決別の日
凛を連れて、空想世界へと帰る。
「陽菜さん。凛を……お願いします」
「は、はい。あの、この子は、その……冬さんの……」
「……大事な人です」
「……そうですか。わかりました、私に任せてください」
「ええ、お願いします」
陽菜さんに眠っている凛を任せ、俺は──。
その時だった。
「あ! 冬! 帰ってきた! 大変なんだよ!」
冬真が焦った様子でこちらへ駆け寄ってくる。
「何があった?」
「行けばわかる! とにかく急いで広場に行こう!」
冬真に連れられ、広場へと向かう。
そこでは、聞き捨てならない喧騒が渦巻いていた。
「質問にお答え願えますか? 財閥関係者を次々と消しているのは、あなたではありませんか?」
「アフはそんなことしないのよ~」
むっすりとした様子で、アフが答える。
「それを証明する証拠は?」
「おかしなことを言うのよ~。それなら、アフがやったという証拠はどこにあるのよ~」
「白々しい! 消えているのは、あなたに対して好意的でない者達ばかりだ。無関係とは言わせませんよ?」
「まるっきり無関係なのよ~。それは根拠ではなく、当てずっぽうとか、当てこすりと言うのよ~」
ぷいっと、彼女はそっぽを向く。
「そんな言い分が通ると思っているのですか?」
目障りな。……消すか?
「冬……物騒なこと、考えてないよね?」
隣で冬真が顔をこわばらせる。
「あいつを殺す」
「おい! 平気で言葉にするな! 少しは悪びれろよ!」
冬真は俺の肩を掴んで揺さぶる。
「そうやってすぐ消すから、アフがピンチになってるんじゃないか! 暴力で全ては解決できないんだぞ!」
「あー、はいはい。暴力以外でやればいいんだろ。うぜぇ」
「うざいって言った……?」
甘ぇよ、冬真。あの手の輩は話し合いなどしない。
あいつらにとって、アフは単なる『金のなる木』だ。
力の恩恵は受けたい。
けれど、自分達の上に神が君臨するのは目障り。
だから弱みを握り、首輪を嵌めて、思い通りに飼い慣らしたい。
……ただのクズだ。
冬の瞳が、深く暗く沈む。
アフ達の方へ踏み出そうとした時、凛とした声が響いた。
聞き覚えのある、よく通る声だ。
「それは、何か根拠があっての追及か?」
長い黒髪を揺らし、彼女が現れた。
「聖、理事長……!」
男が忌々しげに舌打ちをする。
「聖、遅いのよ~」
聖さん…!
彼女は俺のことなど覚えていない。
未来で肩を並べただけの、終わった記憶。
場違いなのは百も承知だが、もう二度と交わることのないかつての戦友が、凛と背筋を伸ばして立っている──それだけで、胸の奥に灯火のような安堵が宿った。
「聖理事長。……『義ノ盾』の権限で、刑事事件…いや政治の話です。そこまで口を挟めると思っているのですか? 今回のことは言い逃れできませんよ。死人が出ているのです」
『義ノ盾』。
アニマだけで構成された自警団。
荒れる世情に伴うアニマへの風当たりの激化、そして既存の刑事団への信頼失墜。
それらが重なって設立された経緯があり、警察組織との軋轢は大きい。
「死人? おかしな話だ。死体は一人も出ていないはずだが?」
聖が冷たく言い放つ。
……だろうね。
死体を残した覚えはないし、痕跡を刻んだ記憶もない。
「刑事事件というのなら、令状を持ってこい」
「馬鹿なことを! これだけ探しても見つからないのなら、死んでいるとしか思えないでしょう!
これほど多くの人間を、誰の目にも留まらずに消せる存在なんて……」
男は震える指でアフを指差した。
「できるでしょう? そこにいる『神』の力なら!」
「はぁ……アフの力は、消す方には向いてないのよ~」
「我々がやるよりは、遥かに簡単だと言っているんだ!」
「どちらにせよ、証明できないのならただの言いがかりに過ぎない。これ、何回繰り返すのよ?」
「何度も繰り返すつもりはありません。あなたのような危険な存在には、早々に出ていってもらいたい。ここは、我々『人間』の世界なのだから!」
男はなぜか、勝利を確信したようにそう言い放った。
アフは「はぁ」と諦めたように溜息をこぼす。
「わかったのよ~」
「ほう……?」
意外な反応だったのか、男が眉根を上げる。
「いや、失礼。私も言い過ぎましたね。私達はただ──」
男は一転して焦りだす。
本音は神を追い出したいのではない。
神の力の恩恵に預かりたいだけだ。
譲歩を引き出し、支配権を握りたい。
なのに、完全に引かれてしまえば意味がない。
「いや、いいのよ~。ちょうどいい機会だったのよ~」
「何を……?」
「我々は近いうちに、この世界を離れる。もちろん、義ノ盾の皆もアフ様についていくよ」
聖が静かに宣告する。
ようやく、アフも決意してくれたようだ。
円柱世界の創造を。
「な……ふ、ふざけたことを! これだけ我々を掻き回しておいて、事態が悪くなれば逃げるというのか!」
支離滅裂な。よくもまぁ、そんな言葉が出てくる。
「自分で言ったのであろう? 『出ていけ』と。だからそれに従おうと言っている。何も問題などないはずだが?」
「うぐ……!」
男が顔を歪ませる。
「違う! 我々は、ただ……!」
「もう、いいのよ」
アフの瞳が、男を真っ直ぐに射抜く。
「お前達は、醜悪に過ぎるのよ。もう、付き合いきれないのよ」
「!!!」
それは、神からの『断絶』の言葉だった。
だが、その顔は言葉よりもずっと、悲しみに満ちていた。
話し合いでは解決できない業を、人は抱えている。
冬は、それでいいと思った。
甘やかしても付け上がるだけ。
そういう人間もいる。そして、そういう奴ほど声がデカイ。
「この国の人間を連れて行くだと!? それは国民を誘拐するのと同義だ! 働き手が消えれば、どれだけの経済的損失が生まれると思っている! インフラ、医療、流通……すべてが止まるんだぞ!」
「特にアニマの持つ回復術は医療の要だ! 現代科学では癒せない傷すら治せる。それがなくなれば、数万人の死者が出る可能性があるんだぞ! それを承知でやるというのか? それはもう、人殺しと同じだぞ!」
「──だから、この子達が傷つけられて死ぬのを、見て見ぬふりをしろと言うのよ?」
アフが、滅多に見せない激しい怒りを露わにする。
周囲の空気が一変し、圧壊せんばかりのプレッシャーが広場を支配した。
「ひ……!」
「順番を間違えちゃいけないのよ。この子達を先に傷つけたのは、お前達なのよ」
「わ、私が傷つけたわけじゃないだろう! 我々は助け合いをしているのだ! 急な一方的離縁は、マナー違反だぞ!」
「何もかもが、自分達の都合すぎるのよ。お前達のそれは助け合いではなく、もはや一方的な搾取なのよ。そんな言い分が通じると本気で思っているのよ?」
「個人の自由より、社会の存続の方が重いに決まっているだろう! 少しばかりキツく当たられたくらいで投げ出すなど、責任感の欠如だ。君たちは心が狭すぎるんじゃないかね?」
「助けた相手に『アニマ嫌いだから』と殺された子までいるのよ。それが、……少し?」
男は絶句する。犠牲になったアニマの数は、もはや許容できる限界を超えていた。
「この子達は、奴隷じゃないのよ。傷つけられてまで助ける義理なんてないのよ。全員救おうとして、この子達が殺されていくのを黙って見ていることはできないのよ。──アフは、この子達を、選ぶのよ」
「許されない……。いや、許さないぞ、そんなこと!」
最初から最後まで、男は己の都合のみを吠え続けた。
謝罪の言葉はなく、犠牲になった者への配慮もない。
『許す』か『許さない』か。その不遜な言葉選びこそが、彼らの性根を表している。
裁量は常に自分達にあると疑わない、傲慢。この国の繁栄に根ざした、歪な特権意識。
「別に、許さなくていいのよ。恨むのはお前達の自由なのよ。アフ達はこの世界を出ていく。もう、争う必要はないのよ」
アフは淡々と、事実だけを告げた。
男は顔を赤くし、次いで青くし、最後には何も言えずに黙り込む。
アフ達は、その場を後にした。
誰一人、それを止めることはできなかった。
「冬……」
「行こう、冬真。アフ達の心配は、もうする必要はない。俺も……俺のやれることをやろう」
アフ。辛いのだろうが、それでいい。
『全員』なんて曖昧なものを背負おうとするな。
好きな人間を守ればいいんだ。
守るものを曖昧にする奴は、その意味も曖昧にしていく。いざという時、それは迷いへと繋がる。
あいつらは、君に縋り付くだけの寄生虫だ。
共に歩むことなどできない。
アフも聖さんも、自分達の意思で選んだ。
もう、俺の力は必要ない。安心したよ。
「……よし」
俺達は、晴の元へと向かう。




