神の遺骸
「やぁ、冬。今日も顔だけはいいね。そんないい顔、どこで拾ったんだい?」
どこぞの国民的ヒーローじゃねぇよ、俺は。カビでも食わせんぞ。
指先に力を込め、春の長い前髪を掴んで机の角に叩きつけた。
鈍い音が響き、白磁のような机に鮮血の斑点が飛び散る。
「鼻血が似合うなお前〜、いい面になった。鼻血が似合う男はいい男だ。でも片方だけってのはいただけない」
春は机に顔を伏せたまま、愉悦を隠しきれない声で笑う。
もう片方も増やしてやろうと拳を固めると、春はひらひらと細い指を振った。
「暴力反対」
「反抗的だな。もう一発いっとく?」
「勘弁願いたいな。私が話したくなくなるかもよ?」
もイッパツいくことにした。
「人の話を聞かないねぇ〜」
両鼻から血を垂れ流すにやけ面のイケメン。多分、一定の需要はあるよ。
「俺らしいだろ? 好きになった? だめだよぉ~、おらぁ、男同士なんて、だめだよぉ~……ちゅちゅちゅっ」
挑発するように、唇を突き出し、拳を春の頬に当ててぐりぐりと抉る。指節骨の硬い感触が、春の柔らかい頬の肉を押し潰す。
話す気になったらしい。
最初からちゃきちゃき話せやカス。毎回てめぇのために、なぜ俺が漫才せなあきまへんの~?
こいつとの会話は大体こんな感じで始まる。いつもの光景だ。いい加減飽き飽きしてきた。
「神の遺骸はどこだ?」
神の遺骸。この世界は神が死んでしまったことで、聖寵が失われた。
だが、こいつが言うには、バラバラになった神の遺骸には、まだ神秘が残っているのだとかなんとか。
俺はそんな設定知らないから、作者だけが知る裏設定かと最初は思っていたが、こいつ曰く、後付け設定だそうだ。
この世界に来たことで、何かしら設定を追加できないか試してできた成功例の一つだと。
ストーリーもある程度、コントロールできるとのこと。
ただし、突飛な設定は不可能で、あくまでこの世界のルールに沿うこと。
現状の状況にそぐわないルール、世界観を壊す設定の追加は弾かれるらしい。
あくまで土台ありきということだ。
それは理解できる。
この世界のアップデートはまだ完了していない。不安定な状況下であるなら、ある程度、原作者の創作が入り込む余地(隙間)がある。
それをわかってて、こいつを中に入れた奴がいるってことだ。空想世界だからといって、際限なくなんでもかんでもぶっこめるわけではない。
土台ができてしまっている場合は特にだ。
例えば、別世界のものをこの世界で再現するというのは、境界を曖昧にする。
頭の中身を除いて、あとは殺して終わり。事態はそんな単純なことではなかった。
原作者の能力は創作にある。殺して終わりにするより、ある程度、こいつのストーリーラインを把握すれば、事態のコントロールがしやすいと判断した。不測の事態はできるだけ避けたい。
「冬はさ、アニマを助けたいんでしょ? でも、彼らのことを完全なる善だとでも思ってる? 人の善良さって、どこで決まるの? ダエワだって、見方を変えれば、彼らなりの生体構造が所以だ。そういう風に作られている、というだけだろう? 命の形に善悪を問えないだろう?」
「おいおい、きみ正気? 自分で作っておいて? まさかの俺相手に善悪議論をするつもり?」
ましてやこっち、元テロリストぞ?
「それはそれで面白い試みだと思うけどね。君の精神構造には興味がある」
まるでモルモットだな。
「俺が良いと思ったものが善で、俺が悪いと思ったものが悪。以上だ」
「身も蓋もないね」
「君とくだらない言葉遊びをする気はないってことの決意表明だよ」
仮にお前に100%正義があっても、俺はお前を認めない。
ソクラテスも孔子も、善に絶対は持たせられなかった。誰だってそうだ。
善とは魂に宿るのか、それとも関係性なのか。何かしらの法則があるのか、あるいは生命には初めから善悪の概念が組み込まれているのか。
善悪の問いとは残酷だ。
絶対がないがゆえに、人の行きつく先は、多数決。
絶対がある場合、起こることは、善でないものの排斥。魔女狩りがわかりやすい例だ。
結局、善悪議論は分断を起こす。
「善悪は議論の種にはなるが、武器にはするな」というのが俺の結論だった。
人は必ず誰かと争う。その時に正義だの悪だのというものを振りかざすのは、言い訳しているように見える。
誰かの尊厳を踏みにじるなら、そこに言い訳はしてはいけない。ダエワに尊厳があるかは別としてね。
俺は白銀を潰した。後悔はしていない。言い訳もしない。これからも、だ。
そして、誰が何を言おうがダエワは潰す。
どうしようもなく相容れないなら、もう殺し合うしかないのだ。
譲歩できない関係性だからこそ、もう『悪』と評するしかない。
そこにあるのは正義ではなく、限界だ。
「やるべきとか、やりたいとかじゃなく、君の本質が、見えないんだよね……私には」
春は血に濡れた顔で、じっと俺の瞳を覗き込んでくる。
「他人の理屈に納得がほしいの?」
おすすめしないけどな。
俺は春の理屈、欠片も理解できないし。
それに人の本質なんて、一生費やしても理解なんてできないよ。した気になるのがせいぜいじゃない? ――理解しようと努力する人は、嫌いじゃないですがね。
「私には君が、他者を求める人種に見えない。理解できないものを、理解しようとは思わないだろう?」
「……」
「君は、一人で完結してる。特別、他人がほしいと思ったこと、ないだろ?」
「みつかるわけ? 他人を必要とする理由って」
それは、自分に向けた鋭いナイフのような問いだった。
「保障がないと、お前は何もしないわけ?」
「は?」
「正解が常に用意されて生まれてくるわけじゃないでしょ。意味なさそうなことでも、やってみたら、まったく予想もつかない場所に辿り着くこともある」
どれを選ぶにせよ、これだけやっとけばOKな人生なんてない。
限りなく正解っぽい間違い。限りなく間違いっぽい正解。
その見分け方なんて、たぶんその瞬間、その命が尽きるまでわからない。
「うん。ま、今回はそれでいいや」
全然腑に落ちてません、って顔をしている春。
爪をいじりながら、飽きたように視線を逸らす。
「冬は、どんな子供時代だったの?」
は? いきなり過去話? 急に距離詰めてくんなよ。
「別に、普通の子供だったよ。どこにでもいる毎日。ああ、なんか、おもしれ~ことおきねぇかなって周りに期待して、何もしない普通の男だよ」
「アハハハッ!」
心の底から可笑しそうに、春が噴き出す。
「君みたいなのがスタンダードでいたら、世界中大変になってるよ。嘘つくなら、もっと考えてやってね。10点」
…会話に点数つける奴、最低だと思いました。まる。
「ハルナはどう? 元気にしてる?」
「……今日はまだ会ってない。けど、この前会った時は元気そうにしてたよ。毎日あしげく神様の家に通って」
「そう」
春が、なんとも言えない表情をする。慈しみと、深い嘲笑が混ざり合ったような、歪な色。
「神に祈る人間の気が知れないね。己の罪過も恥も、神なんてものに投げるから、自分で背負うことを覚えない人間が出てくる」
神様にあまりいい印象がないのだろう。
まぁ、いるかどうかもわからないものに祈る価値を感じないのは同感だが。俺のそれと春のそれは、おそらく根っこが違う。
「冬は、神様っていると思うかい?」
「さぁ?」
いるかどうかなんてわかる奴はいない。
だが、俺に言えるのは、いようがいなかろうが俺には関係のない話だってことだけだ。
いても俺のことは助けちゃくれないし、興味もないだろう。
「お前ってさ、なんでハルナさんと一緒にいるの?」
明らかに相性悪そうなのにな。
彼女は敬虔な信徒だ。彼の知人の補完体、なのだろう。春は彼女を特別目にかけている。
「……暇つぶしだよ」
嘘だね。無意識に視線を逸らした自分に気づき、舌打ちする春を見る。
この世界に宗教は存在しない。
なんせ本物の神様がいるのだから。
彼女のように神様を慕って世話をする者もいる。
そんなことよりも…
春にどこからこの世界に入ったのか聞いても、知らないの一点張り。誰がやったのかも不明。黒金のことを聞いてもノーコメント。
もう少しシメるか?
「本題に入ろう。神の遺骸の件だけど……」
どうやらこれ以上話すつもりはないらしい。
だが、生かしておく価値がある理由の一つがこれだ。
「冬は学園って、通ったことある?」
「一応。学徒の資格が必要で、どうしてもね」
ひどいもんだった。養成所とはまた毛色の違う、白銀のお坊ちゃん共の巣窟。
だが、タイプが違うだけで、傲慢な中身は大して変わらなかった。
「君の学生時代に興味がないわけではないけれど、今回はそれはおいておこう。君にはこの聖都の学園――今では監査所になってる場所に行ってもらいたい」
聖都に入るための手続き、訓練、決まり事を管理・監督する場所。
「なんでそんなとこに神の遺骸があるわけ?」
「あるとは限らない。でも、そこに行くことで、物事は動く。『存在価値』、というやつかな」
春の瞳が、虹色の不気味な光を帯びる。
「神は死してなお、人に寄りたいらしい。トラブルの起こる場所に、神の遺骸は引き寄せられる。創作である以上、物事には流れや順番がある。ただでは手に入らないよ」
「……」
「たぶん、ヒジリもそろそろ連絡を寄越してくるよ。ナツによろしく」
「それは、なぜ?」
二人の間に、冷たい緊張が走る。
「それは内緒」
シメてやりたいが、エピソードが必要だという言葉には信憑性がある。
「お前さ、ナツさんのこと、そんなに貶めたいの?」
始まったな、こいつの病気が。
春が全部ほんとのこと言ってないのは、わかってる。こいつがロクな創作をしていなさそうなことも。
「特別なエピソードが必要かい? 物語のヒロインに悲劇はつきものだろう? 登場人物を幸せにするために創作するやつなんていない。登場人物はみな、おもちゃにするために存在するのが、創作だ。 意味ないよ、その質問は。君の質問の中で一番面白くない。答える価値もないほどね」
饒舌に語る春の口元には、どす黒い悦悦が張り付いている。
「言葉数が多くなるのは、なんでだっけ?」
「嫌なやつ」
そのわりには楽しそうに笑っている。
「本物の、マシロは、どうなったんだろうね?」
「……さぁね」
「君はそのことについて、どう思ってるんだい?」
「どうだかね」
俺は言葉を濁した。
マシロは決していい奴じゃない。だが人の体奪って、ってのはいい気がしない。
「もし目の前に現れたらどうする?」
「状況によるんじゃない?その時、マシロがどうしたいのかにもよる。体返せってだけなら、今すぐは無理だが、返すつもりはある。――だが、ナツさんにちょっかいかけるなら、放置はできない」
結局のところ、俺の都合が優先される。嫌な話だ。
「じゃ、俺はもういくわ」
会話をしていても、喧嘩にしかならない。
席を立ち、出口へ向かおうとすると――。
「冬」
春の、どこか遠くを見るような声が背中に届く。
「なんだ?」
「今はね、二次創作も、悪くないと思ってるよ」
またろくでもないことを。
冬は振り返らずに、重い扉を開けて出ていく。
「自分監修の、ね。種も撒いた。あとは、神のみぞ知る、だ」
冬が去った静寂の中で、春は一人、割れた唇を舐めた。
神など信じてはいない。これはただの、言葉遊び。
手綱を引き絞っているのは、あくまで己の手なのだから。




