることなく、奴隷たちはズルズルと引きずっていく。食らいついたエモノが、まだ自由にならないからだ。そのエモノから前後10人程が限界まで引っ張られたところで、重くなったためか蜘蛛の毛羽立った多脚はようやく止まる。
蜘蛛は飛び出してきた草むらから、道を挟んで反対側の草むらの中へと入り込んでいる。
蜘蛛は一瞬止まったものの、食らいついている重くなったエモノを引っ張りながら、体を反転しだす。腫れた象牙みたいにバカでかくて、鈍く赤黒い光沢のあるキバが食い込んでいたので、そこにハサまれた死骸は、骨が折れる音や筋が切れる音を出しながらネジれ伸びていく。
反転した蜘蛛の顔にある無数の目に映るのは、左右に伸びた縄につながれたままの奴隷たちであり、恐々と伺いながら集まる護衛や兵士たちであり、肩に担いだ両手剣をおろしながら笑顔で一番前にでてくる男である。
蜘蛛の突撃を受けたのは男性の奴隷の列で、女性側の列は短く後ろ側にあったため、被害はでていない。
アイネたちのいる場所からは、人々や道の両側に茂る葦がジャマしていて、何が起こっているのか詳細を知ることはできない。ただ、蜘蛛のバケモノが暴れまわっているということはわかる。
そんな時、
「嬢ちゃん、右だっ!」
短く鋭く警告する声が発せられる。
【アイネ】
その声はギハスロイ……
それも出発前に助けたギハスロイであるメディプスの声……
そう思いながらも、顔を右に向けていく。
視界は、左右をそりたつ草の道、
その前の方で混乱する人々から並び立つ草が流れていき
そしてその草ムラの中にある異物をとらえる。
それは草を透かして浮かぶ……
左右対称になった……
複数の黒く輝く大小の球体の表面。
固まる思考……
それでも頭の中に浮かぶ、その正体……
クモ?
それも別なヤツ……
驚いて固まっているボクの表情が、それらにいくつも映し出されていて、振り向いた反動に、静かに揺れる。
それは夜を映す水たまりのような、黒い目だ。
ボクの体の幅くらいはある頭に、その目はいくつもハりついていて、固まった僕をその数の分だけ映し出している。後ろには頭に比べて大きすぎる体が控えていて、そのデカい体を十分に支えることができそうな太い足が、体から左右にいくつも生えている。
コイツはずっと、草の陰に潜んでいたんだ。
非現実的なモノにとらわれたボクが何もできないままでいる内に、そいつの巨体が静かに沈み込んでいく。
それを見て、ボクは何をしているのかわからない。
でもすぐ、わかってしまう。
ヒューマロイと一緒だ。
ヒューマロイも、飛ぶ前は体を低くする……
蜘蛛の体は、まだまだ低くなっていく。
だけれど……わかったからといって、適切な行動を取れるというわけではない。
特に、あまりの恐怖に晒されたときには……
蜘蛛の沈み込みが止まる。
それの意味するところは、飛ぶ準備ができたということ。自分が息を飲み込む音が、他人ごとのように聞こえた。
「伏せろ!」
それは聞き覚えのある、頼もしい声……
ギハスロイのメディプスのもの……。
でもヒューマロイは、
適切な助言が、
適切なタイミングであったとしても、
その通りに動けるとは限らない。
その時、目の前の巨体が、飛ぶ。
飛んで、くる。
そして、僕の視界が、急激にゆれる……
【カンパ】
悲鳴を上げる女奴隷たちの様子を見て、蜘蛛か何かがまた現れたことがわかる。
オレは剣を抜きながら走りだす。
が、最初の蜘蛛に向かっていたため、まだ距離がある。敵の位置は彼女たちの視線の先。
そこには……あの“女”がいる!
あの、力も何もないくせに弱者を守ろうとして、
ジャンターブとかいう男に歯向かった
バカなあいつが……
自然と地面をける足に、力が入る。
オレを見て、列の奴隷たちが驚いて避けていく。前後の混乱で動揺している中、必死な顔で剣を持って走っているやつがいたら、そうなるか。
でも今は、そんなことより……
まにっあえっ!
口には出さないが、そんな思いがこみあげてくる。
らしくない……
まったく、オレらしくない……
何で他人のために、必死にならなきゃならない? どうせ死ぬのは奴隷だろ?
だけど……
あの瞳が……浮かんで来る。
ギハスロイなんかのためにジャンターブを止めにかかったときの、あいつの目つきが……。




