壊れた世界
『ここ、は……』
あたり一面が、腐った泥のようだった。
地面がぬかるんでいる。
泥じゃない――腐っている。
次の瞬間、地面を雷が走った。
バチッ、と音を立てて、足元をかすめる。
『うわっ!?』
「踏むなよ」
冬は平然と、その軌道を避ける。
「この土地、雷が“流れてる”」
雷の物性が反転し、狂っている。
『雷が、流れる?』
「普通のじゃない。触れれば焼けるし――」
足元の草を、一つ蹴る。
黒ずんだそれは、ぐずりと崩れた。
「作物もこうなる」
その周囲に生えている植物は、どれも色が濃すぎた。
毒々しい見た目に、香り。
「あれは、人喰い植物だ。美しい見た目で人を惹きつけて、バクリ。そういうやつ」
『……この世界、ちゃんと食べられるもの、あるんだよね?』
不安になる冬真。
「全滅はまだないだろうが、時間の問題だ。その前に聖都に入らなければ」
俺達は地面を走る雷を避けながら、襲い来る食人植物を伐採して、目的の場所へと向かう。
『やった! やっと人里が見えてきたよ! あれ?』
それからさらに数時間歩いて、ようやく人里が見えてきた。冬真が、ようやく長い沈黙を破り、歓喜の声を上げるが、それと同時に疑問を口にする。
町の入り口には、見張り役が立っている。
その光景には、危険な雰囲気が見受けられた。
「お願いします! お母さんを助けてください! 熱を出して、ずっと寝たきりなんです! お医者様を! 薬を恵んでください!」
「ふざけるな! アニマのガキが! 貴様らが負けたせいで、俺らは家畜だ! 貴様らにくれるものなどありはしないわ!」
そういって、持っていた長物を、幼子に振り上げる。
女の子は頭を庇うように縮こまるが、来るはずの衝撃が来ない。
恐る恐る目を開けると、先ほど自分に怒鳴り散らし、長物を振り上げた男が、地面に倒れていた。
「武器も持たない子供に、いい大人が武器なんて振りかぶってんじゃねぇよ。クズが」
冬だった。
冬が振り下ろされる長物を片手でいなし、男ごと回転させた。
大の大人が子供に転倒させられた。
相手からすれば、いい恥さらしだろう。
顔を赤くしてこちらをにらみつけ、何かを言おうとしたが、冬と目が合って、息を静めた。
「やる? 俺と?」
男はかぶりを振った。
勝てない。
即座に、それを悟った。
身体つきはおよそ強そうには見えなかった。むしろ弱そうにさえ見える。
なのに、先程の身のこなしや今の立ち姿には、強者特有の"雰囲気"があった。
「お嬢さん、もうお帰り。彼らがまっとうに交渉してくれるとは思えないし、君にも差し出せるものなんて、ないのだろう?」
「それは、そうですけど……でも!」
少女は、それは百も承知だろう。それでも藁にもすがる想いで来たのだろうから。
「俺が代わりに、君の母君を診よう」
「え?」
少女はまるで想定していなかったがゆえに、ぽかんとした顔をする。
『ちょっと冬?』
人助けなら問題はないけど、安請け合いして大丈夫なのか?
「そんじょそこらのやぶ医者よりはできるよ」
「あなたはお医者様なのですか?」
「医者ではないけど、たいていのことはできる」
「あの、私は……そこまで実入りがありません。」
彼女は申し訳なさそうに俯く。
「それは見ればわかるよ。欲張りなことは言いません。一晩おいてほしい。連れを休ませてあげたい」
そう言って、背中のナツさんを見る。
少女は少し考えていたが、大きく頭を下げた。
「お願いします。私の名前はヒマワリといいます」
「俺の名前は冬だ。よろしく。最善は尽くすよ」
彼女についていくと、さきほどの町よりもさらに小さい集落が見えた。
お世辞にも安全が確保できそうな場所ではなかったが、屋根のある民家は見受けられる。
「答えたくなかったら答えなくてもいいんだけど、君は母君と二人で生活しているのかい?」
「私は母と妹と一緒に暮らしています。どうしてですか?」
彼女は素直に答えてくれた。
「妹、か。なら働き手はいないということか。君もその歳じゃろくなことはできないだろう。どうやって生活しているんだい?」
この世界の情勢は最悪だ。まともな働き口どころか、食べるものすらまともに手に入らないだろうに。
「普段は畑を耕しています。もっとも最近は水も空気も汚染がひどくて、育ててもすぐに腐ってしまいますが……でも私たちがやめてしまえば、みんな飢えて死んでしまいますから。できるだけ汚染が低い物を選んで配っています」
「配っている……それで君達は生活できるのかい?」
「生活は苦しいですが、私たちも全部配っているわけではないので……あっ!」
そう言って彼女が見ている先を見ると、彼女の家と思しき場所の畑で、子供が入り込んで作物をあさっているのが見える。
こちらを見た瞬間、まずいと思ったのか逃げ出す。
俺が追おうとするが、彼女が止める。
「いいんです!」
「よくないだろう。あれを放置すればまたやるぞ」
「彼らも、飢えをしのぐのに必死なんです。気持ちはわかります」
とてもそうは思えないが、この調子では彼女達は同じようなことを今までも見逃してきたのだろうな。
生活が苦しくなるわけだ。
「はぁ。君の母君のところへ案内を頼む」
ため息を吐き、頭をかく。
結局のところ、彼女達自身がそのことに対して抵抗しないのであれば、俺が何を言っても無意味になる。
水源もそうだが、食料自給も早めに手を打たないと、暴動が起こる。
そうこうしているうちに、彼女の家へとたどり着く。
年季の入っている家だ。
ところどころ傷んではいるが、手入れが行き届いているのがよくわかる。
大事にされているのだろう。
「お母さん! お医者様をお連れしたよ。起きられる?」
「……ヒマワリ? お客様? ごめんなさい。すぐにお茶菓子を……」
レスポンスが悪いな。
それに娘の声がよく聞こえていないのか?
状況の認識能力も低下しているように思う。
「お母さん、違うの。お医者様だよ?」
「……お医者、様?」
言葉の意味も分からなくなっているのか?
俺は母君の前に片膝をついて、質問をしてみた。
「お母さま。私です。息子の冬ですよ。覚えていますか?」
「え? 何を、言ってるんですか? 冬さん?」
ヒマワリが戸惑う。
俺は「し」と人差し指を立てて、静かにさせる。
「……ああ、冬ね。うん、知ってるわ。久しぶりね。帰ってきてくれてうれしいわ」
「お母さん? 何言ってるの?」
怖くなったのだろう。俺はひまわりを手招きする。
「お母さん、どうしちゃったの? あれなんなの?」
「結論から言おう」
冬は母親を見下ろす。
「中に寄生虫がいる」
「え……?」
「君の母親の中に、“別のもの”がいるんだ」
ヒマワリの顔が強張る。
『冬、それって……』
冬は小さく息を吐く。
「最近、変なこと言わなかったかい?」
「……言ってました」
「会話が噛み合わないとか」
「はい……!」
「なら当たりだ」
「え?」
『冬? どういうこと?』
「母君は汚染された作物を口にしたのだろう」
はっとした顔をするヒマワリ。
汚染された作物はダエワ用に品種改良されている。
彼女や俺達が喰えば、ただでは済まない。
汚染雷土。憑神の一機に、土を汚染する雷土を司る神機がいる。《サウラヴァ》。
汚染された土で育てられた作物は、見た目は普通の作物に見えるが、中身に問題が発生する。
虚言を吐くようになるのだ。
YES/NOで答えられない質問をすると、顕著に反応が揺れる。
『冬、これって、治せるの……?』
「治せる」
「本当ですか!?」
うれしそうに顔を明るくするヒマワリ。
「少し触れるよ」
冬は額に手を当てる。
白い紋様が、ゆっくりと浮かび上がった。
――いた。
神経に絡みつく“それ”を見つける。
糸のように細く、だが全身に張り巡らされている。
宿主はまだ気づかない。
抵抗する暇は与えない。
寄生虫は、こちらに気付く前に一瞬で引き剥がし、即死させる。
「終わったよ」
「え?」
ひまわりは困惑する。
はたから見れば、ただ掌を額に当てていただけに見えただろう。
母君はうつらうつらしながら、瞳をとろんとさせて、静かにベッドへ倒れ込む。
「お母さん!」
「大丈夫。眠ってるだけだよ。しばらく安静にしてたら、頭にかかった霞が晴れるように目を覚ます」
すぅ、すぅ、と静かに眠っている母を見やる。
「そう、なんですか?」
懐疑的だ。
「大丈夫、俺は連れが目を覚ますまでは、この集落にいるつもりだから。もし何か後遺症があるなら教えて。ないと思うけど。それと、この集落で泊まれる宿はないかな? 連れを休ませてやりたいんだ」
そう言って背中に担いだナツさんを見せる。
「あ、それならうちをお使いください」
おいおい。
「さすがに迷惑じゃない?」
「母を助けてくださった方です。ぞんざいな扱いはできません。もっとも土が汚染されていることを考えると、おもてなしができるものもありませんが……心苦しいです」
とこぼす。
「気にしなくていいですよ。泊めてもらえるだけで十分です。泊めてもらう以上、食料に関してもこちらで提供します」
「そんな! お客様にそんなことまで」
「もともと、どこかの町によったら、町の人に配る予定だったものです。気にしないで」
「それなら、この集落の人たちに……」
「俺は君らに食べてもらいたい。誰かではなく、今俺の目の前にいる、君達にね」
「……はい。ありがとう、ございます」
ヒマワリは泣き始めた。
「ごめんなさい」
「腹でも痛いのかい?」
さすがに驚いて心配になった。
「こんなに、やさしくされたの、ひさしぶりで……おかしいですよね」
ぐじゅぐじゅになった涙を服でごしごし拭くので、止める。
「顔をそんなにこすったらだめだよ。別に笑いやしない」
泣きたければ泣けばいい。
ヒマワリはまたわんわん泣き出して、冬の服をたいそう汚したが、冬は最初こそ驚いていたが、優しく彼女を抱きしめて頭を撫でた。
彼女が泣き疲れて眠るまで。
泣き疲れて寝た彼女とナツさんを、彼女の寝室とおぼしきベッドに寝かせた。
ようやくナツさんを横に寝かせてやれた。
俺としても人心地ついた気持ちだった。
二人は狭いかとも思ったが、二人寝ても問題ない広さを持っていた。そういえば妹がいるといっていたな。妹と寝ているのか。
妹さんはどこにいるんだ?
医者をまだ探しているのだろうか?
この危険な世界で一人で出歩いているというのが心配だが、俺は彼女の顔を知らないし、土地勘もない。
待つしかないだろう。
問題は“彼女”だな。
ナツさんを寝かせた部屋の前で、冬は足を止めた。
静かすぎる。
寝息が聞こえない。
違和感。
それでもドアを開ける。
――誰もいない。
その瞬間。
上から気配。
次の瞬間、上から衝撃が襲い来る。
「動くな」
そう恫喝する声が聞こえる。
「それは無理だな」
あん? 彼女は訝しむが、それはすぐに驚愕へと変わった。
いつの間にか彼女は地面に這いつくばり、俺の下に位置していたから。
立場が一瞬で逆転した。
「てめ! 何しやがった! 離せ! 降ろせ! ぶっ殺してやる!」
ずいぶん気性の荒い人格。つまり――
「落ち着いてくれたら、離しますよ」
「ふざけんな! ぶっ殺してやる!」
「本人に、変わってくれませんか?」
「ああ! 粋がんなやガキが! 誰にモノ言ってやがる! 俺を! 今すぐ! 離せ!」
仕方ない。
ドス、と鈍い音。
彼女の力が抜ける。
次の瞬間――
「……あなた、誰?」
空気が変わった。
彼女は俺を認識できていない。
認識阻害は効いている。
さっきまでの獣みたいな気配が消えている。
冬はゆっくり息を吐いた。
「話がしたい」
ここからが正念場だ。




