036 休暇05
祈りを終えたカンパとアイネがヴェイザに別れを告げて神殿を出ると、声をかけてくる者がいる。
「おや! おやおやおや!」
それはカンパ、そしてアイネにとって、結婚式の会場になだれ込んでくる葬儀参列者たち、ぐらいに意外な人物だ。
「こんなところであなた方に再会できるなんて、これはどんな運命でしょうか!」
それは奴隷商人ヴォネラムであり、その後ろに控えるのは護衛のジャンタープだ。2人は明らかに、カンパとアイネが出てきた建物に向かって歩いてきていた。
アイネがその存在を認識したとき、両手を胸のあたりで握りしめ、とっさに体を固くする。
それを知ってか知らずか、アイネの前に出る小さな人物。カンパだ。
彼が言う。
「なんでオマエがここにいる?」
「おや? 私がここにいてはいけないのですか? 私はこう見えて、信心深い奴隷商人で、忙しい仕事の合間にひとときの祈りを捧げに来てるだけなのかもしれませんよ」
「アンタが信仰するのは、神じゃなくて金だろう」
「おやおや、これは手厳しい。こんな私でも、まったく信仰心がないというわけではないのですが……。まあ、確かに今回ここに来たのは、祈りのためというわけではございませんが」
「じゃあ、何のためだ?」
ジャンタープがヴォネラムの前に割って入る。
「そこをどけ、ガキ。ヴォネラムの旦那のジャマすんな。俺は待たされるのが嫌いなんだよ」
気だるそうな低い声でジャンタープがそう言いながら、背中の両手剣に手を伸ばす。
カンパも身構えて、左手で剣の位置を確かめる。
「ジャンタープ、止めなさい」
止めたのはヴォネラムだ。制止した声は厳しいものであったが、その顔には笑みが浮かんでいた。
「……あなたに理由を説明しなければならない道理はないと思いますが……。そんなに怒るということは神官の誰かに、何か特別な感情でもあるのでしょうか?」
奴隷商人の言葉に、カンパの表情が険しくなるのをアイネは見る。
「その表情、私の推察もあながち間違っていないようですね。大事な人がいる場所に、奴隷を商うイヤしい商人がきたら、それは身構えもしますか……。よろしい。まぁ、いいでしょう。私がここにきた理由を、特別に教えて差し上げましょう!」
奴隷商人はそう言って、カンパを正面から見る。ヴォネラムの顔に刻まれた笑みが、一層深くなる。
「とは言うものの、タイソウな理由ではありませんよ。ただの旧知の仲の人がいる、ということにすぎません。それだけです。これでご満足、いただけましたか?」
「……満足、しないな。なんだって神殿教の神官がお前みたいな奴隷商人と知り合わなくちゃならないんだ!」
「旦那、このままじゃラチがあかねえ。こいつぶった切ってやろうか?」
ジャンタープが間に入ろうとする。ヴォネラムはそれを、手で制して言う。
「そうですか、満足いただけませんか。このままあなたと押し問答していても、何も生み出さない。時間を浪費するだけで、はっきり言って損失です。私は損することが、心底嫌いなんですよ。……まぁ、いいでしょう。ここは引き下がりましょう」
ジャンタープが意外な顔をして、ヴォネラムを見る。カンパの陰にいたアイネも、後ろからのぞき見る。カンパだけが変わらず、まっすぐに奴隷商を見返している。
そんなカンパに、ヴォネラムが言う。
「しかし、お忘れなく。私はウガ国国王が贔屓する商人だということを。あなた方に不幸なことが訪れなければいいですがね」
ヴォネラムは、「ではっ」と言って後ろを向き立ち去っていく。ジャンタープは何も言わずに、その後に続く。
奴隷商人たちの姿が見えなくなってから、アイネが言う。
「カンパ、大丈夫? アイツら……」
カンパはまだ、彼らが消えていった方に顔を向けたまま答える。
「大丈夫だ」
「でも『不幸なこと』とか言ってたよ?」
「……大丈夫だ!」
カンパが言い切ったので、アイネは言葉をつまらせる。ただ彼女の瞳は、不安にゆれている。
その時2人の後ろで、不意に扉が開く音がする。2人のちょうど後ろにある扉は、世界中を探してもあの神殿の扉しかない。
少し開いた扉から顔をのぞかせたのは、神官のヴェイザだ。顔を傾ける動作で、肩にかかった長い銀髪が流れ落ちる。
「どうしたんですか?」
カンパがすぐに、ぶっきらぼうに答える。アイネが何か言うヒマもなく。
「なんでもない」
「何もないならいいんですが……」
「ちょっとカンパ……」
アイネが何か言おうとするを、顔の前に手を上げて止める。
「奴隷商人の知り合いはいるのか?」
「奴隷商人?」
アイネは、ヴェイザのきれいに整ったクチビルから、そのような単語が発せられたことで、少し残念な気持ちになる。
「エユィドナ国からきた、奴隷を売り買いする商人の男を知っているのか、と聞いている」
カンパの声には、はぐらかしを許さない強制が込められていた。
ヴェイザはアゴに指を当てて、記憶をあさっている素振りをしたあとに言う。
「知らないわ」
「……なら、いい」
神殿を離れてからしばらくの間、カンパはしゃべらないで歩く。
アイネもカンパがそんな状態だったから何も話さずに、彼の後を黙ってついて歩く。
南下して宮殿の壁が見えてきた頃、アイネがついに話しかける。
「カンパ」
話しかけられた少年は反射的に振り向こうとして、直前でそれを止めて言う。
「ナンだ?」
まだ不機嫌……。
そう思いながらアイネは言ってみる。
「また市場で食べるもの買いたいな……」
カンパがついに振り返って言う。
「まだ食うのかよっ!」
「おごるよ?」
「……しょうがねーな。……でも、時間がねーから急ぎでな」
そんなわけで2人は宮殿の脇を素通りし、さらに南下して市場の食料品が並ぶ広場の1角にある飲食店の、丸太に腰掛けている。
辺りには仕事終わりの男たちが多く、食事や飲み物を買ったり、食べたりしている。
カンパはツボのようなカマドで焼いた平パンに羊肉をハサんだものと、葦の刺さった壺を持っている。アイネは甘く長細い果物を揚げたものと、ヤシの実の上部をカットしただけの飲み物を抱えている。
アイネがカンパに、昨日あったことを話している。
「……それでさ、自分の部屋に帰ったらこのドレスが置いてあったんだよね。カンパは何か知らない?」
カンパは平パンごとあふれでた肉にかぶりつき、ソシャクしながらこたえる。
「ふぁっ? ふぁんでホレが、ふぉんなこと知ってるんふぁよ」
口にモノを入れた状態でシャベるのでそれはかなり聞き取りにくかったか、アイネにはわかったようだ。
「……そうだよね」
そう言ってアイネは薄い衣に包まれた果物をカミ、両手でヤシの実を持ち上げて傾ける。口の中で油とさわやかな甘味が混ざり合う。アイネはヤシの実の器に慣れていないので、液体が少し口の端からこぼれて細いアゴを伝う。アイネはドレスの袖でそれをぬぐいながら言う。
「おいしいっ!」
「ああ、うまいな。特に人の金で食えるとな」
カンパはそう言いながら、追加料金で大盛りにしてもらった肉にかぶりつく。ソシャクしてから、飲み物を入れたツボの縁をつかんで持ち上げ、葦のストローで吸い上げる。
カンパの様子を不思議そうに見ていたアイネが聞いた。
「それはなに?」
カンパが口にまだ残っている状態のまま答えた。
「酒だよ。大麦の」
「なんでそんな風に飲んでんの?」
「麦のカスが入っているからだ」
西の地平から昇ってきた“夜”は、すでに天頂までの半分を過ぎている。
カンパは平パンの残りを口に押し込みながら
「そろそろ戻らないとな」
と言う。揚げた果物を食べたアイネは、飲み干したヤシの実の中の固形物を切片ですくい取り
「へっ! もう行くの?」
と言って口にしっかり入れ込む。
「あんまり時間がない、って言ったろ」
そう言いながら、カンパは辺りに目をやる。
周囲は未だに大勢の人が行き交い、活気にあふれている。そしてカンパはその行き交う人々の間に、見知った顔があることに気づく。
その見知った顔は、カンパが会いたくない人物、ゴドリー隊隊長のゴドリーのものだ。




