106 護衛依頼67
【カンパ】
とりあえず歩き出すが、猛獣までの距離はそれほどない。よって、それほど時間もない。
オレは歩きながら、その限られた時間で考える。
『オレに少し、時間を頂けませんか?』
しかし、そうは言ったもののどうすればいいのか……
何が正解なのか、わからない
すでに死んでいるコイツを母親に見せたとして、その結果どうなる?
怒り?
悲しみ?
ましてや、相手は猛獣だ。いや……たとえ相手がヒューマロイだとしてもわからない……。だってオレには……
母親がほとんどいなかったんだから……。
そんなオレに母親の気持ちが、わかるはずがない……
でもよ……
手に持った存在を意識する。手の中の存在を見る。デカヘビの体液のためか、体毛はペッタリと体に張りついている。
コイツは母親に合わせてやらなくちゃいけないんだ。
そんな気がする
それだけはわかる……気がする
【アイネ】
カンパは大丈夫なの?
みんながネコから離れる一方で、逆にアイツはそれに近づいて行く。さっきボクが危ない目にあったばかりの、あのネコに。
アイツの腕の中には、小さなネコのようなを抱いている……。
あのネコの子供?
……それをあの(・・)ネコに渡すのが、アナタがやろうとしていたコトってコト?
それってムチャなことじゃない? だってそのコネコは……動いているようには見えないもん……。そんなコネコを母親に渡したら……どうなるんだろ? きっと怒るんじゃないかな……。
本当にアナタはいつもムチャしかしない!
【】
猛獣はウツロな様子でたたずんでいたものの、動き出す。
周囲にいる者たちは猛獣が動き出したことに驚きはしたものの、猛獣にはもう、以前のように機敏には動けないとわかる。
足を引きずるように……と言うよりは、むしろ体を引きずるように何かを求めるように歩いているのだ。背中にできた新たなキズから、粘液質の音を立てながら。
しかし猛獣の足が、不意に止まる。
ウツロな瞳で、何かをとらえたからだ。
その影は、猛獣にとっては“小さき生き物”と呼べるぐらいには小さい。むしろ“小さき生き物”の中でも、少し小さい。そしてそれが、近づいて来ているのだ。
猛獣は怒りを思い出す。
自身が本当に大事なものを取り返そうとするのを、コトゴトく阻害してきた者たちの存在を、モウロウとする意識の中で思い出したのだ。
たちまち猛獣はキバをむき出し、息を荒くする。
そんな猛獣に、カンパは近いていく。
積み上げたイビツなブロックが今にも倒れそうなのと同じくらいに、アイネはその危うさが心配でたまらなくなる。今にもネコが飛びついて、カンパをカミ千切ってしまうんじゃないか……。
思わず飛び出しそうになるアイネを、ベーヤが止める。
「もう少し様子を見てやろう。ほれ、猛獣の様子が変だ」
猛獣はなぜか、威嚇の態勢を止める。
そして鼻を、ヒクつかせる。何か気になるニオイを感じ取ったようだ。ウツロな視界に変わって、ニオイは猛獣に様々な想起を運んでくる。
このニオイは……ワレの背に乗ってきた“小さき生き物”のモノ……コイツはワレを幾度もジャマした
このニオイは……あの“長い生き物”のモノ……コイツはワレの最愛を奪った
そしてこのニオイは……
そしてこのニオイは……
ワレの探していたモノのニオイ!
猛獣が動き出す。
ただし走るといった感じではなく、重く痛みの走る体を、気力だけでようやく動かすといった感じで。1歩、そしてまた1歩、と進む。なのでその進みは、“夜”明けの温もりぐらいの速さしかない。
しかし当の猛獣は、それでも最大限に急いでいるのだ。
そしてカンパの歩みもまた、遅い。
腕の中にある、その小さな存在を持て余している、といった感じで。
その存在をどのように渡せばいいのかわからない、といった感じで。
どのような言葉をかければいいのか、そもそも通じない言葉をかけて意味があるのかわからない、といった感じで。
そもそもほとんど母親のいなかった自分がこの役目に相応しくない、と思っている感じで。
それでも両者のヘダタリは、その場にいる誰もが見守る中、徐々に消えていく。
周囲にいる者たちは邪魔をするわけでなく、手助けするわけでもなく、演劇に訪れた観客のように、ただ成り行きを見守っている。
“夜”からほとんど解放された“昼”の穏やかなる光も、この3者――猛獣とその子とカンパ――を見守るように輝き、暖かだ。
やがて両者を隔てる距離がなくなる。
猛獣は、カンパの目の前に立っている。
今、この瞬間、ここにある全てのモノが穏やかだ――
――といった感じで、もはや猛獣とは呼べない巨体の獣は、ゆっくりと顔を下げていく。
今まで何をどうすればいいのかわからないと思っていたカンパだが、この時は自然と腕に抱えていた存在を持ち上げていく。
巨体の獣の鼻と、掲げられた小さい獣の体が近づく。
【カンパ】
頭の上から獣の顔が下りてくる。
ゆっくりと。
見下ろす瞳は、片方のマブタはキズついているものの、とても優しい。さっきまでオレを殺そうとしていた猛獣の面影はない。
オレはいつの間にか腕に抱えていた存在を、両手で掲げている。獣の鼻先が近づいてきて、オレの掲げた存在に鼻をこすりつけてヒクつかせる。
どうやって渡せばいいかわからない……
そう、思っていた。
ただ差し出ばよかったんだ。
なんて言葉をかければいいのかわからない……
そう思っていた。
言葉なんていらなかったんだ
この役目はオレなんかふさわしくない……
そう思っていた。
でもやってよかった。
獣の目が、これ以上ないくらい細く、そして優しく細められている。オレの中で、何かがどうしようもなく、熱くなる。
母親とは……こんなにも……優しいモノなのか……
母親とは……こんなにも……まぶしいモノなのか……
母親とは……こんなにも強いモノなのか!
はっきり言って、オレは手で掲げているコイツのコトがうらやましい。もう死んじまっているけれど、コイツのことがうらやましい。だってこんなにも母親から愛されているんだから。オレにはもう……それは叶わぬ夢だから……。
巨体の獣は鼻を少し長いくらいにヒクつかせた後、カンパが持つ自分の子供に鼻からホホを何度もこすりつけている。
――……やっと……やっと……見つけた……――
そして静かに沈んでいく巨体。巨体は沈んでいき、そして地に伏せる。
そしてそのまま、動かなくなる。




