112 遠征まで05
王都の人々が1日2食の内、2度目の食事を食べて終えてくつろいでいる頃、それはすなわち“夜”が間もなく天頂に留まる“昼”にかかろうかという頃のことである。
アイネは、とある部屋にいる。
その部屋は幅20歩、奥行き15歩の広さで、その部屋の床をほとんど覆うように敷物がひかれている。それは鮮やかな青地に金で葉や茎、赤で花の刺しゅうが施された毛の長い敷物だ。
右奥にはターコイズの支柱に支えられた天蓋の下にクッションを敷き詰めたベッド、左手のスペースにはさらに別な敷物とクッション群のエリアがある。そしてそんな敷物たちと遜色ないくらいに確かな存在として、甘い香がたかれている。最初はもっと甘いものだったが、アイネが何度か抗議したことで少しずつ甘さが抑えられていった。
アイネは上下が1つになったスカート状の服、いわゆるワンピースのようなものを着ている。
胸元から上がレースで、それ以外はなめらかな手触りの余った生地がドレープ状に波打っており、下は短く膝の上までの丈しかない。短い袖も、かわいく波うつ。全体が淡い青で、アイネの淡いピンクの髪が、その服の上で映えている。
この服の送り主は、きっと着る人のことをよく考えて選んだに違いない。
この部屋は王都は王宮の、アイネに割り当てられた部屋だ。そして彼女は部屋の入り口辺りに立って、彼女の所有者が訪れるのを待っている。
そんな彼女が思い出しているのは、侍女のフェマが教えてくれたアドバイス。
『ただ、身も心も任せればいいのです』
それに対するアイネの感想は、
……なんの参考にもならない……
という程度のモノでしかない。とりあえず今の彼女にできることは、ただ待つことのみだ。
そして、誰も“夜”の動きを止められないように、その時は訪れる。
アイネのサンゴ色の髪に隠れた耳は、廊下の先から聞こえてくる話し声をとらえる。そして足音や衣服がすれる音を。
廊下の片側は中庭ではあるものの、焼きレンガの壁は弾力のあるボールをはじくように声を運んでくる。
「……はい、“探求する熊”はワシの師匠で間違いないかと」
「それならばどうする? 探しに行くか?」
1つは道化のコスキンの声で、もう1つはアイネの所有者であるバルガ王の声だ。
「いえ、その必要はありません。我が師が痕跡を残すような人物ではありませんし、まだその辺りにいる保証はありませんゆえ」
会話は近づいてきて、部屋の前にたどり着く前には終わる。
「ではごゆるりと」
「うむ」
フェマともう1人の侍女が、部屋の仕切り布を開ける。
アイネは言われていた通りに頭を下げていたので、初めはその人物の足元しか見えない。男の足に、丁寧な造りのサンダルをはいている。
「面を上げ」
アイネは顔を上げる。そうすることで目の前の人物の姿が、視界に入ってくる。
王は金でフチ取られた深緑の服を着ていて、紫色の布を右肩から斜めに体に巻きつけている。
王はそのまま、立っている。なのでアイネも不思議そうに立っているしかない。
そう思っているアイネの耳に、かすかな小声が聞こえてくる。
「……アイネさまぁ……ご挨拶を……」
フェマの声だ。背丈のあるバルガ王の後ろ、部屋の入り口の垂れ布のスキマから、フェマが顔をのぞかせている。その表情は、『お教えしましたよね? お願いしますよ!』と言っているかのようだ。
アイネは思い出して
「あっ」
と言うと、フェマの表情は『「あっ」じゃないのよ……「あっ」じゃ……』というものに変わったが、アイネは気付かずに“ご挨拶”を始める。
「……あ……あなたのシモベの……アイネ、にございます。ほ、本日はお越しいただき……あ、ありがとう……ございます。さ、ささやかながら、酒とサカナをご用意しましたので、くつ……おくつろぎなさっ……ください」
アイネは短い時間で教え込まれた口上を、思い出し思い出ししながら、なれない丁寧な言葉に気をつけながら、なんとか言い切る。入口の垂れ布の裏で、フェマは手で目をおおっている。教え子の出来が良くて感動している、というわけではなさそうだ。
ただ挨拶を受けたバルガ王は気にするわけでもなく、
「うむ」
と言って室内に入ってくる。と、“ご挨拶”を言い切ったことに満足していたアイネは次にすべきことを遅らせばながら思い出し、「こ、こちらへどうぞ」と言いながら敷物の引かれたクッションの群へと案内する。ただしその動きは、ナメラカとは言い難い。子供が遊んでいる、木材で作られた人形のような動きだ。
王が敷物の上にアグラをかいて座り、クッションに寄りかかったのを見るとアイネは
「し、し、しつれい、します」
と言いながら、敷物の上に座る。ギコチない動きで。そして王に杯を渡し酒を注ごうとすると、王が言う。
「そんなに固くなる必要はないぞ。普段通りにすればよい」
入り口の外のフェマは『「普段通り」でいいわけがありません!』という表情になるが、アイネの表情は
えっ、「普段通り」でいいんだー
になる。その結果もたらされたものといえば、アイネは力を抜いてナメラカに酒を注ぐ、という成果だ。
いつも通りでいい……ってことは、たとえば……アイツといるみたいに?
そうアイネが思い描くのは、黒い髪の、ナマイキな顔をした少年の姿。思わず口元が、ニヤけてしまいそうになる。実際、ちょっとしている。
『なんでニヤけるっ!』と表情で語るフェマを気にすることもなく、酒を注ぎ終わったアイネを見て王が言う。
「……やはり……似ておる……」
アイネの顔の造形や髪色は、王バルガに、王になる前にあこがれていた人物の面影を呼び起こさせる。
白い鎧、クセでウェーブのかかった淡いピンクの髪。純心で、まっすぐで、そして時に弱く……
「誰に似てんの?……ですか?……」
そしてその、まっすぐに相手を見つめる瞳……
聞いたのはアイネだ。ただバルガ王は、その質問の仕方にさえ、あの人の面影を重ねてしまう。その面影に気取られていたためか、言うつもりはなかった言葉がこぼれてしまう。
「……救世の英雄……」
「サイネヴィ?」
王は目を見張る。砕けてしまった粘土板の破片が、元の形にピッタリはまる。そんか感じで、心に欠けていた何かがはまった気がしたからだ。
しかし王の前に座る少女が突然、手を合わせながら身を乗り出す。
「うれしいな! ボク、大好きなんだ、サイネヴィ!」
王が聞く。
「お前の生まれは……」
「神殿教国だよ……です……」
「お前の……」
この質問は、色々なモノの核心に触れる質問だ。バクゼンとそう感じながら、バルガは言葉を続ける。
「……母親の名は……なんと言う?」




