102 護衛依頼63
猛獣は全身を使ってさんざん地面を叩いた後、急に身構える。
すなわち右前脚を前に突き出し左前脚を胸元で曲げて、地面をはうように前体を低くする。後ろ脚はいつでも蹴り出せるといった感じでゆるく曲げているので、下半身は前に比べてせり上がっている。
4つとも足はツメを伸ばして、地面に食い込んでいる。
そして訪れる……
しばしの静寂
猛獣の発達した筋肉は限界まで膨れ上がっているが、まだ動き出さない。無尽蔵に溢れる怒りをまだまだ注ぎ込むように、力を込めて筋肉を膨らませ、地面にツメを食い込ませていく。
一方の討伐隊一行も、動けずにいる。
大きくて恐ろしい猛獣が突進してくる体勢を作っていることは明らかであったが、自分が不用意に動くことによってその張り詰めた弓が解き放たれてしまうのを恐れているからだ。
その静寂の時間は、それほど長くはない時間に過ぎない。しかし奴隷も盗賊も、そして兵士も長く感じる程の時間ではある。
猛獣が地面に食い込ませた爪に、さらに力を込める……。
猛獣が今にも討伐隊に突っ込んでこようとしている時でさえ、カンパはまだ荷車の上で猛獣の子供を引き出そうと苦戦している。
猛獣の子供の体がデカヘビの肉の重さに挟まれているからか、なかなか抜け出てこない。またデカヘビの体液などでその体の外側は滑るため口の中に手を入れて引っ張っていたが、キバが手に刺さって痛く力を込められないからだ。
そんなこんなで、彼はイラ立っている。
【カンパ】
なんでオレをイラつかせる?
刺す痛みをこらえて、引き出す方に力を入れる。
体の外側を持つよりは持ちやすくはなった。ただ力を入れれば入れる程、キバが食い込んで痛みがひどくなる。そのことが、カンパをイライラさせる。
……せっかく出してやろうとしているのに。
何でオレをイラつかせやがるんだっ!
痛みをこらえながら、そして毛羽立った感情のまま、でかい肉の塊から小さな肉塊を引き出し続ける。そしてそうしながら、おぼろげながらに思う。
……世の中嫌なことばかりで出てくるのがイヤになっちまった、とでも言うのか?
……それならそれで、わかる気もする
……確かに世の中、いいコトは少ない……
「どうした? まだ出せそうにないか?」
ハダリー隊長が聞いてくる。俺が手こずっているからか、アセッている感じで。メンドウ臭いなぁ、と思いながらもそれをそのままいうわけにもいかないので説明する。
「なんかハサまれているか、引っかかっているみたいで……出てこないんすよ……」
……でもな、世の中悪いコトだけじゃあないんだ……
ハダリー隊長は「どれ」などと言いながら手を出してくる。さっきまで手伝う気配がなかったのに……焦りが勝ったか。
……確かに世の中、イヤなヤツが多い
ハダリー隊長も、デカヘビの穴の中に手を差し入れる。
弱い者たちから財産を奪う盗賊とか……
そんな盗賊たちを問答無用に殺す兵士たちとか……
突然現れて襲ってくる猛獣とか……
部下をアゴで使う隊長とか……
将来を約束し合ったはずの女を殺す王とか……
ハダリー隊長は差し入れた左右の手を広げ、「どうだ?」と言う。「いい感じっすけど、もうちょい広がりませんか?」
でもよ悪いヤツばかりじゃないんだぜ……
……と思って不思議と浮かんでくるのは、
サンゴ色の髪の少女のニヤけた顔……
ニヤケた顔を振り払い、手に力を込めれば込める程、小さなキバの並びが手に食い込んでくる。それでも心の中での語りかけは続く。
……それによ、オマエは母親が迎えに来てるんだぜ……
ナカナカ抜け出てこないことと手の痛みが、オレをますますイラ立たせる。
それなのになんでだよ……
なんで出てこないんだよ!
「こうか?」とハダリー隊長が両手をさらに奥へ差し込んで、穴を広げる。少しだけ動いた気がする。
お前はいいよな!
迎えに来てくれる母親がいるんだからよおっ!
オレは引く手に、さらに力を込める。小さなキバの並びが、手のひらに刺さる。でも、そんなことどうでもよくなってきた。
さっさと出てこいよっ!
本当はオレも猛獣と戦いたかったのに……
血とか脂とかに汚れながら苦労して肉を消って……
せっかく出してやろうとしているのに……
何でオレをイラつかせやがるんだっ!
オレは引く手に、さらに力を込める。手のひらの痛みは、もう気にしない。
ふざけんじゃあ、ねぇよっ!
オマエの母親がキズつきながら迎えに来てんだって言ってんだよっ!
こっちは母親もいねぇのに、必死こいって生きてんだよっ!
オマエもさっさと出て来やがれっ!
【】
「っおわっ!」
そのときカンパは一瞬、重力から解き放たれる。今まで引っ張っていた抗力が、なくなったからだ。よってカンパは手にしたものをそのまま、後ろによろける。が、そこは荷車の上。とっさに出した足が着地する場所はない。
よってカンパは荷車の上から地面の上まで落ちてしまう。
「……ってぇえ……」
カンパは尻や背中の痛みをこらえながら起き上がろうとして、気づく。
アイツは?
そしてさらに気づく。仰向けに倒れた自分の胸の上に乗る、その物体を。
それは言ってみれば猫のような物体。ただ毛並みが全身ペッタリと体に張りついていて、所々はげてはいるものの、顔つきや体の作りなどにあどけなさを残している。
カンパはささやくように言う。
「……やっと出て来やがったな……オマエ……」
そんなカンパに、ハダリー隊長が荷車の上から言う。
「カンパ! そいつをどうすんだ?! もうすぐ猛獣が突撃してくるぞ!」
カンパはその子を撫でるように押さえながら、勢いよく起き上がる。




