地獄へようこそ
武器がほとんどない。
切実な悩みだった。
仮称【虚無】との戦闘時に、存在を削られすぎた。
その余波で刻紋武装も大半を失った。
残ったのは最低限の防御と、かろうじて動く身体だけだ。
だが、生き残れたこと自体が奇跡でもある。
あのままなら、存在ごと消されていた。
「ザインクラフト……これがあるだけマシか」
こいつがあれば、己の存在認知を阻害できる。
おかげで周りからは見えにくくなる。
敵から隠れながら、要塞の通路を渡ることができた。
要塞内には異形が徘徊している。
アエーシュマ。
ダエワによって作り変えられた存在兵器。
かつて人間だったものが、存在そのものを歪められた成れの果てだ。
汚染された環境でしか生きられず、逆に純粋な環境では崩壊する。
人が食べないもの、食べられないものを喰らう。
それは、人間も例外ではない。
一連の話を俺は冬真にした。
『人間を、食べ……うっ』
吐き出しそうになる冬真。
「ダエワは殺す、ノルマも場合によっては殺す」
そう告げると、人を殺すなんてと猛反発する冬真。
「それって……正しいことなの?」
「正しさ?」
一瞬、足を止める。
「そんなものはない」
「だめだよ。誰にとっても正しくなくちゃ。後悔することになる」
「その正しさは誰が決めるんだ?」
「え?」
「社会の正しさで、君は死ねるのか?」
「それは極端だよ」
「俺は社会の都合で殺されかけたけどな」
「え……?」
「どれだけ社会へ貢献し、功績を積んでも認められないことだってある。
結果を出しても、それを快く思わないものは出る」
「誰にとっても平等な正義なんてねぇよ。
あるのは、誰かの都合だ。
他者を軽んじれば軋轢は生む」
「だがな」
「どれだけ綺麗な理屈を並べても、こぼれ落ちるものは必ず出る。
例外は正論に殺される」
「大衆の“正しさ”にな」
「一人の生贄で大勢が救われるなら、大は小を切り捨てる」
「だがそれを言う連中は、いつだって切り捨てる側だ。
自分から犠牲になります、なんて言う奴は見たことがない」
「君は……」
言葉が続かなかった。
彼の言葉は、重みを感じた。
「誰かの都合で命や尊厳を踏みにじられるくらいなら、俺はそいつを殺す」
「たとえそれが社会であってもな」
「……おたくの過去に何があったかは知らないし、聞かないけど」
「ルールを軽んじろとまでは言わないけど、そうやってルールそのものを守ることに固執するのは本道を見失うよ。それはいつか、ルールに殺される」
「すごいな、君は。
たとえ世間で後ろ指をさされるようなことでも、自分の守るもののために全部を敵に回して進めるんだ」
「……僕は、そこまで強くなれないよ」
「俺はアニマを守る。もう手遅れかもしれないが」
俺が始めてしまった罪。
見殺しにはできない。
「人殺しに関しては君に責任はない。
殺すのは俺で、君じゃない。
それでも許せないと思うのなら俺を恨め」
「謝りはしないが、恨むのも憎むのも自由だ」
「そのことで報復したりはしない」
『ぼ、ぼくは』
葛藤が拭えない。
「見て見ぬふりをしろ。映画の中の映像だとでも思いこめ」
『そんな、簡単に割り切れないよ』
人がよいのだろうな。
そんな話をしていると、ダエワの二人組が廊下を歩きながら話している。
肌が墨でもぶっかぶったかのように真っ黒。
金色の瞳。髪は生えていない。
顔がいかにもな悪党面をしている。
「おい、おまえ最近イキのいいやつ捕まえたんだろ?俺も一緒に楽しませろよ」
「はぁ?ふざけんな。俺が使い古したお古で我慢しろ」
「ざけんな。お前が遊び終わったおもちゃ、全部まともに動かねぇだろ」
下品な話をしている二人のダエワ。
その話に出てくるおもちゃが、何を指すのか。
想像にかたくはなかった。
冬真が止めるまもなく、すっと彼らの背後に降り立ち、二人の首の可動域を超えて回す。
音もなく崩れ去った。
決して速いわけではないが、その動きには無駄がなかった。
息をのむほど見事な隠形だった。
何をしたのかはわからないが、素人ですらわからなくともすごいことをしているとはわかるほどに。
それが殺しの技術でなければ、感嘆の声を上げていたと思う。
『うっ……えっと、その、冬さんは……』
「ビビりすぎ。別に取って喰いはしないよ」
冬はダエワ達から服を脱がせ、自分で着る。
黒い腕や白い腕も手工具で完全に隠す。
この腕は目立ちすぎる。
欲を言うなら顔も隠したかったけど、欲は言うまい。
『いや、あの、その、そういうわけじゃ……ごめんなさい』
頭の中がまとまらない。何を言えばいいのかも。
冬真は当惑の中にいた。
「さっきも言ったけど、君は生きて返す。
もっとも俺達がこの状況を無事に乗り越えられれば、だけど」
冬は落ち着かせるように、冬真にそう告げる。
『ありが、とうございます』
今の流れでそう言われても、素直に受け取ることは難しかった。
話をしながらもあたりをしっかり見渡す。
長い廊下だが、もうそろそろ目的の場所につく。
敵の索敵からも無事逃れられている。
『……』
沈黙しているが、聞きたいことがありますって、だんまりの仕方。
「言いたいことがあるのなら、言ったらどうです?ストレスたまるよ」
別に彼のことをそこまで気にかけているわけではないが、帰すといった言葉を反故にする気はない。
巻き込んだ俺の不備だ。
悪いと思っていれば反省もする。
一言でいうなら、義務。
善意とか好意は一切ない。完全に自分の都合だった。
『え?いや、あの、別にそんなんじゃ……いえ、少しだけ、あります』
しどろもどろだが、最後のほうで観念したように言葉を絞り出す。
「なに?」
『冬さんはどうして、ぼくを助けてくれるんですか?』
「自分で起こしたことの責任があるから」
それだけ、彼は語った。
ぼくはこの人のことを知らない。たぶん悪い人なんだと思う。
でもぼくにそれを隠し立てしないのは、彼なりの誠実さなんだと思った。
冬真はそこに冬の持つ、狂気にも等しいある種の美学を見た気がした。
ただ、なぜかわからないけど、信用はできる。
不思議とそう思わせる人だった。
「目的の場所についた。ここからは静かに頼む。集中を乱したくない」
『はい』
そういっておとなしく引っ込む。
ぼくはこの瞬間までなんとかなるような、楽観的な気持ちでいた。
だが、扉を開けたその瞬間に、そんな考えは一瞬で吹き飛んだんだ…
血の匂い。
血が飛び散り、血が噴き出し、血を纏う。
怒り狂い、狂気を振りかざすように、男は何かを刺していた。
いや、何か、などとそんなごまかしは意味がなかった。人だ。
目の前の彼は人を、刺し殺していた。
刺し殺している最中だった。
冬が即座に止めに入る。男の包丁を持った手をつかみ、投げ飛ばす。
男が立ち上がる。そのいでたちにおぞけが走った。なんで?
その姿は、いまの自分達の姿と瓜二つだった。
ただ違うところもある。
真っ白だ。髪も肌も真っ白で、瞳は血のように赤い。
黒と白の鏡写しのように。
人を刺し殺しそうな眼だ。
いや、すでに刺してるけど。
慌てふためくぼく。
落ち着いているのは冬だけだった。
冷や汗どころか表情一つ変えていない。
心臓も至って一定の音を刻んでいる。
こんなことは珍しいことでもない、というような自然体だった。
ふぅ、ふぅ、と息を吐き散らしている男は言う。
「なん、だ……お前、なんで、僕と同じ顔をしてる……」
驚愕と同様。
かける言葉がなかった。そもそも味方ですらない。
警戒のほうが強い。
必然、沈黙が続き、警戒が伝わる。
それは……
「誰だよ……てめぇは……」
苛立ちが募るのを感じる。
「てめぇは」
「だれだああああああああああああああ!!!」
怒りが爆発する。
そうとうご立腹のようだ。
(もう無理だな)
『え?』
(あの状態まで損壊させられては、今の俺の手持ちじゃ蘇生させられない)
苦虫をかみつぶしたような声色でいう。
『余裕ですね!この状況で!!』
(余裕ではない。状況は最悪だ。とりあえず、制圧する)
シナリオは変更しきれなかった。
圧倒的アドバンテージを生かせなかったということだ。
だからといって、これ以上の事態の悪化もごめんだった。
そこで行動に移ろうとしたその瞬間に、事態は急変した。
本物?のマシロの後ろから虚無が出現する。
あいつには見えていない。
「なにを!?」
虚無はあっさりとマシロを頭からバクリッと一飲みにする。
『え?え?え?』
冬真は困惑する。
「おいおい、マジかよ」
虚無がこちらを向く。
こちらが臨戦態勢をとるが、襲いかかっては来ない。
それどころかこちらの様子を窺いながら、あざ笑うように姿を消した。
なんだったのだと息をつかせてはくれない
「マシロ?」
先ほどの光景にすら動揺しなかった冬の心臓がドクンと高鳴る。
女の声だ。
この場面。
この光景。
幾度と見た。
幾度と繰り返した。
決して変えることのできない、逃れられない結末。
「ぜん、ちゃん...」
ひたひたと歩いてきて、こちらの横を通り過ぎる。
ぼろぼろの服装で。
めった刺しにされた。
恋人に向かって。
死体を抱きしめる。
嗚咽が聞こえる。
(まずい まずい まずい まずい!!!)
『ちょっ 冬、どうすんのこれ?』
(決まってる!)
俺はゆっくりと後ろに後退する。
そして
全力でその場を後にした。
後ろから絶叫が響く。
「ぜったいにころしてやる!!!! マシロ!!!」
失敗した…
失敗したんだ!
悔恨が胸の中を満たす。
血が出るほど歯を噛みしめ、爪が食い込むほどに握りしめる
俺の人生で素晴らしい成功体験など存在しない
だが、そんなうだつの上がらない人生の中でも、史上最低最悪の失敗を
俺は犯した。
後ろからすさまじい殺意をまき散らしながら追いかけてくる少女から逃げる。
ここから始まる物語は、天国を目指した少年の、巡り巡る、地獄巡りの物語。
天国の門はいまだ遠く 地獄の坂はまだ続く。




