129 遠征まで22
「私の名はハンクィ……」
カンパの黒髪をナでながら、あの女性はそう言った。
そしてカンパが、その女性の名前が王女と同じであること、そしてその部屋の位置からもあの女性が王女そのものであることに気づいたのは、その部屋を辞して、フシギな高揚感に包まれながら廊下を歩いている時だ。
カンパは手の中にある、シルバー色の札を見る。
「私があなたを呼んだ時は、これを持って来なさい。近衛兵士たちが通してくれるわ」
そう言ってあの女性――ハンクィ王女はカンパに、その札を手渡してくれた。
カンパは王宮の通路を歩きながら、手にした札を見て思う。
【カンパ】
これで、宮廷に入ってこれるのか?
そもそも……オレは、またあの女性に会いたいのか?
……そう言ってしまうと、会いたい……
……
……なんなのだろう?
あの女性に感じるこの感覚は……
……とてもナツかしいく、温かくなるような……
……そしてナツかしいはずなのに、つい最近感じた気がする。これは……そう、『空と水の庭園』を見て思い出した感覚だ。
……オレはまだ幼くて……
……母上が手をつないでいてくれた……
なんでだ?
なんで母上の姿があの女性に重なるんだ?!
……そしてオレは……
……あの女性……ハンクィ王女に何を求める?
【】
アイネは、通路を歩いている。大いなる悩みを抱きながら。つい今しがた、ナルガ王子によって持たされた悩みだ。
【アイネ】
ナルガ王子は、ボクのことを愛している……らしい。
ほんとーに?
わからない。
そしてボクは…………ナルガ王子を、愛している?
ほんとーに?
ナルガ王子はボクの全てなの?
それもわからない。
……
そもそもボクはナルガ王子を、愛していいの?
ボクなんかが……。
……それすらも、わからない。
【】
アイネが頭の中で疑問たちを回しながら通路を歩いていると、向こう側から見知った黒髪が歩いてくるのが目に入る。
phew!(ほっ)
アイネの口からこぼれるため息には、悩みのないヤツを見たことによる落胆と安心するような気持ちが半分ずつ含まれている。
「カンパ」
アイネが呼びかけると、彼は何だか思いつめたような顔をようやく上げる。でもそれだけ。
「カンパ、まだいたの? 何してたの?」
アイネの問いかけに対して、
「……あぁ……」
と溶けかけのチーズみたいに柔らかい返事が、力なくはみ出てくるだけ。
「……どうしたのカンパ? なんかヘンだよ」
「……あぁ……」
「えっ? いったいどうしちゃったのカンパ!?」
「なんということでしょう! あのアイネ様が男の子を部屋に連れ込んだ!?」
そう言うのはアイネの侍女、フェマである。
「ややこしい言い方しないでっ! それよりお茶か何か持って来てよ」
結局、カンパが心配になったアイネは、すぐソバにあった自分の部屋で彼を休ませている。
しかし侍女のフェマが出ていってアイネと2人だけになると、気まずい色の花が次々と咲き出す。
アイネは心配そうに、クッションソファーに座らせられたカンパを見ている。カンパはそんな空気を断つように、口を開く。
「……オマエ……こんなトコに住んでんのか……」
「そうだよ。……それよりどうしちゃったの? マトモに返事もできなかったよ、さっき」
「……あぁ……ちょっと王女に呼ばれて、な……」
それでもアイネは、カンパを真っ直ぐに見ている。
「……だから緊張して、ちょっと疲れただけだ……」
「それだけならいいけど……何かされたのかと思っちゃった」
「……あぁ……ダイジョアブだ。……何もされていない……」
そう言いながらカンパは立ち上がり、
「そろそろ行かないと」
と部屋を出て行こうとする。心配そうな少女の顔が、少年に張りつく。
「ホントにダイジョウブ? まだ休んでていいよ」
部屋を出ようとするカンパは振り返り、こたえるかわりに言う。
「……同じ6人隊のヨシミだ。教えてやる。オマエ、あの女性……ハンクィ王女のウラミを買っていないか?」
「えっ? なんで?」
「心当たりないのかよ。……まぁ、いい。とにかく王女に気をつけとけよ」
カンパはそれだけ言うと、足早に帰って行く。すれ違うフェマが、
「あっ、ウツギ茶……」
カンパは後ろ手に、
「飲んでいいぞ」
と言って去って行く。去りながらカンパは思う。
あんな忠告、言うツモリはなかったのに……
残さたアイネとその侍女は、その少年の後ろ姿を見送る。遠ざかる少年の背中に、アイネが言う。
「せっかく人が心配してあげてたのに言うだけ言ってさっさと帰るなんて、なんなのアイツ……」
「結局なんだったんでしょうかねぇ……」
「さあ? ……ただハンクィ王女に気をつけろ、とかなんとか……」
しばらくの停止の後、侍女フェマは急に、アイネの方に驚いた顔を向けて言う。
「それ大事なとこっ!!」
“民の広場”にはマスマス人が増え、ある種のケンソウと混乱、そして人々がゴッタ返しながらウゴメいている。5~6歩、あるいは7、8歩、歩くにしても、誰かの荷物や装備、あるいは誰かを踏んづけるか、ぶつからなければならないほどだ。
ブグロは生まれてからこのかた、王国にこれほどの人がいるとは想像さえもしたことはない。
“夜”はすでに西の空の半ばをすぎた所まで登ってきている。そしてそんな時刻にもかかわらず、いまだに到着して来る兵士たちもいる。
そしてそんな彼がやることといえば、先に到着した他の兵士と変わらない。すなわち簡素な説明を受けて、装備を受け取り、食事をする。
ブグロがそんな様子を見ているとレクセイ隊長が来て、隣に腰かける。
「どうだ? 疲れただろ?」
聞かれたブグロは、相手を見て言う。
「まあまあ、疲れました」
「強がりを言うな。お前は訓練であれだけガムシャラに頑張っていたんだ。疲れていないわけがない」
レクセイ率いる6人隊は王都に到着して以来、毎日欠かさず剣の訓練をしていた。それも実戦の緊張感をだすために、真剣による訓練を、だ。そしてブグロはその訓練で、率先して先輩兵士に手合わせをしていたのだ。
レクセイが続けて言う。
「お前が頑張っているのはいい。しかし少しムリをしている。兵士の生活は、大変なことも多い。ムリをしていると、その内やっていけなくなるぞ」
ブグロは、また新しくこの広場にたどり着いた兵士たちをながめながら言う。
「オレは大丈夫ですよ」
レクセイ隊長も他の兵士たちをながめながら言う。
「お前がそこまで根をつめる理由はなんだ?」
聞かれたブグロだが、
「それは……」
こたえようとして、うまく言えない。かわりにレクセイが続ける。
「あの村の事件か……」
それでもブグロは、何も言わない。むしろ、言うことができない。
『あの村の事件』
あの盗賊の襲撃があった村で、その村人と助けに来た兵士との共通認識する事件は他にない。
「……関係……ありません……」
レクセイ隊長はブグロを目の端で見て言う。
「……そうか……」
彼らの向いている先で、新しく到着した兵士たちが教育をしている。
「……いいか、お前たち! もう逃げようなんて思うなよ! ついて早々だが、明日は遠征だ。今日は飯を食って寝ろ! 街にくり出して酒飲んでハシャいでたら、明日の行軍で……」
その声はこの広場の、いたるところでコダマする。




