109 遠征まで02
王都内は、ある場所。
とある、建物の中。
ここでも誰かが報告をしている。
「……はい、彼女の可能性があります……」
しかしその対象となる者がいない。代わりに報告者たるその女性の前には、いびつな形(真ん中に長い円柱の形、左右にそれよりは短い円柱が並ぶ)のシンボルが祭られた祭壇があるだけだ。
そこに祭られているのは、神殿教で神体とされているモノ。そう、ここは酒屋でも加治屋でもない。ウガ王国は王都にある、神殿教の神殿なのだ。
「……はい……同僚に『神殿教国の神殿を抜け出した』などと、話していました……」
神殿内はまるで、ここ2~3年はヒューマロイなど誰もいないかったかのように、静けさに満ちている。先ほどから話している彼女の声も、まるで反逆者同士のナイショ話かのように小さい。
「お待ちください、人が……」
女性がそう言うと完全なる静寂が、思い出されたかのように訪れる。しかしそれはすぐに薄く切り裂かれることになる。
Creeeak
神殿の入り口の扉が開く音だ。入ってきた男に、女性が振り向き、立ち上がりながら話しかける。彼女の衣服のスソが、音もなく舞う。
「ガナリさん、ずいぶん早いお帰りで。大麦は買えたのですか?」
男がこたえる。
「すみません、預かっていたお金を持って行き忘れてしまって。またすぐに行きます」
神殿の奥へ行こうとするガナリに、女性が言う。
「すみませんね。お使いなんて頼んでしまって」
「いいんです、いいんです! これくらい何でもありません! むしろもっと頼んでください。私がこうして神にお仕えできるのも、ヴェイザ様が私を引き取ってくれたからなのですから。さもなければ今頃私は……絞首刑か奴隷に……。なので何でもお申し付けください。この恩に報いながら、神のために働く。これこそが、今の私の喜びなのですから」
「頼もしいですね。それでは今度は何を頼むか、考えておきますね」
「お任せ下さい!」
そう言って男は今度こそ銀貨を握り締め、幸せそうな顔をしながら買い物に出かけてゆく。
それを見届けた女性は、再び祈りを続ける。
「……お待たせしました……。……はい、新しく入信した者です。きっと我々の良き協力者になってくれますよ……」
そしてまた王都は別な時、別な場所。
その部屋はこじんまりとしているが、どこかの山からナダれて来たのではないかと思えるほど、何に使うかわからないような道具がそこかしこに乱雑に置かれている。机の上、空いてるイス、あるいは床、はたまた別の道具の上、あるいはさらにその上へと置かれ、ただでさえセマい部屋を、イッソウ息苦しくしている。その上、それらの上に降り積もったホコリは、来訪者を間違いなく窒息死させることだろう。
そしてこんな場所でも報告が行われている。
ただし他とは違って、報告というよりは聞き取りに近い。さらに聞く者は足りない情報に色々と想像力で補足して、相手の言わんとしていることを推測しなければならない。
「それで? ヴェイザとかいう女は光を空から降ろしたというのか?」
宮廷魔術師のヴィクマが聞く。
「ん」
こたえるのは彼の弟子であるサジュだ。彼女はヴィクマのナナメ前の、小さなイスに腰かけてアシをブラブラさせている。
「それはどんな光だった? ……つまり……マブシかったとか、熱かったとか?」
「……マブシくてアツい……」
「あと他に気づいたことは?」
「……カンパが杖を持ってくれた……」
「今はそのことを聞いていない。そしてそれについては、もう11回は聞いた。今聞いているのは、空から降りてきた光について他に気づいたことはなかったかと聞いている」
「んー…………ない……」
宮廷魔術師ヴィクマは次の言葉を出すために、少し長い空白と深いタメ息を必要とする。
「ふぅーーー。……それでは次の質問だが…………結局のところ、軍務卿のネライは何だった? ただの視察などでワザワザ軍務卿が出向くこともあるまい。それにあの奴隷商人や神殿教神官もだ。あいつらの目的となる何かがあったのか?」
その質問にサジュはしばらく足をバタバタさせて考えた後、こたえる。
「………………んーーー。わかんない……」
宮廷魔術師は再び空白の時間と深いタメ息の後に言う。
「……わかった……。簡単な質問に変えよう……」
2人の問答はまだしばらく続きそうだ。
「アイネさまー! アイネ様!」
幅20歩、奥行き15歩ぐらいはある部屋の外から、声が響いてくる。アイネにつけられた侍従の、フェマの声だ。彼女はオシトヤカに努めながらも猛獣のような勢いで、部屋の内と外を仕切る薄い垂れ布をかき分けて入って来る。
「アイネ様っ! たいへんです! 起きてください!」
主はというと、ターコイズの支柱に持ち上げられた天蓋から垂れ下がる透き通った布の区画の中で、敷き詰められたクッションのマドロミに溺れていて、まだ覚醒しない。
フェマはしかたなく近づいていき、主に顔を近づけて言う。
「アイネ様。お目覚めください」
アイネはようやく、マドロミのクッションの中からムクリと上体を起き上がらせる。ホムラ花のシシュウがあしらわれた布がずれて落ち、あらわになった麦の粉のように白い肩が、窓から差し込む陽光にさらされ水面のように輝く。その光の中で、ほつれのほどけたサンゴ色の髪が一房こぼれる。
アイネが言う。
「朝?」
フェマは同性の見た目の、しかも若い体の輝きから意識を取り戻しながら言う。
「アイネ様。今はまだ、朝にはなっておりませんし、“夜”にもなっていません。それよりも、大変なことになりました」
アイネはまだマドロミのかかった眼をこすりながら聞く。
「なに?」
フェマは相手を刺激しまいと、冷静さを取り繕って言う。
「今晩、王がここに来られることになりました」
「ん? 王様が? ここに? ……なんで?」
アイネは目覚めてからコノカタ、短く、そして安直な疑問しかテイしていない。フェマは、そんな主に浴びせそうになったタメ息を何とか飲み込んで言う。
「……アイネ様、あなた様のお役目をお忘れですか? ああ、こうしてはおられません。お部屋の掃除にお香の準備、そしてあれやこれも、そしてあれもしなくては! アイネ様は……とりあえず体のお清めと……心の準備をお願いいたします。それと服は……また頂いたあの服にしましょうか……」
アイネは、ようやく状況を理解し始める。
そうだ。
ボクは王様の……奴隷だったんだ。
……
なんでだろう……
困ったときに浮かんでくることのは、黒い髪の下からノゾくアイツの心配そうな顔……
黒髪の少年は、剣を振るっている。地面は踏み固められた土で、拓けた場所。
長い遠征から帰還した直後にもかかわらず、カンパは剣の練習をするために、この訓練場まで来ていた。
右手に片手剣、左手に丸い盾を構える彼の前には誰もいないし、鋭いクチバシやキバを持つ大型の猛獣もいない。
しかし彼は手に持つ盾を上げてはおろし、また上げてはおろし、時に剣を突き出す。
何もいないはずの空間に、カンパが見ていたもの。それは軍務卿の幻影。それも盗賊の襲撃を受けた村で、アイネがどこかのじいさんの代わりに剣戟を受けたときの、軍務卿の幻影である。
カンパはイメージする。
もしあの時、アイツの代わりに自分があの場所に立っていたとしたら……
……オレはアレを受けることができるのか?
戦勝記念碑に羅列された彫刻が次々と映し出されるように、カンパの頭の中で再生されるあの時の映像。からの空間。
近づいてくる軍務卿。
剣を手に持っているが、力が入ってないんじゃないかと思える程、自然体。
そして……
動く
カンパは盾を力いっぱい持ち上げるが、軍務卿の剣はすでに自分の首を通り過ぎている。
クソッ!
この少年兵士は先ほどからずっと、これを繰り返しているのだ。
これを防がなきゃ……アイツに勝てねぇ
そして時には遅いと分かっていても、反撃を繰り出してみる。そして時には、軍務卿の動きをマネしてみる。そしてその反復のタビに織り込まれるいくつもの疑問。
なんだ?
何がいけない?
何が違う?
何で反応できない?
こうして何十回と繰り返していく内に、いくつもの反復は、そしていくつもの疑問は、1つの疑問と成っていく。
なんで軍務卿の1振りは……
振りかぶりがないんだ?
カンパは立ち止まって、手の中の木剣を見つめながら考える。ホホを、1シズクの汗が滑ってゆく。
だって振りかぶらなきゃ、力が入らないだろ?
そんなんでいいのかよ……
えっ?
いいのか?
訓練場の中で、立ちつくすカンパ。そんな彼に近づいてくる人物がいる。
「おいっ!」
その人物が、呼びかける。カンパがそちらを見れば……どこかで見た顔の、同い年ぐらいの兵士が立っている。
「……お前は……」
「ゴドリー隊のマルゴだ。ちょっと手合わせしろよ」
言われてカンパがマルゴをよく見れば、練習用の木の剣と盾を持っている。そしてこちらの反応に構わず、ドンドンと近づいてくる。
カンパが言う。
「はっ? なんでオレが……」
「いくぞ!」
マルゴは最後の距離をつめながら、右手で木剣を振りかぶる。




