彼の名は
何やら公園が騒がしかった
乾いた笑い声と、何かがぶつかる鈍い音が、風に乗って届いてくる
胸がざわつく
行ってはいけない――そんな予感が、足を止めようとする
「ねぇ、ぜんちゃ…」
「なんだ? 行ってみようぜ」
軽い声 ためらいなんて、最初からないみたいに
善ちゃんはそのまま駆け出した
「あっ! 待って!」
伸ばした手は空を切る
私は胸の前でぎゅっと手を握りしめて、その背中を追いかけた
砂を蹴る音がやけに大きく響く
嫌な予感が、どんどん形を持っていく
そして――
公園の広場に出た瞬間、それは現実になった
「うぇ〜い!」
甲高い声
その中心で、何かが蹴り飛ばされる
「おい見ろよw この顔ぉ キッツ〜!」
「いや、マジキショいわ 下水口で死んでたドブネズミみてぇ(笑)」
「ああ、マジそれな!」
「おい! そっち行ったぞ!」
「逃げんなよ、ドブネズミ!」
一人の少年が、地面に転がっていた
砂にまみれ、服はところどころ破れている
囲んでいるのは、同じくらいの年頃の少年たち
数は、五人――いや、六人
「汚ねぇ面こっちに向けんなって言ってんだろ!」
靴先が、容赦なく腹にめり込む
鈍い音と一緒に、空気が押し出されるような息が漏れた
けれど――
その少年は、泣いていなかった
歯を食いしばりながら、顔を上げる
そして、囲んでいる全員を、順番に睨みつけた
その目に、一瞬だけぞくりとした
怖い
被害者のはずなのに
なのに、その視線は――どこか獣みたいで
「おい! 何やってやがる!」
善ちゃんの声が、空気を裂いた
一斉に視線が集まる
「あ? 誰だお前ら」
「お前ら、一人によってたかって、何してやがんだ!」
正面から、まっすぐに言い切る
一瞬の静寂
――次の瞬間
「うるせぇ!」
拳が、横から叩き込まれた
「がっ…!」
善ちゃんの身体がよろける
バランスを崩して、膝をついた
「善ちゃん!」
思わず叫んでいた
その声に、何人かが振り向く
「なんだぁ? 今度は女かよ」
じろじろと、舐めるような視線
「てか何だよ、その髪」
「……っ」
その一言で、身体が硬直した
「真っ白じゃねぇかよ」
空気が、急に冷たくなる
足元がぐらつく
逃げたい、と思った
「俺、親からきいたことあるぜ」
一人がにやにやしながら口を開く
「最近さ、かみさまとか言う変な名前のやつに気に入られると、全身真っ白になるって話 なんかの病気らしいぜ」
完全なプロパガンダだ
善神アフを快く思わないものがアフの寵愛を、"穢れ"として、忌み嫌っているのだ
「うわ、マジで? それじゃね?」
「うつされたら最悪なんだけどw」
笑い声が広がる
「うちの親も言ってたぜ ああいうの、疫病神だって」
その言葉が、胸に突き刺さる
「てめぇ! 夏をいじめるんじゃねえ!」
善ちゃんが立ち上がる
顔を歪めながら、それでも前に出る
「うっせぇよ、チビ!」
蹴りが入る
「ぐっ!」
身体が吹き飛ばされる
「善ちゃん!」
駆け寄ろうとした瞬間――
「痛っ!」
髪を強く掴まれた
無理やり引き寄せられる
「おい、白髪女」
顔を覗き込まれる
息が近い
逃げ場がない
「お前はこいつ、どうよ?」
にやりと笑う
「ここまで醜いと、もう公害? やっべ オレちょっと難しい言葉言っちゃった系(笑)? 」
背後で、あの少年がゆっくり立ち上がる気配
「いっそ、お前、こいつと付き合う?」
「白ネズミとドブネズミ お似合いじゃね?」
っ!!!
夏は悲痛な表情を浮かべ、善のほうをみやる
その顔をみて善はさらに猛る
それを見て、さらに笑う子供たち
「ざっけんな! クソ野郎共!」
善ちゃんが殴りかかって取っ組み合いになる
「お前らはな、一生底辺なんだよ! 俺達人間様の迷惑にならない様に、道の端、いいや、下水の下でも歩いてりゃいいんだよ!」
そう言って善ちゃんの頭を蹴り飛ばすのをみて
何かが切れた
怖かったはずなのに
震えていたはずなのに
それでも――
「最低!」
声が出ていた
自分でも驚くくらい、はっきりと
「あ?」
空気が一瞬で変わる
でも、もう止まらなかった
「顔が醜くかったら人を殴っていい理由になるの? 自分と違うところがあるなら、傷つけていい理由になるの?」
「ならあなた達より顔が良くて金を持ってる人が殴らせろと言えばあなた達は喜んでと頷くの?」
「そんなこと絶対にしないくせに!」
「あ?」
「見た目で人の価値を決めるのは、中身には何も誇れるものがないからでしょ? ううん見た目の話を例に挙げるのすら言い訳の言い訳よ」
「なんだと!」
「人の欠点ばかりを探すのは、安心したいからでしょ? 一つでも自分がマシだって!そう言いたいだけ!」
喉が熱い
でも、言葉は止まらない
「自分よりも上をみて頑張れないから下を作って でもあなたより下の人なんていないわ 今の自分よりも立派な自分になろうと努力できない人はいつだって自分に負けてる! 勝てない勝負から逃げて、勝てそうな相手ばかり選んで、そうやっていずれは見下してた相手にすら抜かれてどんどん下に向かって進んでくだけ」
「あなた達はずっと、惨めに逃げ続けて、いずれ逃げることすらできずに負けるわ」
「本当の臆病者よ!」
「ああ! もっペンいってみろ!この白髪ネズミが!」
周りの視線が刺さる
それでも――
「あなたたちのそれは、ただ優位に立ちたいだけでしょ! 自分と違う部分を劣ってるってことにして、優越感に浸りたいだけ!」
「傷つけられたから傷つけるのでもなく、守りたいから傷つけるのでもない ただ、気持ちよくなりたいだけ」
一歩、踏み出す
「一人じゃ何もできないから、群れて!」
「自分より弱そうな相手選んで!」
「強い人の前じゃ、ヘラヘラしてるくせに!」
息が荒くなる
でも、最後まで言い切る
「それで強くなったって自分に言い聞かせる!」
「惨めだわ」
一瞬の静寂
そして――
「このアマ…! ぶっ殺してやる!」
空気が、弾けた
腕が振り上げられる
――その瞬間だった
視界の端が、白く滲んだ
最初は、光だと認識できなかった
ただ、色が抜けていく
音が遠のく
風が止まる
「……え?」
誰かが、間の抜けた声を漏らした。
私の身体が、淡く発光していた。
まるで内側から滲み出るような、柔らかい白
眩しいはずなのに、不思議と目が痛くならない
でも――
「な、なんだこれ…」
一人が、ふらついた。
「おい…力、入らねぇ…」
振り上げたままだった腕が、だらりと落ちる。
膝が折れて、そのまま地面に手をつく。
「は…? なんだよ、これ…!」
もう一人も、後ずさるように尻もちをついた。
呼吸が浅くなっている
汗が、額を伝って落ちる
けれど、傷は一つもない
殴られたわけでも、切られたわけでもない
ただ――
「体が…動かねぇ…!」
力だけが、抜け落ちていく。
まるで、身体の中身をどこかに吸い出されているみたいに
白い光は、静かに広がっていた
触れているわけでもないのに、確実に届いている
逃げようとする足が、もつれる
「くそっ…なんだよこれ…!」
さっきまでの威勢は、もうない
単純な体力だけじゃない
怒りや殺る気すら、削げ落とされてる!
「い、いこうぜ…!」
誰かがそう言って、よろよろと立ち上がる
誰も反論しなかった
そのまま、支え合うようにして、彼らは公園の外へと消えていく
残ったのは、荒れた地面と――
重たい静寂
白い光は、ゆっくりと収まっていった
まるで何事もなかったかのように
「……はぁ……」
息を吐くと、どっと力が抜けた
膝が少し震えている
それでも、私は振り返った
「善ちゃん、大丈夫…?」
駆け寄る。
善ちゃんは顔をしかめながら立ち上がると
「……俺はいいって」
差し出した手を、軽く払った
ぱし、と乾いた音
一瞬、胸がきゅっとなる
「……」
視線を逸らしたまま、ぼそりと呟く
「女に助けられるとか……ダセぇし」
強がりだって、わかる
でも、それ以上は何も言えなかった
少しだけ、距離ができる
私は唇を結んで、それから――
ゆっくりと、あの少年のほうを向いた
砂にまみれたまま、立っている
さっきと同じ、鋭い目
でも今は、別のものも混じっている気がした
それは――苛立ち
「……あなたも、大丈夫?」
できるだけ優しく、声をかける
一歩、近づいた
その瞬間
「――っ」
手首を、強く掴まれた
「!」
引き寄せられる
思ったより、力が強い
顔が、すぐ近くにあった
荒い呼吸
土と血の匂い
そして――
「……なぜだ」
低い声
睨みつけるような視線
「なぜ俺様を助けた」
その言葉に、責めるような響きが混じる
「……」
感謝じゃない
戸惑いでもない
明確な――敵意
指に、力がこもる
逃がさないと言わんばかりに
「俺様は頼んでねぇ」
ぎり、とさらに強く握られる
「俺様は一人でも平気だった なぜ、手を出した? 俺様が誰かに助けを求めてるように見えたのか? それとも助けなければならないような弱者にみえたのか?」
白くなりかけた視界の中で
その目だけが、灼熱のように鮮明に燃えていた
嫌な感じがする なのに
「許せなかったから」
私は答えていた
「暴力を振るう輩がか? 気に食わないヤツをブチのめす 別になんらおかしくはないだろう?守ることも傷つけることも暴力なくして成立などせん 理解できんな 他人が苦しんでればそれは俺様の肥やしだ」
俺様は選ばれた存在だ
俺様の父上は天下の腐挫 塵介だ この国を担う十二財閥の一つを背負う そしていずれは俺様がそのあとを継ぐのだ 生まれからしてあそこのクソ共とは訳が違う
権力は力だ 力ある者は全てを肯定されるべきだ
今まで望みが叶わなかったことなどない
望めば全てが手に入った 父上は何でも与えてくれる
俺様をコケにしたやつは必ず報復した そいつも、そいつの家族も、友人や恋人も 全員、思い知らせてやる
強いやつが正しさを作る 強いやつは、何をやっても許されるのだ
「それは自分がやられても納得できる話なの?」
「…なに?」
「誰かと意見が合わないことはあるし、何気ないことで喧嘩をすることもあるわ
でも、誰かを傷つけることそのものを楽しむ人は、それとは別 自分がやられたらどうなるかなんて考えてない
相手の気持ちを顧みず、一人で向き合う勇気もなく、力だけを振りかざす――そんな人は嫌いだわ
私は、あなたを助けたんじゃない たまたま、あなたの敵が、私の敵だっただけよ」
夏は恐怖の感情を抱きながらも、強く相手を見返した
その瞳には強い光が宿っていた
「ふっ」
「クククッ」
ゾッとするような眼でこちらを見た
「手を、離して…!」
「断る」
「ふざけないで」
「お前の意見などどうでもいい」
手をほどこうとして、けれどその手をさらに強くつかむ
「俺様が欲しいと言ったらそれは俺様のものなのだ!」
「…離してよ!」
理解はできん できんが…
「気に入った」
「お前、俺様のものになれ」
「何言ってるの! 嫌よ!」
バチンと夏の頬を叩く
「俺様に逆らうな 俺様を拒否することは許されん 俺様に従えば全てを与えてやる 下々のような惨めな生活はさせん どうだ? 心惹かれるだろう?」
まるで話が合わない 恐怖すら覚えるほどに
「あなたの言ってること、何一つ理解できない 私はあなたのものにはならないわ!」
夏は強く拒絶した
「てめぇ! ナメたこと言ってんじゃねぇぞ!!」
善が醜男に殴りかかる
「ぐはっ!」
善は蹴りを腹に叩き込まれる
「て、めぇ!」
「貴様のような蛆虫に用はない とく失せよ」
「善ちゃんにひどいことしないで!」
「いや! 離して!」
決して振りほどけないほどの力じゃないはずなのに
力が入らなかった
彼女自身、自覚はなかったが、覚醒して間もないアニマの力は使えばその分、大きく消耗する ましてや子供ならなおさら
単純な暴力を振るってくる人達とは違う 異質な情念が夏を絡め取ろうとする
夏はいまだかつて味わったことのない感覚に恐怖する
誰か、助けて――
誰か……
「善ちゃん……」
そして…
「ふ、ゆ…?」
その名前が、突然頭をよぎり、そして消えた
今のは、一体何だったのだろう……
その時――
ガシリと夏を掴む醜男の腕を捻り上げる
「薄汚ぇ手を離せ 彼女はお前のようなクズが触っていい人じゃないんだよ」
「誰だ、貴様は」
「お前が知る必要はない」
静かで、なのに、よく響く声
視線を向けると、見知らぬ少年が立っていた
変な仮面をつけていて、顔は見えない
見知らぬ人だった なのに 目が離せなかった
不思議とその背中を見ると安心感が湧いた
「君は逃げろ 彼を連れて」
「え? でも、あなたは?」
「人を呼んできてくれ それまでは、俺一人で大丈夫だ」
「でも!」
少年は、なだめるように手を振り、落ち着いた口調で言った
「遅くなるほど、問題は大きくなる わかるね?」
「…はい! すぐに呼んできます、待ってて!」
そう言うと私は気絶してる善ちゃんを担いで駆け出した
「俺様の許可なく何処かに行こうとするな!」
背後から、ぎりりと腕が締め上げられる感触
「お前… 俺様が誰なのか、知っててやっているのだろうな?」
――静かに、沈むような、粘りつくような、暗澹たる声が響く
この国の財閥の一つ、腐挫 塵介の一人息子
腐挫 醜男
まさしく虎の威を借るなんとやら
冬にはそんな脅しは効かない
「知らんな 道端のゴミに名前があるのか?」
冬には欠片も響いてはいない
「そうだな 底辺のゴミの名など、どうでもよい 離せ一度は許してやる」
「そうか なら、許してくれなくていい 存分に喚け 正面から全て叩き潰して、みすぼらしい思い上がりを正してやるよ」
振りほどこうとするが、腕はまるで万力に握られたかのように動かない
弱っているとはいえ、それでもいまだダエワ化してもいない一般人のヒョロガキに負けるほどヤワではない
超えてきた場数が、積み上げてきた格が違う
みしり、と軋む音を立てながら、醜男は地面で身をよじる
「道化の踊りは、珍品だな」
「…貴様!」
「俺様に手を出して、ただで済むと思うなよ」
ブボっ――
金玉を蹴り上げる 悶絶する醜男
「お前、殺す」
ヨダレを垂らしながらも、こちらを睨み上げ、言葉を続ける
「必ず殺す お前も、お前の家族も、友人も、恋人も、お前に関わる全ての人間を地獄に叩き落としてやる! 必ず 必ずだ!」
憤怒の色を見せる醜男に冬はまるで動じた様子もない
この手の輩はいくらでもいた、だが、こいつは今までの連中よりも輪をかけてオツムが弱い
「おめでたいやつだな」
冬は鼻で笑う
「なに?」
「お前さぁ」
言葉を一度区切る
顔を手で覆い呆れるように首を振って次の言葉を言祝ぐ
「次があると、思っているのか?」
冬の瞳が鋭く醜男を突き刺す
ようやく状況をのみ込み始めたようだ
!!!
冬のどす黒い殺意が醜男を突き刺す
冬の無機質な表情にはこちらの命に対する敬意など欠片もなかった
その眼は一切の慈悲なく、無機質で、まさしくムシケラをみる眼だった
醜男にその記憶はない
だが、冬はこの日を待ちわびていたともいえる
まだやってないとか言い訳にはならない
貴様含め、夏さんの人生を踏み躙った害虫共は一匹残らず駆除する
特に貴様と貴様の親父は念入りにな
地獄ってやつがどういうものか、教えてやるよ
「俺の大事なものに手を出すと言ったんだ
自分がやられても、文句は言わせないぜ?」
「とりあえず」
「お前、楽には死ねないよ?」
暗い、深い ドス黒い その瞳に
醜男は人生で初めての感情に見舞われた
その感情の名を恐怖といった
その日を境に、いくつかの名が、国の記録から消えた
闇、漆深、腐挫、墨染、繭崩、逆反――
国の中枢を担う十二の大財閥、その半数に連なる者たち
誰も見ていない
何も残っていない
まるで最初から存在しなかったかのように
被害がアニマに対する悪感情を持つものに偏っていたため、一部では暗殺だと騒ぎ立て、アフ側を責め立てる者も出た
だが、そうした者もまた、ほどなく姿を消した
だから今では、誰も語らない
――語れないのか、語らないのか
それすら、わからないまま
◇
あの日以来、彼と会うことはなかった…
近くを巡回していたアニマの警邏組織、義ノ盾に助けを求めて、公園に戻った時には既に誰もいなくなっていた
義ノ盾はその場の痕跡を聖寵で追おうとしたが、匂いや足跡、その他痕跡が一切出てこなかった…
まるで透明人間のように 彼は消えた
「お礼、言えなかったな…」
「おっせぇよ夏!」
善ちゃんが待ちぼうけで苛立っている
はやくいかないと
思考を中断し、私は立ち上がる
ふと、後ろを振り返るけれど、誰もいない
嫌な感じじゃない
何か、見守られているような
温かな視線
勘違いかもしれない
それでも…
私は歩き出す
彼女の後ろ姿を見守る者達は
「これで、よかったの?」
冬真は冬にそう尋ねた
「いいに決まってる」
これでいいんだ
今まで散々クソ共の食い物にされてきた
もう充分だ 彼女はこれからやっと
本当の人生を始められる
本来あるべき姿 本当に見たかったもの
冬は微笑んで、その後ろ姿を見送った
彼女の姿が見えなくなるまで
「いこう まだやるべきことがある」
冬は立ち上がる
彼女に振りかかる厄災は俺が全て払う
この世界は、俺が守る




